『エンドウォーカー・ワン』第31話
「なぁにぃよ! あの戦いかたはッ! 男の子らしく正々堂々と戦いなさい!」
エターブ社の別練で行われていた戦闘シミュレーション終了後、フォリシアの金切り声が広い室内に響き渡った。
女性らしい丸みを帯びたフォルムが顕わになるスーツは内面に血管のように張り巡らされておりチューブには循環液が流れ、体温調整と耐Gスーツ両面の役割を果たしていた。
乗員用に開発中である第三世代EHSは軽量かつ薄型で、刺突・防刃効果も付与されており生存率を向上させるものとされている。
彼女は煽情的で凹凸のはっきりとしている肢体を張り上げて、横のシミュレーション室に入っていたレックスにかん高い声で抗議し続けた。
彼はハッチをすぐには開かず、疑似コクピットで嵐が通り過ぎるのを待っていたが「出てきなさいよ、この臆病者!」という台詞に何かが音を立てて切れてしまう。
「だぁーれが臆病者だ! 距離取って戦うのは常識だろうが。お前こそ格闘戦に持ち込もうとしてバカ正直に被弾してるんじゃねーよ! そのデカい胸に脳の栄養取られてるんじゃねえの?」
「でかっ……聞きました!? セクハラ発言ですよ! セクハラ!」
「パワハラ常習犯が言えたことかよ!」
ぎゃあぎゃあと距離を詰めながら騒ぎ立てる二人。
外野は相も変わらない日常の光景に苦笑いを浮かべながら各自の作業を進めている。
「止めるべきかな?」
「やらせておけばいいさ」
水鏡のように表情を保ったまま評価シートに書き込んでいたノインに心配しそう話しかけるアルファ。
彼女はイリア・トリトニアという身分を隠し、アルファとして「協力者」という体でエターブ社に身を寄せていた。
ただの昼行燈では自身や内部からも不満の声が上がるので、特殊作戦群所属の経験を活かし講師役として社に招いた形となる。
「んー……でもさ」
悪魔さえ恐れおののくというクラス5の戦略級魔法使いが頬を紅く染める。
「なんだ」
「いやね。あの二人、いっそのこと付き合ったら上手くいくと思うんだ」
アルファは色恋沙汰が好物なのだろうか。
隠すことなく嬉しそうな桃色の感情を醸し出し、まるで名案と言わんばかりに熱い吐息混じりに言ってみせる。
「アレを見てもそう思うか?」
狭い通路で線の細いフォリシアに組み伏せられるレックス。
「ギブギブっ! 関節外れちまう!」
悲痛な彼の願いは彼女には届かなかったのだろう。
普段の愛らしい顔立ちからは想像できないほどの形相を浮かべ、青年の腕をあらぬ方向へギリギリと締め上げる。
ノインが見事な極め技に感服していると、ゴキッという鈍い音が周囲の者の耳へ飛び込んできた。
「ぎゃあぁぁぁッ!?」
レックスの悲痛な叫び声が響き渡り、これには流石の常連たちも目を剥いた。
「喧嘩するほど仲が良いって言うしねぇ」
場が騒然とする中、アルファは独り咲き盛りの花畑で踊っていた。
「さて、何で呼ばれたか分かっているか」
「あの乱闘騒ぎだろ。ちくしょ、まだ痛むぜ」
個人面談室でノインとレックスが小さなテーブルを挟んで座っていた。
白を基調とした室内はそう広くはなく、まるで取調室のようだ。
「お前もいい歳だろう。挑発に軽々しく乗ってどうする」
「女に舐められるのは我慢できないんだ。ましてやあんな牛女に!」
「そんな彼女に欲情してるのはどこの誰だか」
「なっ……」
青年は口を半開きにして絶句する。
気が付いていないのは当事者だけという何とも滑稽な有様に、ノインは深く息を吐き出して「あのな」と極めて冷静に語り出す。
「好いている相手にあの態度はないぞ。もう少し自分に正直になったらどうだ」
「DTな隊長に言われたくねーって」
「ディーティー? 何かの作戦用語か?」
「やっぱな」
いつの間にか立場は逆転し、レックスは椅子に深く腰掛けて首を横に振る。
純粋に知的好奇心を満たしたい年長者は身を乗り出し「DTとは何だ。教えてくれ」と純粋な眼で彼に問いかけた。
そこに邪な思いや策略などはなく、ただただ未知の言葉の真意を知りたいのだなとレックスは眩しいほどに感じ取り「……童貞のことだよ」と歯切れ悪そうに言葉を漏らした。
「女性経験のない男のことだろう。確かに俺にはないかもしれないが、それのどこが問題なんだ?」
ノインの言動に悪意などは微塵も存在しない。
純粋な好奇心だけを胸に自分と語り合っているのだなとレックスには感じられた。
だからといって、俗世のありのままを伝えるのは何か違うと考える。
「変なことをたずねてしまってるのは承知している。だが、このことを女性に聞けるわけがない。教えてくれ、何が問題なんだ?」
言葉を何度も反芻するレックスを見、ノインは内情を垣間見ようともせずにもどかしい思い一つで彼の肩を掴む。
「ははは……こりゃあ、ハードだな」
就職難だとはいえ、とんでもないところに来てしまった――青年は後悔の念を強く胸に刻んだ。
「それで、どうしてあんなことをしたの?」
同刻。
彼らとは別の面談室で口元を緩ませたアルファが頬杖をついて物腰柔らかにフォリシアに問いかけていた。
「売られた喧嘩を買ったまでですよぉ!」
反面、未だに苛立ちが収まらないといった様子の薄紫色の瞳と小麦肌の女性。
エンハンスドと呼ばれる若い世代によく見られる淡い色素を煮えたぎらせ、両手を強く握りしめて怒りを顕わにしていた。
「なーにが『牛女』よ! いつもいつも目を見て話さないで、胸元ばかり見ちゃって」
「それだけ異性として魅力的なんじゃない?」
「ええぇ……あんな汚らわしい視線受けて、嬉しい女なんかいませんよ。特に興味のない相手からの好意だなんて、気持ち悪いことこの上ないですって」
フォリシアは思い切り口元を歪め、ペッペッと唾を吐く素振りを見せる。
見守るアルファの側としてはそれも照れ隠しのように思えた。
本当に興味のない相手ならば相手にはしないだろうし、身体を密着させての喧嘩などは到底考えられない。
「最近ちょっと筋肉ついてきたからって、生意気なんですよアイツ」
湿った唇の隙間から言葉が漏れ出す。
入社当時は軟弱な身体つきだったというのに、ここ最近の彼はすっかり男性のシルエットになってきている。
それを強く意識し始めたのは、自由時間に室内プールで彼を見かけた時からだ。
レックスよりももっと逞しい身体つきの男性はいくらでもいるというのに、何故だか彼女は「それ」から目が離せなかった。
フォリシアが最も禁忌としていることがある。
それは「男性を恋愛対象としないこと」だった。
同じ女性が好きなわけではない。ただ、永遠を誓い合った恋人を喪うあの辛さを二度と味わいたくないだけだ。
だというのに。
「レックスのことが気になるんだ」
「そんなこと……ぅ。ぁ……は、はい……」
アルファの問いかけに対し、フォリシアは熱っぽい頬を確かめるように両手で覆い、こくりと頭を垂れた。
執筆・投稿 雨月サト
©DIGITAL butter/EUREKA project
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?