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『エンドウォーカー・ワン』第50話

 オストア共和国某所。
 年中気候に恵まれないその街では今日も今日とて不機嫌な雨曇が石畳を濡らしていた。
 遠く離れた農作地帯からの恵みは住民たちに十分に行き届かず、彼らは質素な生活を強いられている。

「中央のほうは軍需で景気がいいみたいだけどね。私ら地方の人間には関係ない話さ」
「そーそー。格差は広がる一方でね。かといって、この街を捨てて出稼ぎに行けるほど若くないし」
「前の大統領の頃はまだ補助が手厚くてね。色々な選択の幅があったんだけど、今の人は――」
「しっ、外国人の前で言うことじゃないよ」

 話好きの食料品店店主を常連客が手で制する。

「あはは、わたしなら大丈夫ですよ。ただ仕事で来ているだけですから」
「そうかい? 仕事って、モデルさんか何か? 嬢ちゃん可愛いし」
「いえいえいえ、ただの土建屋事務です。ゴヴァ地方から大規模発注がありまして、そこに向かう途中なんですよ」
「……なるほどね。若いのに大変だ」

 うんうんと頷く二人に若い女性は薄紫色の瞳でじっと見つめ「そうですね。守秘義務があるのでなかなかお話できないのですが、肩が凝って仕方ないんですよ」と肩を鳴らしてあくまでも業界人のように振舞う。

「一帯が国の保有地で、限られた人間しか入れないってね。噂では非合法の実験施設があるって言うじゃない」
「あんた、そんな適当なこと言って。若い子だと鵜呑みにしちゃうでしょうが」
「大丈夫ですよ。わたしたちの現場はただの保養施設・・・・ですから」

 女性はブロンドのミディアムヘアを揺らし、にっこりと微笑む。
 刹那の後、慌てて口元を押さえる仕草を見せた。

「はははっ、嬢ちゃん嘘がつけないタイプだねぇ」

 すっかり気を許した女性店主が自分の太腿あたりを平手で叩く。

「ごめんなさい。上司に怒られるので、今の話は……」
「ああ、大丈夫だよ。今の政策は甘い汁吸って生きてる奴ら以外は全員不満に思ってるから」
「うう……」

 女性は恥ずかしそうに俯く。

「でもアレだ。このタイミングで大規模改修工事が入るってことはグスタフ市郊外だね」
「……えーと」
「地元の人間ならみんな知ってることだよ。古い施設にも関わらず、今でも稼働してるみたいだから」
「よくご存じで」
「地元民のネットワーク舐めんじゃないわよ」

 女性店主は恰幅の良い身体で豪快に笑う。

「あはは……そうだ、おかみさんなら知ってるかな。工事の際のお弁当頼んでる業者さんにここ数日連絡が取れなくて。直通の番号知ってると嬉しいなぁ」

 買い物客の若い女性は向日葵のような笑顔を浮かべ、店主に擦り寄る。

「じゃあ、うちの電話使いな。番号はメモしないでね」
「ありがとう! じゃあ、早速ー」

 きゃあきゃあと黄色い声をあげる女性に店主は「まあ、こんな能天気な子なら万が一もないか……」とスマートフォンを取り出してメモリから番号を呼び出し、零れるような笑顔の若い女性へそれを手渡した。

「あ、もしもし。お忙しいところ失礼します。わたくし、ルマ建設総務部のルシオラと申します。担当のオラフさんはいらっしゃいますでしょうか? ええ、数量の変更をお願いしたのですが、お返事がなかったもので――ええ、ええ。システム障害ですか、大変ですね。申し訳ないのですが、急いで変更のほうをお願いしたく――はい、はい」

 スマートフォンを両手で持ち、壁に向かって何度もお辞儀をするさまはどこからどう見ても会社の人間で、警戒していた店主も杞憂だったねと大きく息を吐き出した。

「ありがとうございました。ではわたしはこれでー」
「……ちょっと待ちな」

 意気揚々と店から出ていこうとする女性を店主は引き留める。

「買い物、そこに忘れてるよ」

 まったく、この娘は何をしに来たんだか――慌てて戻ってきた女性に店主は呆れ顔で二つの重い荷物を手渡すのだった。


「アルファチーム、戻りました」

 ウィークリーマンションの一室に元気な声が響く。
 薄明りだけが灯る陰湿な室内にはひりついた空気が充満していたが「えーと、おやつです」という彼女の声を聞き、強面の男性たちが表情を崩してわぁっと紙袋に群がる。

「頼んでたチョコレートバーあった?」
「そのシリアル俺のだからな、お前たち勝手に食うなよ」
「買ってきてもらった材料で今からパンケーキ焼くけど、食べる奴いるか?」

 その厳つい容姿からは想像し辛いが、甘党の多い部隊・・にとってこの時が唯一気を休められる瞬間だった。

「フォリシアさん、お疲れ様です」

 男性たちの壁を掻き分け、平服姿のアレクが苦笑いを浮かべながら彼女に近付いてくる。

「はい、アレクさんのチョコパイ。あとこれは前々から頼まれてた情報です」
「というと……所在が?」
「はい。現地の方々に聞き込みを重ね、こちらのものと照合して最も精度の高いものです」
「ありがとうございます。会社勤めよりもこういった活動のほうが向いているのではないですか? その気がありましたら推薦を出しておきますので」
「あはは……考えておきますね」

 アレクが真剣な表情で言うものだから、フォリシアはチョコパイの紙箱と小型記憶媒体を手渡し、速やかに部屋を後にした。
 静かに扉を閉めて、仄暗い廊下で胸元を押さえながら深呼吸をする。
 ノーストリア民が皆悪い人間ではないことなど知っている。
 選民思想の塊であり、他の人種を見下す傾向・・があるというのもマスメディアの印象操作によるものであり、他者を非難することで自らを正当化させようという見え透いた拙い思考によるものだ。
 そうして両国間の溝は広がっていき、そういった一部・・の人間の言うことを真に受けた人間がさらに拡散し、多人数派となる。

――民衆は容易に煽動され、思考力を失う。

 人類が地球にしがみ付いて生きていた頃から変わることのない業。
 それでも、領土を侵略した事実は変わらない。
 フォリシアは完全に彼らのことを信じることが出来ず、紺のロングスカートをぎゅっと握りしめる。

「お、フォリじゃんか。買い物から帰ってきたとこか?」

 廊下で彼女が重い重いため息を吐こうとしていると、見知った顔が声をかけてくる。

「レックス。ううん、何でも――いや……ちょっと付き合ってくれる?」

 彼はフォリシアの瞳にいつものような輝きを感じられず、頭を二、三度掻くと先を促す彼女の後に続いた。



  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project

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