夏の日の思い出 1
夏になると思い出す。
あの日の想い出、セミの鳴き声と照りつける太陽に、僅かに荒れた道を二人で歩いていた。
その時の俺はまだ今の俺になる前の俺。
その時の俺の記憶はその全てが朧気なのにただそれだけは覚えていた。
何故、それだけ覚えているのか、未だに分からない、それでもただ俺はその記憶中にいる彼女に会いたい今の俺の中にはその欲求だけが強く焼き付けられている。
忘れられない情景を胸に俺は電車に揺られていた。
「もうあれから三年か......」
どうも感慨深く声が出てしまった。
故に思い出す、俺が俺でなくなった瞬間を。
振り返ること三年前、俺は事故にあったらしい、気が付けば病院のベットの上だった。
「......さん大丈夫ですか?」
「あっ、はい」
目を覚ましたが頭がボーとしてた俺に看護師は声を掛けてきた、名前を呼ばれ初めて気がついた。
突如として声を掛けられたので返事が空返事になってしまった。
うーん、何処か違和感がある、体はまぁ恐らく事故にあったのだろうと言う事は分かる体中から迸る痛み、特に頭が酷い。
「あのー」
「はい?」
「俺って事故にあったんですか?」
「えーと......」
「?」
どうも困った様に返答に詰まる看護師、流石に事故にあった当事者から「事故に会いましたか自分」と言われれば返答に困るのは当然だろう。
俺がじっと看護師の顔を見ていると、僅かに逡巡していた彼女は決心を決めたようだ。
「はい......」
「なるほど」
まぁ、なんというか、あまり何も感じないと言うのが素直な感想だ。
何故かは分からない、ここは普通取り乱すべき場面なのか? なんというかそれとも以前に同じような経験をしていたからか? 過去の記憶を思い出そう。
あれ? おかしい、まさか、これは、思い出せない。
まさか、どれだけ思い出そうとしても思い出せない、というより何も無い。
まさか自分がそうなるとは。
今も俺の健康状態をチェックしてる看護師に向け俺は衝撃的な言葉を告げる。
「すみません」
「はい、どうかなさいましたか?」
「どうかなさったと言うか何というか......俺、記憶喪失みたいなんですけど」
「えっ?」
まさに鳩に豆鉄砲という感じのリアクションをとった彼女は戸惑いながら俺の担当医を呼んでくると言いながら恐らくその担当医の名前を叫びながら病室から出ていった。
しばらく戻ってきそうに無いので、担当医が来るそれまでふかふかのベッドで寝ようかと思ったが麻酔が聞いてるとはいえ体中から悲鳴が上がっている、この状態で寝るのは無理だ、なら窓の景色でも見て待つか。
「はぁ、暇だな~」
なんとも、自分でも気の抜ける声を出しながら。
「はぁ~」
何回かも知れぬ溜息を吐く、待つこと一時間、この病院は行って来るまで往復三十分も掛かるのか? いやそれはあり得ないだろう何かあったのだろうか?
「どうもお待たせしました」
「あっどうも」
やっと来た白衣の医者は、どこか貫禄がある男性だった。
苦笑を携えて入ってきた彼はこちらに近づきながら自己紹介を始めた。
「どうも......さん、私は貴方の担当医をさせていただいた、守(まもる)です」
「守さん」
噛みしめる様にその名前を口ずさむ、自分の命を救ってくれた恩人だここは感謝を述べるべきだろう。
「守さん、ありがとうございます」
「いえいえ、患者の命を救うのは当然ですから」
何と立派な志の人だろう、この人はまさに聖人では? 関心は後にして先程から俺は気になることがある。
「あのその隣の方は」
そうだ、白衣を着た聖人守さんの隣には黒いスーツを着た初老の男性がいた。
「申し遅れました。私の名前は黒木(くろき)と申します、仕事は主に政治関係をしています」
「なるほど?」
政治関係をしている人が何故ここに、もしかして俺が事故にあったのと関係があるのか?
「あー、混乱されていますね、まず私が事情を説明しましょう」
そういったのは守さんだ、説明された事情としてはこうだ、まず俺がこうなった原因としては車の衝突事故らしいがそこのどこに黒木さんが関わってくるのかと聞いたところ。
俺を跳ねた車が黒木さんの息子だったらしい、なるほど確かにこれは関係者だ。
そこからの話は簡単だ、黒木さんの息子は俺を跳ねた後逃げ去ったが、偶然通り掛かった人が俺を発見し救急通報、救急車に運ばれた時点で心停止していたが何とか心肺蘇生し、病院に付き次第この病院一の医者つまり守さんによって治療され一命を取り留めたらしい。
守さんが言うにはこうして喋れるだけでも奇跡に近いのだとか。
「なるほど、でもこれで終わりという訳ではなさそうですね」
「まぁそうですね」
「息子がやった事を聞きつけ私は、まず貴方に謝罪を申し上げたかったのですが、昏睡状態で面会が叶いませんでした、ですのでせめてもの罪滅ぼしの一つとしてこのVIP専用の部屋を貴方にと」
まさかのVIP専用の部屋とは確かによく見れば一人部屋なのに広しベットも柔らかくでかい、だがまだ何かあるのだろうと、再び黒木さんの話に耳を傾ける。
「それから一ヶ月経った今日私は貴方が目覚めたと聞きつけ駆けつけたのですが貴方は記憶を失ったと聞きました」
「そうですね過去のことはもうさっぱり覚えてません、自分が事故にあった事も自宅の場所そして名前も」
「......本当に申し訳ありませんうちのバカ息子のせいで」
「その何です頭を上げてください、悪いのは黒木さんでは無いんですから」
「いえ、私は貴方に頭を下げなければなりませんなぜならこれから私は貴方にあまりにも理不尽な要求をするのですから」
「理不尽な要求ですか?」
「はい、私は政治関係の仕事をしていると言いましたね」
「はい」
「私にはこの状況は非常にまずい事態なのです、何せこれから選挙に出ようという者の身内が大きな不祥事を起こしたのですから」
「......」
俺は黒木さんの言い分を黙って聞き続ける.、何かをいうのはそのあとでも十分だからだ。
「私は、この国を本気で変えたいと思っています。ですがこの不祥事もし世間にしれてしまえば選挙にでるどころか私の政治生命も終わるでしょう、故に私は貴方に要求します」
その要求は実にシンプルなものだった、それは膨大なお金の代わりに事故の事を黙っていてほしいというものだった。
まぁ確かに一番ベターな要求だろう、色々察しがついた俺の答えは決まっていた。
「では、失礼しました」
黒木さんは病室から出る際にそう言い残し出ていった。
「良かったんですか?」
そう言ってきたのは守さんだ。
良かったというのは、あの要求を受けて良かったのか? という意味だろう。
「ええ、何というか事故にあって頭の中身が吹き飛んだせいなのか精神的に逆に落ち着いてるんですよね、身体は滅茶苦茶痛んでるんですけどね」
「これはすみません長話に付き合って下さりありがとうございます、それでは体の調子が戻り次第リハビリを始めましょう、それまではお休みください」
「はい」
病室から出ていく守さんに頭を下げると、扉が閉められる。
一人になった病室の窓から小さな風とセミの鳴き声が入ってくる。
俺は窓を眺めながら一言。
「寝るか」
そう呟き意識を閉じた。
そうここからだ、今の俺が始まったのは。
本当に懐かしい記憶だ......あの病室から始まった。
これは今の俺の記憶、今の俺の思い出ここから始まる冒険の軌跡だ。