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深海の薄明かり

あいいろのうさぎ


“書き続けていること” それが僕の唯一の取り柄だ。

日の目を見ない作品を何度ネットの海に送り出してきたことか知れない。同じアカウントで、ただ書き続けて、それでも僕の作品につくいいねの数はせいぜい五個が限界だ。コメントなんてついたことがない。否定されないことは良いことかもしれないが、肯定もあまりされないのだから良い作品とは言えない。いや、自分では良いと思って送り出しているのだけど……。“誰にも響いていないこと”が数値化されている現状は、凍傷を起こしそうなほど冷たい。

それでも僕は、ネットの海で凍えるのをやめられない。
“書くこと”は僕の性(さが)だ。それを海に流してしまうのは、気づいてほしいからだ。世の中にはこんな感情を抱えて生きている人間がいると。僕には書く苦しみより書かない苦しみの方がずっと大きい。だから書き続けている。書くことに縋り付いている。どうしようもなく、みっともない程に。

『主人公の葛藤に共感しました』
自分の作品についたコメントを初めて見たのは、作品を投稿した翌日の朝だった。初めて見る通知画面に驚きを隠せなかった。

たった一文のコメントに対して視線を何往復もさせながら、『睡蓮狩り』さんへの感謝を胸中で呟く。本当なら直接感謝を伝えたいのだが、コメントに対してどの程度返信して良いものなのか悩んだ末にそっといいねを押した。
そして『睡蓮狩り』さんのアカウントを見に行ってみた作品も投稿しているようなので、最新の短編小説を読ませてもらった。
圧倒された。

物語は何でも完璧にこなす少女と彼女に目を奪われた少年の逃避行だ。少年の葛藤も、少しずつ彼らの中でルールが崩壊していく様も、逃避行なんて経験したことないはずの僕が共感してしまう内容だった。
今、僕の目の前には理想の文章がある。世界の歪みを、その中で必死に生きようとする葛藤を、共感できるほどに表現した文章。「もう書かなくていいんじゃない?」そんな言葉が生まれて初めて過ぎった。
僕が書く意味は、何だろう。

そんな言葉を思考の隅に留めながらあとがきを読んでいると、こんな一文があった。

『私は誰にも見られなくてもきっと書くことをやめられません。私がそれに縋っているからです』
縋っている、その言葉を読んで安心すると同時に納得した。
僕は、どうせ“書くことの意味”なんて大層なものを考えたところで、それを見出せなかったところで、書くことをやめられない。

“書き続けていること” それは僕の唯一の取り柄だ。


あとがき

 目を通してくださってありがとうございます。あいいろのうさぎと申します。以後お見知りおきを。

 今回は「夜明けの海」をお題に小説を書きました。夜明け→希望、海→広大、といったイメージからネットの海で希望を掴む主人公の話が思い浮かびました。夜明けと言うには光が弱くなったので「深海の薄明かり」というタイトルになりましたが、楽しんでいただけていれば幸いです。

 またお目にかかれることを願っています。

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