長編小説『エンドウォーカー・ワン』第11話
まだ陽が差さぬ早朝。
ベルハルトは裏通りに停車していたトラックにイリアを押し込み、彼を引き上げようとしていた白い手をゆっくりと放した。
「ベル……?」
彼は口を固く結んだまま、紅い宝石をじいっと見つめると「イリア、俺はここまでだ」と背中を向ける。
「どうしてっ!? 一緒に逃げるって約束してくれたじゃない!」
「騙して悪かった。みんなが安全に逃げられるようにここを確保するのが本当の仕事だ」
「何言っているの、喧嘩弱いくせに!」
イリアが身を乗り出し、後ずさりをするベルハルトを自分の元に繋ぎ留めようとした。
金切り声に「決して振り返らない」と決めていた少年の心が揺らぐ。
「大丈夫だから」
嘘だ。
大丈夫なんかじゃない。
「俺は強いぞ。ノーストリアなんか倒してやる」
嘘だ。
戦う準備なんかいつまで経ってもできやしない、人を傷付ける覚悟なんてありはしない。
いつまでも他者に虐げられるだけの弱い存在だ。
でも、だから。
「いつかさ、お前を迎えに行くからな。約束だ」
今はその言葉を抱きしめて、戦場へ向かおう。
「ベルハルトッ!」
排気音と共にイリアの声が、存在が遠ざかっていく。
だが彼は振り返らない。
その顔を見てしまえばきっと求めてしまうから。
「……ベルハルト。本当に、これで良かったのか?」
ヘッドセットからレイの感情の冷え切った声が聞こえてくる。
「きっと、これは俺にしか出来ないことですから」
ベルハルトはまだ見ぬ神へ祈りを捧げるように呟いた。
間に合わせのアルミニウム装甲板から隙間風が抜けてコクピットを冷やす。
錆び鉄とマシンオイル塗れた空気が幾分か薄れる。
少年は深く息を吐き出し、白い霧の中で自分の生を感じていた。
「まったく、なんて時代に生まれちまったんだか」
レイがため息混じりに漏らす。
「……そろそろ奴らの車両部隊が通過する時間だ。功を急いて前に出過ぎるな」
「分かりました。メインシステム起動」
それを待っていたかと言わんばかりに廃材置き場で佇んでいた鉄屑のビニールシートが同志たちによって剝ぎ取られる。
鉄パイプと板金を組み合わせたような錻力の人形が重々しく立ち上がった。
メインフレームを橙色と黒のストライプで染めたそれは工業用重機の面影を色濃く残しており、人の力では到底持ち上げられることすらできない質量の大槌と釘打ち機が握られていた。
肩には金属管で作られた即席の四連装ロケットポッドが取り付けられ、歪な形をしている。
「コンタクト。装甲兵員輸送車と高機動車の混成、三車両。マークした」
無線から緊迫した声が飛び込んでくる。
ほぼ同時に取って付けたようなヘッドアップディスプレイにトラッキングマーカーの赤点が映し出される。
「俺の合図で仕掛ける。火器は実質ロケット四発だけと思っておくんだ。改良型ネイルガンは至近距離ではないと装甲を貫けない、常に相手の機動と遮蔽物を意識しておけ。こちらは工業機だ。抗弾性能は無いものと思え」
先の戦闘で負傷兵となり、後方に送られる予定のところを残留を決めたレイ。
彼は士気だけは高い少年を憂い、冷たい言葉でわざと突き放す。
「……っ」
ベルハルトの緊張感が無線越しにひしひしと伝わってくる。
「今なら間に合う。ここで君が機体を放棄して逃げ出しても誰も咎めはしないだろう」
それはレイの最終警告だった。
今引き返さなければ死は免れないものだ、と。
装甲・火力で主力戦車に劣るWAWはパイロットの練度によって生還率が大きく左右される。
最前線に配属されることは少ないがそれでも矢面に立つことは多々あり、基礎教練を終えた新兵の初任務達成率はそう高くはない。
「それでも、俺は決めたんだ」
そのような事情を知っているからこそレイは苦言を呈したのだが、言葉の裏を読み取れないベルハルトは歯をきつく食いしばり、様々な感情を押し殺して返した。
「……そうか。COM、管理者コマンドで2番機をロック。ハッチ開け」
青年は目をきつく閉じ、WAWのコンピューターに向けて言う。
歩き出そうとしていたベルハルトの機体の関節が瞬間的にロックされ、強い衝撃が全身を襲う。
「なにするんだよ!」
機体前面部のハッチが開き、普段の赤毛の少年の様相からは想像できない程の剣幕で青年を責め立てた。
しかしレイからの応答はなく、控えていた大人たちはまるで打ち合わせたかのようにベルハルトの機体によじ登り、シートから小さな身体を引き剥がした。
「騙して悪いが、罪を背負うにはお前はまだ若いのさ。じゃあな」
青年は一方的に別れを告げ、他の人間が乗り込んだWAWと共に固い地面が抉れるほどの強い歩みでその場から立ち去る。
「待てよ! 俺も戦うんだッ!」
ベルハルトは朝日の中に消えていく大人たちの背中を追おうとしたが、瓦礫に足をとられて顔から崩れ落ちてしまう。
死地へ赴く彼らの最期の姿が薄光の中で輝いていて。
ああ――「僕」は英雄にはなれない――
少年は己の無力さを呪い、向けどころのない感情を拳に込めて地面を渾身の力で打つ。
ごつ。
ごつごつごつ。
皮が剥離し、肉は抉れて血潮が流れ出す。
この痛みは罰だ――幼く何もできない自分に対する罰だ。
ベルハルトは遠くから心の底に響いてくる雷鳴の中、流した血を涙で洗い流しながら自らを呪うことしかできないのだった。
執筆・投稿 雨月サト
©DIGITAL butter/EUREKA project
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