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夜明けは天使とうららかに 2-2
〇 〇 〇
「ただいま」
玄関のドアを開けると、少し間を置いてお母さんがリビングから出てきた。
「おかえりなさい」
と心配を隠し切れない表情で言って、
「今日はどうだった?」
と聞いた。
僕は、どう言おうか少し悩んだ。別室登校自体は、大丈夫だったどころかリセのおかげで楽しかったとさえ言えるけれど、一番最後に起こったことは、まだ僕の頭を悩ませている。
「別室登校は、大丈夫だったよ。自分のペースで勉強できて良かった」
結局僕は嘘じゃないことをお母さんに言った。
「そう、良かった……」
お母さんはそう言って僕を抱きしめる。ちょっと恥ずかしいし、少し騙している感じがして申し訳なかった。
「今日は新しいことをして疲れたでしょう。お部屋でゆっくり休んで」
お母さんがそう言ってくれたから、僕はリセと一緒に部屋に戻った。
「お母様には、話さなかったんですね」
「あんなに心配そうなお母さんにもっと心配させるようなこと言えないって思って……」
「菖太さんは優しすぎますね。わがままになっても良いくらいです」
そう言われても、僕のお母さんになるべく心配かけたくない気持ちは変わらない。
「リセが話聞いてくれるからいいでしょ」
少しムスッとして僕がそういうと、リセは柔らかく微笑んだ。
「私には少しわがままになってくれるのですね」
その様子はなんだかすごく嬉しそうで、不思議だったけど、本題に入ることにした。
ベッドに腰掛けると、リセも隣に座ってくる。
「……江藤君のことだけど」
「はい」
「……正直、やっぱり怖い。できれば会いたくない」
少し震え声になってしまった。でも僕は次の言葉を言うために、一つ深く呼吸する。リセは黙って待っていてくれた。
「でも、僕みたいな思いをする人が少なくなる可能性があるなら、話した方が良いと思う」
それも、本心だった。
僕は江藤君のことが嫌いだ。同じように彼を嫌う人がいるかどうかは、分からない。けれど、クラスの中には見えない壁が存在していて、彼と話せる人と、意見できない人とに分かれている。意見できない側の人たちが、いつ僕みたいな目に遭うか分かったもんじゃない。
それに。
「それに、逃げたいけれど、一度逃げたらきっと逃げっぱなしだ。そんな気がする」
逃げるのは、簡単だ。先生に「嫌です」とか「無理です」とか言えばいい。でも、そしたら僕は、どこか後悔する気がする。江藤君の謝罪の言葉が聞きたいわけじゃない。ここで僕が彼に意見しなかったら、嫌がらせを受けた記憶がそのままになってしまう。上手く言えないけれど、意見できたのと逃げ出したのでは、僕が傷ついたことの意味が全然変わってしまう気がするのだ。
「だから、僕は逃げずに会ってみようと思うんだけど……どうかな?」
リセの顔を見ると、彼女はふわりと笑った。
「菖太さんは、もうとっくに覚悟ができていて、背中を押してほしかったんですね」
その通り過ぎて顔が赤くなってしまいそうだった。
「きっとお母様に言えなかったのは、お母様なら菖太さんのことを考えて会うのを止めようとなさるのでは、と考えたからでしょう。菖太さんも少しわがままですね」
言いながらリセは僕の頭を撫でていた。その顔は嬉しそうで少し意地悪さが垣間見えた。
でも、さすがというか、リセはこう言ってくれた。
「菖太さんのその勇気はきっとこれからご自身の記憶に刻まれます。そして迷った時に背中を押してくれる力になるでしょう。仮に彼がその行動を見直さなかったとしても、菖太さんの行動は菖太さん自身のためになります。私もついています。だから、一緒に戦いましょう」
リセの言葉は僕の背中を押してくれるのに十分なものだった。そして僕は言葉を聞きながら「リセには敵わないな」と、ぼんやり思うのだった。