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おねえさんへの一歩目

あいいろのうさぎ

入園式は無事に終えたのに、翌日には『この世の終わり?』と思うほど泣かれた。一緒に歩いて幼稚園に辿り着いたは良いものの、先生に「お母さんにバイバイしようね」と言われた途端、号泣。火事場の馬鹿力かと思うほどの力強さで私の足に縋り付いて離れない。『この先は地獄なんだ助けてくれ』と言わんばかりである。
 数時間前はやたら早く目を覚まして私を叩き起こし、「もう少し寝た方が良いよ」という忠告にも聞く耳を持たなかった。早すぎる朝ごはんを食べ、ウキウキで制服に着替え、朝の子供向け番組に合わせて元気に踊っていたというのに、さっきまでの笑顔はどこへやら。まるで先生が自分を地獄へ引きずり込みにきた鬼に見えるかのように泣き叫んでいる。
 先生の方は慣れている様子で穏やかに微笑んでいるのだが、この子には先生の表情など見えていないだろう。肝心なのは、『私と離れ離れになることを阻止すること』だ。
 正直、少し予想はついていた。
 入園準備をしていく中で、他の子たちの様子と比べたところ、どうもうちの娘は私にべったりだ。子供はみんなそんなものかと思っていたら、全然違う。一人で出来る折り紙などの遊びに集中している子もいれば、早いもので友達を作って一緒に追いかけっこをする子もいる。うちの子も折り紙はするが、私の隣を離れたことはない。
 だから、『お母さんと離れたくない!』となることは予想がついた。ここまで激しいとは思っていなかったけれど。
 多分、この子は幼稚園は私と一緒に過ごす場所で、お別れをしないといけないとは思っていなかったのだろう。幼稚園という場所自体は好きだったようだし、今朝までウキウキだったのにも納得がいく。入園式が大丈夫だったのは「お母さん、体育館で待ってるからね。ずっと美音のこと見てるからね」と言い聞かせていたからだろう。実際、入園式の最中、チラチラと私の様子を確認していた。
 だが、これからは私のいない幼稚園で過ごさなければならない。
「美音、お母さん絶対美音のこと迎えに来るから。約束。美音は幼稚園でお姉さんになる練習をするんだよ。大丈夫。何も怖くないよ」
 ぎゅっと抱きしめて背中をさすりながら繰り返し言うと、泣き叫ぶまではいかない程度に落ち着いてきた。
「わたっわたし、おね、おねえさん、に、なる?」
 嗚咽交じりに必死で声を出してくれた美音に「うん。良い子で幼稚園に通ってくれたらね」と声を掛ける。
「美音ちゃん、お姉さんになるためにお母さんとバイバイできるかな?」
 先生にそう言われて、美音は私から手を離した。目にいっぱい涙を溜めて「ばいばい」の声を絞り出す。
 内心ホッと息を吐きながら幼稚園を後にする。美音は私が見えなくなるまでずっとこっちを見ていた。

 迎えに行くと、美音は寝ていた。先生の話では、泣き止んだ後、クラスメイトと一緒に遊んでいたそうだ。今朝は早く起きたし、たくさん泣いたし、初めてクラスメイトと遊んだので、よほど疲れていたんだろう。
 先生に感謝を伝えて、美音を背負って帰る。
 明日以降も泣かれる可能性を考えると少し頭が痛いけれど、今日という日を乗り切ってくれたご褒美にハンバーグでも作ろうか。
 ……こんなことするから甘えん坊になるのかな?


あとがき

目を通してくださってありがとうございます。あいいろのうさぎと申します。以後お見知りおきを。

 「甘えん坊さん」というお題から、恋人同士やペットと飼い主の関係などを連想しましたが、最終的には幼稚園児とお母さんに落ち着きました。美音ちゃんが立派なお姉さんになるといいな、その様子を見てお母様は「あんなに甘えん坊だったのに」と思っているといいな、なんて考えています。
この作品がお楽しみいただけていれば幸いです。

 またお目にかかれることを願っています。

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