長編小説『エンドウォーカー・ワン』第12話
「――おい、新入り。そこのお前だ。聞こえてるか、四番機!」
狭いWAWのコクピット内で静かに揺られていた男性パイロットは無線からの怒鳴り声に俯いていた顔を僅かに上げた。
「……聞こえていますよ、パウル隊長」
「なら少しは会話に加われ。普段からコミュニケーション取っておくのも大切だぞ」
「作戦行動中にジャズをかけながら、ですか?」
青年――とはまだ言い難い、幼さを残した無遠慮な彼の言葉に分隊の面々が渇いた笑い声を漏らした。
「おいおい、ベルハルト・トロイヤード伍長。士官学校でどれだけ優秀だったが知らんが、今回の相手はノーストリアではない。アルター7の原生生物が近年狂暴化して住民を襲っている。それを未然に防ぐため、定期的な掃討を行うのが当作戦の主目的だ。そんなに気を張って挑むような任務じゃないから安心しろ」
「初陣で昨日は眠れずにブリーフィング中寝てたのか? 足だけは引っ張ってくれるなよ」
お道化てはいるが冷静に言って聞かせる隊長に隊員が続いた。
「大丈夫です。『僕』は強いですから」
その言葉にはベルハルトの10年間分の想いが込められていた。
***
ベルハルトとイリアが別れ、己の無力さを噛みしめて迎えた朝日の中。
彼は大人たちの後を追うように残火散る通りを独り歩く。
大口径弾を無数に受け路傍に転がる工業用WAWはフレームが歪み、隙間からは異臭がした。
――嫌だ。見たくない。
ロケットが直撃し、炎上する車両から発せられる肌を焦がすほどの熱気。
極太の釘で串刺しにされたヒトガタから流れる鮮血。黒赤が飛び散った跡。
――嫌だ、こんなのは現実じゃない。
大きく抉れたアスファルト。
先日まで営業していた通りのパン屋は半壊し、硝子やコンクリート片が散乱していた。
ベルハルトの覚束ない足取りを硝煙立ち昇る生まれたての薬莢が攫い、転倒するには至らないものの大きく姿勢を崩してしまう。
少年が頭の思い描いた華々しい戦いなどはそこにはなく、ただただ残酷な現実が転がっていた。
彼は震える身体を両腕で抱き、どこか他人事のように安堵した。
同時に自分の中に流れる冷血に酷く嫌悪を感じて思い切り顔をしかめる。
「ベルハルト?」
少年がその場から逃げ出したい衝動を必死に堪えていると、懐かしい声が耳に飛び込んで来た。
「父さん……」
そこにはベルハルトの父親、リカルドが立ち尽くしていた。
普段の威厳はどこへやら。ありもしないものを見つけたような呆けた表情で我が息子をぼかんと口を開けて見つめている。
彼に続いていた兵士たちは周囲警戒をしながら戦闘が行われた現場の検証を行っていた。
「ベルハルト……っ。無事でいてくれたか」
リカルドは手にしていた個人防衛火器を背中に回し、ベルハルトに駆け寄るとその小さな存在を抱き上げた。
パイロットスーツの独特に匂いと感触に包まれ、苦しいほどの圧迫感がベルハルトを襲う。
だが、どこか遠い世界で佇んでいた少年にそれは現実として認識できず、ただ茫然と感極まったといわんばかりの父親を見つめていた。
「少佐、他にも生存者が」
強化外骨格で覆われたヘビーアーマーと呼ばれる兵士の一人が叫ぶ。
そこにはベルハルトが目をそむけていた工業用WAWが横たわっている。
「お前は少し待っていろ。衛生兵!」
リカルドは少年を地面にそっと降ろすと、声を張って倒れたWAWの元に駆け寄った。
「少佐、申し訳ありません。このような醜態を晒してしまって」
飛散した金属片にやられたのだろうか。内部には頭や腹部に赤黒い染みのあるレイが虚ろげな瞳でリカルドたちのほうを見上げていた。
青年の呼吸は浅く、下半身は歪んだフレームでねじ切れられていて見るに無残なありさまだ。
「今すぐ後方に搬送したとしても間に合いません」
衛生兵がリカルドに耳打ちをする。
「間に合わない」というのは身体的な手術も、脳を摘出し新たな肉体へ移植する再生手術も。という意味だ。
「鎮痛剤は要るか?」
リカルドが元部下にたずねると彼は息を飲み「……はい、お願いします」と弱々しく頷いた。
無針注射器で鎮痛剤を投与され、レイの張りつめていた身体の力が抜けていく。
先ほどまでの気が狂いそうな激痛と闘っていた彼は深々と息を吐く。
「最後に一つだけ。あいつは……ベルハルトや住民を乗せたトラックは無事なんですか?」
「……ああ、お前は彼らを守った。負傷しながらも任務を遂行した、誉ある軍人だ」
「ありがとうございます。家族に伝えてください、愛していた。と」
「ああ」
ノーストリアの侵攻以来、幾度も繰り返されてきた日常の風景。
数々の死地を越えてもなおリカルドは眉間に皺を寄せ、指の腹で彼の目蓋を閉じた。
「無駄死などではない。決して、お前の犠牲は忘れはしない」
リカルドはレイの骸から銀色に光る認識票を千切り、胸のポケットに入れる。
そして虚構と真実の狭間で揺らめく自分に喝を入れると、瓦礫にもたれかかり脱力していた少年の傍に静かに腰を落とした。
「父さん?」
無言で押し付けられた黒焦げの写真にベルハルトは戸惑いを隠せない。
彼の父親が悪い知らせを告げようとしているのではないか、と察してしたからだ。
だが、いつまでも差し出されたものを受け取らない訳にもいかず、灰の臭いがする紙切れを小さな手で受け取る。
恐る恐る裏返すと、そこには家の玄関前で撮ったベルハルトとイリアが映っていた。
互いに微妙な距離を保ち、どこか余所余所しさを感じる表情。
その時、彼らの後ろで苦笑いを浮かべながら立っていた両親たちの姿は高熱で変色し、今や見る影もない。
ベルハルトもその時の撮影データを持っていたのだが、母親の顔を思い出すので衝動的に削除してしまっていた。
焼け焦げた写真はアナログ好きなイリアが印刷したもので、彼女が保管していた筈なのだが今は少年の手の内にある。
「ここに到着する前に道端で拾った。しかし、イリアの姿はどこにも見られなかった」
「……」
「ベルハルト」
リカルドは少年がショックのあまり黙り込んでいるものと思い込んでいた。
自分は父親としてどう声をかければいいのかと思い悩む。
「『父上』」
だが、それは杞憂であった。
ベルハルトの真夏の海原のように青い瞳には鋭い光が宿り、迫り来る過酷な現実を真っ直ぐに見つめている。
「イリアは生きている」
「私もそう思う」
それは虚構。
「僕に戦い方を教えて。強くならないと、きっと未来は開けないから」
それは真実。
ベルハルト・トロイヤードが10歳を迎える前日の出来事。
再び降り始めた雪が彼の行く先を白光で霞ませていくのだった。
執筆・投稿 雨月サト
©DIGITAL butter/EUREKA project
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