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彩りを連れて 二

 その日も私はいつも通り良いとも悪いとも言えない一日を過ごしていたけれど、少しばかり厄介なことが起きた。

 文化祭での役回りを決めることになったからだ。

 準備期間中は何をするのか、当日になったら何をするのか。仲良し同士で班を作るクラスメイト達に置いてけぼりにされる。結局私に選択肢は残っていなくて、準備期間中は買い出し班、当日は受付ということになった。

「あと決まってない人いるー?」

 その呼びかけに真っ直ぐ手が上がる。

「俺、実はまだ決めてない。買い出しと受付でいい?」

 目も耳も疑った。その声は太田晴さんのものだったから。てっきりいつものメンバーと一緒に何かしらの班に入っているものだと思っていたから驚いてしまった。それに、買い出しと受付って、私とまるきり同じじゃないか。

「買い出しと受付ね。おっけー、決まり! じゃあ準備期間中の班ごとに集まって話し合いね。終わったら買い出し班に何買ってもらうか伝えに行くこと」

 文化祭実行委員の呼びかけでクラスメイト達が動き始める。慌てて私も立ち上がる。

「買い出し班こっち集合!」

 太田さんが手を挙げて待っている。隣には立花さんも既にいて、私は小走りに教室の隅へと向かう。

「よろしくな!って言っても俺たちしばらくやることないけど」

 笑いながら手を差し出してくる太田さん。あまりに自然で一瞬普通に手を取りそうになった。いや、本当にこれくらいコミュ力のある人なら普通の事なんだろうか。でも多分違う……と思う。

 差し出された手に対して戸惑っていると、

「そういうのやめろって言ってるだろ。ほら、中村さん困ってるだろうが」

 立花さんが助け船を出してくれた。「あ、わりぃ」と太田さんが手を引っ込める。

「こいつ距離感バグってんの。ごめんな」

 なぜか立花さんに謝られる。どうしていいのか分からない。というか、それよりも気になることがある。

「あ……あの、名前……」

「ん?」

 二人が不思議そうな顔で私を見る。しまった。言葉が全然足りていなかった。というより声が小さすぎて届いてなかったのかもしれない。言葉を飲み込みそうになるけれど、二人が私の言葉を待っているから、そういうわけにもいかない。

「名前、知ってるんですか」

 何とか声を張って伝えると、二人とも一瞬ポカンとした。また何か間違えてしまったのかと思ったら立花さんが『もしかして』という顔をして、

「……中村さんの名前のこと? そりゃ知ってるよ。クラスメイトだから」

 と言った。太田さんも隣で頷いている。

「っていうか、中村さんだって俺たちの名前分かるでしょ? 同じ同じ」

 太田さんは変わらずニカッと笑って言うけれど、私が太田さん達の名前を覚えているのと、太田さん達が私の名前を覚えているのでは全然違う気がする。私なんて太田さん達からしたら背景の一部でしかないはずで、だから人として認識されていることに少なからずビックリする。

「……あれ、もしかして俺たち名前覚えられてない?」

 変に間を作ってしまったせいだろう。太田さんが不安そうな顔で聞いてくるから私は慌てて首を横に振った。

「良かった!」

 またニカッと笑う太田さん。

「つーかさ、『中村さん』だといつまでも距離縮まらない感じするから呼び捨てしていい?」

 その笑顔のまま問いかけられてまた驚いてしまう。呼び捨てなんて、多分されたことがない。小学生の時は真緒ちゃんと言われていたし、中学に上がってからは私を呼ぶ人なんて滅多にいなくて大抵『中村さん』だったから。

「あ、嫌だったら全然断っていいからな」

 立花さんに言われて、私はまたしても首を横に振った。

「だ、大丈夫。呼び捨てで」

「ありがと! 改めてよろしくな、真緒!」

 また差し出しかけた手を慌てて引っ込めながら太田さんが私の名前を呼んだ。本当に、苗字ではなく、名前を呼んだ。

「コイツ悪気は本当にないんだ。俺は中村って呼ぶし、俺のことも立花でいいから。よろしく」

 呆れ顔で立花くんが言うと、太田さんが手を挙げて、

「俺は晴って呼んでほしい!」

 と言ったところに立花くんの拳骨が降ってくる。

「お前は常識を少しは身につけろ」

「え、距離近くて良くね?」

「お前は近すぎて良くない」

 立花くんが……晴、くんのこめかみをぐりぐりしているのを止めるべきなのかどうか悩んでいたら、後ろから声が降ってきた。

「そうそう、いきなり名前呼び捨ては普通ハードル高いんだよ?」

 振り返ってみると、校則ギリギリまで明るく染めた髪が目に飛び込んできた。

「やっほ。私、山岸美玲。真緒ちゃんって呼んでいい?」

 私とは別の世界の住人だと思っていた山岸さん。その山岸さんに名前を呼ばれている。さっきから驚く点が多すぎて情報を処理しきれていない。

「あ、ダメだったかな」

 山岸さんが少し落ち込んだ顔を見せて、私はまたしても慌てて首を振る。
「やった! よろしくね真緒ちゃん!」

 胸の上あたりに山岸さんの腕がある。背中に体温。抱きしめられている。……抱きしめられている?

「お前も大概だぞ山岸」

「えー、スキンシップできるのは女子の特権みたいなとこあるじゃん? 特権は使わないと!」

「ていうか美玲来るの遅くね? 教室の端から端までどんだけ距離あったの?」

「衣装班に捕まったんです~! ついでに買い出しするもの聞いてきたから、どこのお店行くか考えよ! ね、真緒ちゃん!……真緒ちゃん? 顔真っ赤だよ!?」

 どうやら顔が真っ赤らしいけれど、私の頭からは煙も出ているんじゃないかと思う。今起こったことが何一つとして信じられない。このメンバーで同じ班になっていることも、名前を知られていることも、私が呼び捨てされていることも、今、山岸さんに肩を掴まれて「大丈夫!?」と言われていることも。何もかもつい数分前までは考えられなかったことで、全然情報を飲み込めていなくて、軽くパニックだ。

「お前らの距離感がバグってるせいだぞ」

「嘘!?」

「ごめんな、真緒!」

 ペコペコと二人が謝り始める。立花くんも「もっと反省しろ」と謝る二人を止めない。

 私はと言えば未だに事実を受け止め切れていないけれど、謝り続ける二人を見ていたら、少し笑ってしまった。

「良かったな。お許しが出たぞ」

 立花くんがからかうように言うと、二人が「良かったぁ~!」と安心した顔になる。

「じゃあ店決めるぞー」

「はーい」

 三人はさっきまでのやり取りが嘘みたいに真剣にお店を探し始めて、私はまた驚いた。でも、もしかしたら、今年の文化祭は今までで一番楽しいものになるかも、なんて淡い期待を膨らませてしまう私がいるのも、事実だった。


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