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彩りを連れて 三
出そろった買い物リストからどこで一番安く買えるかを吟味して、立花くんと美玲ちゃん(と呼んでと言われた)、晴くんと私でそれぞれ別方面に買い物に行く事になった。お互い帰る方面の近くの店で買い物ができるようになっている。だから、私は晴くんと帰る方面が同じらしい。と言っても、使う駅が同じというだけでそこからは反対方向らしいのだけど。
「俺、部活入ってないんだけど、いっつも図書室であいつらの部活終わるの待ってたからさ。それに真緒って早くに学校来るだろ? だから同じ方面に帰るの知らなかった!」
買い出し終わりに駅に向かう途中で晴くんはそう言った。
「私も」
人と話すことに慣れていないせいで短い言葉しか返せない。
それでも晴くんは屈託なく笑ってくれる。
「な! びっくりしたな……。真緒っていつも何時くらいに学校着いてるの?」
「えっと……ホームルームの一時間前くらいかな」
ただの事実を言ったら、晴くんは大きく目を見開いた。
「早っそれ何時起き?」
「いつもは五時半に起きてるよ」
「五時半!?」
晴くんが信じられないという顔でこちらを見る。
「俺絶対そんな時間に起きれないよ……。真緒の家ってそんなに遠いの?」
「あ、違うの。学校自体は六時半とかに起きても間に合うよ」
「じゃあなんで五時半起き?」
純粋な疑問に一瞬言葉が詰まってしまう。
「勉強のため、かな」
その言葉を取ってつけるように発すると、晴くんがちょっとだけ不思議そうな顔をした。その表情に思わず冷や汗が流れたけど、晴くんはすぐにあっけらかんと笑った。
「だからあんなに成績良いんだな!」
私たちの学校では定期テストの上位十名が科目ごとに貼りだされる。結果がまる分かりなので私としてはあまりやってほしくない。
「いっつも総合一位取ってるからさ、どんな勉強してんだろって思ってたけど、起きる時間から違ったんだな~」
俺なんて起きてても動画とか見ちゃう、と苦笑いする晴くん。でも彼もかなりの確率で上位十名に入っている。勉強しかできない私よりもよっぽどすごいと思う。
そう素直に言えば良かったのかもしれないけれど、喉元から言葉は出てこなかった。
「どのくらい勉強してるの?」
代わりに、ではないけれど晴くんにそう問われて私はまた言葉を詰まらせた。
「……数えたことないかも」
「え、そんなにしてるんだ。疲れない?」
心配そうに私の顔を覗き込む晴くんから目を逸らしてしまう。
少しの沈黙の後に、晴くんはこう言った。
「……実はさ、ちょっと気になってたんだよね、真緒のこと」
その言葉の意味を上手く理解できなくて「え?」と思わず声に出すと、晴くんは「あっ俺また変なこと言った! わりぃ」と謝ってきた。
「でもさ、俺語彙力ないから『気になった』としか言えねーんだよな……。休憩中とかもずっと単語帳開いててさ、やっぱ一位取る人は勉強量違うなぁとか呑気に思ってたけど、どっか人を遠ざけてるようにも見えた。けどグループワークの時は意見出してくれるし、この前写真頼んだ時も引き受けてくれてさ。……それで、勝手に思ったんだよ。もしかして単に人と話すのが得意じゃないだけで関わりたい気持ちはあるんじゃないかって」
色々と驚きすぎて思考が上手く回らなかった。私の事なんて視界に入っていないと思っていたのに、気にかけてくれていたんだ。気にかけてくれていた、なんていうのは、烏滸がましい気もするけど。
「それでちょうど文化祭もあるし、同じ班になって話してみようと思った」
晴くんが一番最後まで残っていたのは、私の班が決まるまで待っていたから。次々降りかかる予想外の事実に頭が追い付かない。
「迷惑だったらごめんな。でもさ、やっぱり一人でいるのって普通に寂しいじゃん。あ、もちろん一人が好きな人もいるだろうし、そういう人は特に寂しくないかもだけど!」
どこかの誰かを慌ててフォローしてから、晴くんは緩く笑って言った。
「でも、真緒は違うって思ったから」
「……どうして?」
気になって、聞いてしまった。
私は、一人でいるのは仕方ないことだと思っていた。だから、特に寂しいと感じているつもりもなかった。一人でいることは好きじゃないけど、かといって嫌いでもない。強いて言えば、何も感じていない。
そんな私を見て、晴くんは、寂しそうだと、思ったんだろうか。
「真緒、俺たちが騒いでるとき、視線を向ける時があるから」
ドキッとした。まさかそんなところまで見られているなんて。
「や、分かるよ? あんだけ教室で騒いでる奴らいたら俺だって気になるし。でも、真緒の目は厳しいものじゃなくて、どっちかっていうと優しい。だから、人との関わりを閉ざしたいわけじゃないのかなって……勝手な予想」
違ったかな? と晴くんは私の顔を見て言う。
私は、すぐに言葉を返すことができなかった。
人と話すのは怖いことだと思っていた。今も、その気持ちはある。晴くんたちとの関係だって、文化祭という期間限定のもので、その間をぶつからずに生きていければそれで良いと思っている、はずだ。……でも、彼らに羨望の目を向けていたのもまた、事実だ。あんな風に軽口を叩きあえるような誰かができるなんて、夢のまた夢だと。でも確かにそれは『夢』で、叶えたい事柄だったのかもしれない。
「……出来るかな」
「ん?」
ポロっとこぼしてしまった言葉に、晴くんはすかさず反応する。
「私も、友達、出来るかな」
「もちろん!」
晴くんはニカッと笑って言った。
「だって俺、真緒の友達になりたいもん!」
その言葉を聞いて、なぜか泣きそうになった。それは、ずっと押し殺していた夢が叶おうとしているからかもしれない。
だから、嬉しくて、どうして夢を押し殺していたのかなんて、その時は考えなかった。
「ただいま」
「おかえりなさい」
私が抱えている荷物を見て、お母さんが驚く。
「それは?」
「あぁ、これはね、文化祭で買い出し担当になったからその荷物だよ」
「文化祭……そういえばそんな時期ね」
早く荷物を置こうと小走りに自分の部屋に向かうと、後ろから「待って」と声がかかる。
立ち止まるけれど、後ろを振り向けない。
「買い出しに行っていたから今日は遅くなったの?」
「……うん」
お母さんが何か思案している。嫌な予感がする。
「何とか他の班に入れさせてもらうことはできないのかしら」
ニカッと笑う晴くんの顔が脳裏に浮かぶ。
「真緒の帰りが遅くなるのが心配なの」
お母さんが心配しているのがそこじゃないことくらいは、十数年一緒に暮らしてきたから分かる。
「ごめん。クラスで決めたことだから、それは難しいと思う」
振り返って困り顔を作って言うと、お母さんは「そう……」と残念そうな顔をした。
「クラスの子たちが真緒は買い出し班が良いって言ったの?」
それでも食い下がってくる。
「……会計担当も必要だからさ。私が適任じゃないかって。帰りにお店寄れるし」
それは、半分本当で半分嘘だった。実際、買い出し班に決まってから立花くんと私で予算の管理をすることになったけれど、それは成り行きで決まったことで、最初から推薦されていたわけじゃない。
「そう……。でも帰りはあまり遅くならないようにして頂戴ね」
お母さんは、“心配そうな顔”を崩さない。
「……お母さん」
一呼吸おいて、私はお母さんを安心させるためにこう言った。
「私、文化祭の準備が始まっても、勉強はするから大丈夫だよ」
そしたら、お母さんはやっと「そう。でもあまり無理はしないでね」と笑ってくれた。
「うん」
私も何とか笑顔を返して、自分の部屋に帰る。
ドアを閉めて、もたれかかって、そのまま座り込んだ。
そうだ。私は、勉強だけしていれば良かったのに。
今日一日だけで友達が出来たような気になって、これから先の日々に期待してしまうなんて、浮かれすぎだ。これから衝突してしまう可能性だって十分あるのに。
晴くんたちとの関係はあくまで文化祭の期間限定のもの。それ以上は関わらない。別に何が変わるわけでもない。ただ、あの奇跡みたいな時間が訪れる前に戻るだけ。
だから、大丈夫。何も寂しいことなんてない。
気持ちを切り替えて、参考書を開こう。勉強を始めてしまえば、悩む暇もなくなる。
しっかり、しなくちゃ。
私は、お母さんに応えてあげないといけないんだから。