亡霊が見る夢 第1話(王立相談所)
赤レンガ倉庫の通りをトーマスは歩いていた。
今から普段通り仕事場に通うのだ。
トーマスはどこからどう見ても没落した貴族だった。
少々いいコートを着てはいるものの、古ぼけており、青年の顔をしているがセンスは既に老人、貴族は古いものこそ品が宿ると信じて疑わない。
一方、世間では新技術の誕生によってお祭り騒ぎだったが、トーマスはラム酒による二日酔いなのか、それとも気晴らしをする手段がどこにもないからなのか、あるいは両方なのか、気だるげな表情で王立相談所に向かっていた。
王立相談所は市民の困りごとを尋ねて回る組織で、言ってしまえば国営の便利屋、悪く言えば国営の雑用係だ。
老人のような服装をしているが、こう見えてトーマスは公務員なのである。
まあ、実に人間らしい公務員には愛嬌があると言えなくもないが。
そして今は、その滑り止めの仕事先に向かっている最中だ。
馬車代は出し渋り徒歩で仕事場まで向かう。
街はパレードでにぎやかだった。
トーマスは没落していても貴族ではあるのである程度教養はある。
が、パレードで騒いでいる道化師たちは文字の読み書きはおろか、話をすることさえままならない。
教養のない人間は人間ではないとトーマスの父は厳しく教育してきたものだが、没落してしまえば立場はあの道化師たちと同等であり、人間はそんな状態になっても生かしてもらえる、と今となってはトーマスの安心材料になっている。
それはさておき、トーマスは王城の敷地内に設置されている王立相談所の門をくぐり仕事場の敷地の中に入り、身なりを整えた近衛騎兵に丁寧な挨拶をすると職員担当の入り口から建物の中に入った。
建物の中はいたってシンプルであり、赤いレンガの外壁から内壁までもが赤いレンガだ。
小さな硝子窓から明かりが少しだけ入ってきているが、頼みの明かりはランプによるものだった。
トーマスが尋ねた相手は簡素な木でできた机に座っていた。
机の上には書類が山積みだ。
トーマス
「マスター、きたけど、話は何だい?」
マスター
「よせ、単刀直入すぎる。まずは軽く雑談から入るのが貴族の礼儀では?」
マスターは初老と言うには少し若く、どう言い表したらいいのか分からない外見をしていた。
実年齢こそ分からないが、服がしっかりしているため若く見えるのだろう。
トーマス
「そんな話親父から言われたことないよ。でもまあ、最近は新聞すら買ってないからな。ここは相談所だし、話をするくらいならいいんじゃないかな?」
マスター
「よしよし、仕事に慣れてきたな。それじゃあまずは、先日尋ねてきた2番地の夫人の葬儀の話をしよう」
トーマス
「わかりました」
マスター
「葬儀は延期になった」
トーマス
「へー」
マスター
「それからだが、働きすぎで倒れたガキが一人相談に来た。技師のところへ送ったよ」
トーマス
「へー。葬式の延期に生き埋めになった少年が無事生還。一体何が起きているんですかね、世の中では」
マスター
「俺もよく知らないが、新技術が誕生したそうだ。なんでも、死にかけた人間を元の状態に戻しちまう魔法みたいな技らしい」
トーマス
「魔法って、まあ、自分からしてみたら蒸気機関車も魔法みたいなものですからね。疑う根拠はありませんが。なんであんな鉄の塊が走ってるんでしょうね? 馬のほうが安定ですよ」
マスター
「やれやれ、考え方が老人だな。これからお前に頼む仕事は結構難解だぞ。頭をリフレッシュするためにラム酒でも飲んで来い」
トーマス
「あー、だめだめ、酒なんていくらのんでもダメなんですよ。なかなか気持ちが晴れなくてね」
マスター
「お前も一度魔法にかかったらどうだ? なんでも、新しくできた劇場では人々を面白がらせる催し物が毎日行われているそうだぞ」
トーマス
「考えておきます。それで、仕事のお話は?」
マスター
「税金の証明書の写しだ。目を通してくれ」
そう言ってマスターは机の上に積まれていた書類を指さした。
マスター
「文字は読めるし計算もできるな?」
トーマス
「ええ、こう見えて平均的な学力はあるつもりです」
マスター
「じゃあ、その税が本当に正しいのか確かめてきてくれないか?」
トーマス
「そういうのは近衛兵にやらせてはどうでしょう?」
マスター
「兵隊が計算なんてできると思うか? 計算は合ってるのに兵隊の勘違いで税を追加で取り立てちまうなんてよくある話だ。それに、平民には博愛の心をもって接するのが貴族と兵士の務めだ、分かるね?」
トーマス
「確かに」
トーマスは何となく思った。
強盗や暴漢の類は兵士が力でねじ伏せる。
が、この書類に書かれている文字の類は兵士の腕力でねじ伏せられない。
だからトーマスが呼ばれた。
そんなところだろう。
なかなか合致した人選ではないだろうか?
トーマスは洗濯が行われている現場に向かおうとしたら、人とぶつかった。
相手は謝罪の言葉も述べずその場を立ち去った。
とはいえ、ぶつかったぐらいで腹を立てていては英国紳士の名が泣くだろう。
ぶつかったぐらいで腹を立てていては日が暮れるとも言うのだが。
それはさておき馬車代を出し渋り、少し離れた洗濯所まで向かうのだった。
と思ったら、さっきぶつかってきた通行人がトーマスを呼び止めた。
通行人
「おい、そこのあんた」
トーマス
「なんだい?」
通行人
「これ返すよ」
通行人はトーマスの財布を持っていた。
ぶつかってきた相手はただの強盗だったのだ。
通行人
「貧民から金を奪うほど心が汚くないんでな」
トーマスは財布を受け取った。
中身は一切手を付けられておらず、無事だった。
トーマス
「強盗するほど金が本当にないようだったら、俺の職場である王立相談所へ行くといいぞ。あそこはいろいろと便利だ」
通行人
「まあ、考えておくよ」
財布は異様に軽く、英国紳士の名は泣いたな。
が、職務は果たしたか、仕事熱心だな。
そんなトラブルがありながらも、トーマスはランドリーメイドが多数出入りする洗濯所までやってきた。
洗濯技術は最新のものが使われているようで、メイドたちが身に着けている服はとてもきれいだった。
いい香りもする。
薄汚れたトーマスはそんな中を歩いてメイドの一人に声をかけた。
トーマス
「こんにちは、王立相談所の者です。ここの支配人に話をお伺いに来ました」
ランドリーメイド
「案内します、こちらへどうぞ」
トーマスは仕事場を通り抜けて奥の事務所まで進んだ。
そこでは洗剤の香りは漂わないが女性の支配人が指揮を執っており、実にランドリーメイドをまとめるにふさわしいな、とトーマスは思った。
ランドリーメイド長はオフィスの椅子から立ち上がると、トーマスに挨拶をした。
ランドリーメイド長
「ごきげんよう」
トーマス
「えーっと、ここは洗濯所であってるかな? まあ、見れば分かると思うけど」
こういう調査は初めてなのでトーマスは多少緊張していた。
各所動作にも挙動の不審さがみられる、がランドリーメイド長はそんなこと気にしていなかった。
赤レンガがいかに優雅に建ち並ぼうとも、無作法な人間への情というのは誰しもが持っているものだ。
でなければ、表通りでサーカスなんてしていないだろう。
トーマス
「えーっと、あなたは、算術はできますか?」
ランドリーメイド長
「申し訳ないのですが、少し怪しいところがあります」
トーマス
「そうですか、では、こちらをご覧いただきたいです。去年納めて頂いた税金の書類です。この数字通りで間違いないですか?」
ランドリーメイド長
「少しお待ちください、控えを保管しておいたはずです」
そう言ってランドリーメイド長は引き出しから一枚の紙を取り出した。
トーマスはその内容と王立相談所に持ち込まれた数字を確認する。
金がなく落ちぶれようとも、知識は離れていかないのが素晴らしいところだな、とトーマスは思った。
が、洗濯所の記録と王立相談所に寄せられた内容に食い違いはなかった。
なので、ここの洗濯所は見当違いだったというわけだ。
トーマス
「有難うございます。助かりました、何も問題はありません」
ランドリーメイド長
「そうですか、光栄です。ところで、あなたのコートを洗っていきませんか?」
トーマス
「ああ、いえ、結構です。既に古着なので」
ランドリーメイド長
「あらあら、見たところ没落した貴族のようですが、お洋服から気品が漂わなければ紳士とは呼べませんよ?」
トーマス
「そうですか、では、お願いしましょうか」
そう言ってトーマスは上着をメイド長に預けるのだった。
しばらく時間を持て余してしまうことになる。
王立相談所には仕事を効率よく進めろと言われるだろうが、トーマスを監視する手立てはない。
そもそも、うすうすトーマスもコートを洗わなくてはと考えていたところだ。
今がチャンスだろう。
ところで、トーマスは洗濯所の表玄関でランドリーメイドの服に身を包んだ少女が一人座っていたのを見た。
サボりだろうか?
まあ、仕事を無休憩で行えば誰だって力尽きてしまう。
多少のさぼりを容認するのが賢い経営者だ。
が、そのランドリーメイドの様子があまりにもおかしいのでトーマスは声をかけることにした。
なにせ、トーマスは服を洗ってもらっているのに、そのランドリーメイドの服はボロボロだったからだ。
トーマス
「こんにちは、王立相談所の者です」
ランドリーメイド
「……」
ランドリーメイドはトーマスの声にこそ反応したが、返答はしなかった。
というより、声が上手く出せないのだろう。
次第に、ランドリーメイドはある仕草を始めた。
それは物乞いの仕草だった。
トーマス相手にお金をくれと申し出ているのだ。
しかも、とてもぎこちない仕草で。
この運動能力で仕事が務まるとは思えないし、喋ることもできないのでは当然仕事どころではないだろう。
その時、洗濯所からランドリーメイド長が現れた。
ランドリーメイド長
「トーマスさん、コートが仕上がりましたよ」
トーマス
「助かります。ところで、この子は一体どういうわけでしょうか?」
ランドリーメイド長
「ああ、この子は、働きすぎで倒れてしまって、最近流行の秘術を用いたのですが、ごらんの有様です。もうじき、教会に預けようかと考えています」
トーマス
「最近流行の秘術?」
ランドリーメイド長
「私も詳しくは知らないのですが、なんでも動かなくなってしまった人間を再び動けるようにする魔法だとか」
トーマス
「詳しく教えて頂けますか?」
ランドリーメイド長
「申し訳ないのですが、私も詳細のほうは理解しておりません」
トーマス
「そうですか」
そういうわけで、トーマスは洗濯所を離れた。
が、さっきの働けなくなったランドリーメイドの姿が脳裏から消えなかった。
そう言えば、彼女はもうすぐ教会に預けると言っていたが、受け入れ先である教会はどんな状態なのか?
気になるが、トーマスの今の仕事は税金がきちんと支払われているか調べることだ。
それなので、仕事に集中することしかできなかった。
次はある貴族の調査だが、トーマスは没落したとはいえ貴族なので、貴族という生き物がどんな存在なのか何となく予想がつく。
それなので、考えたくない相手について考えるのをやめ、心を静めて貴族の屋敷に赴くのだった。
制作 秋照様
投稿 笹木スカーレット柊顯
©DIGITAL butter/EUREKA project