彩りを連れて 十三
「ただいま」
「おかえりなさい……今日は普通に帰ってきたのね」
お母さんの言葉が刺さる。私は今日、寄り道せずに帰ってきたし、これからもきっと寄り道なんてできない。
そもそも、一緒にいてくれる人との関係を、壊してしまった。
私がよほど浮かない顔でもしていたんだろうか。お母さんの表情が変わる。
「皮肉みたいなことを言ってしまってごめんなさいね。ちゃんと帰って来てくれてお母さん嬉しいわ」
「……そう」
私はそれだけ呟いて、自分の部屋に入った。
このまま、みんなと関わることを絶ってしまったら、お母さんは喜ぶだろうか。色が付く前の世界に戻ったら、あんな風に『お母さん嬉しいわ』なんて言うんだろうか。
……嫌だ。
あの頃は、分からなかった。自分の世界に色があるのかどうかさえ。でも今は思ってしまう。あれは灰色の日常だった。今、目の前から色が失われようとしている。それが分かる。
私は何のためにお母さんを裏切らないようにしているんだろう。少なくともそれは、晴くんたちを傷つけるためじゃなかった。
『あなただけは私を裏切らないで』
お母さんがお酒に呑まれて言った本心が今でも耳元で聞こえる。
でも、今日、私はお母さんを裏切らないために晴くんたちを裏切ってしまった。
……けど、じゃあ、どうしたら良かったんだろう。
あそこで晴くんたちに私の事情を全部言ってしまえば良かったんだろうか? でもそんなことしたら、きっとみんな笑ってくれなくなる。笑ってくれなくなって、何て言っていいのか分からなくなって、重たい空気だけがそこに漂ってしまう。そんなの、嫌だ。
……でも、今日の私の行動は、もっと酷かった。
あの時、どうすれば良かったんだろう。
思考は同じところをグルグル回り始める。お母さんを裏切りたくない。晴くんたちを傷つけてしまった。あの時なんて言えば。これからどうすれば。
足元が泥沼に変わっていって、足を取られてズブズブと沈んでいきそうな、その時だった。
スマホの通知が鳴る。美玲ちゃんからのメッセージだ。
『ちょっと電話できる?』
その言葉が怖かった。怖いのと同時に、僅かな希望を感じた。けれど、しばらくはお母さんにバレないためにも電話しない方が良いだろう。
『ごめんね。電話はできないんだ』
『分かった。ここに打っちゃうね』
すぐに返信がきて、でもその後スマホが黙り込んでしまったから、不安になった。
『日本語下手くそかもしれないけど、送るね』
次の瞬間、画面の半分くらいが文章で覆われた。
『私は正直、太田の意見も分かる。真緒ちゃんに何かあったんだろうなって思ってるから、頼ってくれないのは寂しいよ。でも真緒ちゃんの意見も分かる。真緒ちゃんが何を抱えているのかは分からないけど、私にだってあいつらに言ってないことの一つや二つくらいある。全部明け透けに話す必要はないと思う』
頼ってくれないのは寂しいと書いてあるのに、後半の文章に安心してしまった自分が嫌だった。でも、その後に届いたメッセージに胸がじんとした。
『私が心配してるのは、真緒ちゃんが一人で全部抱え込んで潰れちゃわないかってこと』
その言葉を見ているとなぜか目が潤んでくる。
『だから、もし私とか太田たちに話してもいいなって思えることがあったら何でも聞かせて。夕飯が何だったとか、そんなことでもいいから』
美玲ちゃんからのメッセージはそこで止まった。
あんなことを言って、もう美玲ちゃんたちとの関係は終わったと勝手に思っていた。でも、スマホのメッセージからでも充分伝わる。美玲ちゃんは私のことを心配して、すごく気遣ってくれている。
『ありがとう。昼はごめんね』
本当はもっと言うべきことがたくさんあるのに、言葉にできたのはそれだけだった。
『いいんだよ。私だって立花の前で大爆発したことあるし』
その言葉に少なからず驚いたけど、続けてメッセージが来た。
『でも、その時も立花は私の話聞いてくれた。結構救われたんだ』
その言葉に、希望を感じてしまった私は、傲慢だろうか。でも、可能性があるなら賭けてみたくて、美玲ちゃんに聞いてみた。
『晴くんたちともう一度話せるようになるには、どうしたらいいかな』
喧嘩して仲直りするためにはどうしたらいい? なんて冷静になったら小学生みたいな質問をしてしまった。
そしたら美玲ちゃんも小学生に教えてあげるみたいな文章を返してきた。
『知ってる? 悪い事したと思ったらごめんなさいって言えば良いんだよ』
さっきまで何て言って会話を始めればいいのか分からなかった。多分、友達と喧嘩するという小学生以来の事態に目の前が真っ暗になって何も見えていなかったんだ。
『真緒ちゃんには私もついてるし、だいじょーぶ!』
光を灯してくれた美玲ちゃんに改めて『ほんとにありがとう』と送って、私は晴くんたちとのグループチャットにメッセージを送ろうとした。けれど、メッセージを書いては消してを繰り返してしまったから、一旦メモ機能を開く。そこでも何回も似たような言葉を書いては消して、三十分くらい経ってようやくメッセージを送った。
『昼間はごめんなさい。自分のことしか考えられてなくて、酷い事を言ってしまいました。本当にごめん。わがままだけど、皆に話したいことがあります。でも、電話ができないから、もし良ければ明日の朝、少し早めに学校に来てくれませんか? 待ってます』
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