『エンドウォーカー・ワン』第25話
「平気か? ベータ」
ベルハルトはメインカメラに映し出された微動だにしない敵を見、後部席の少女の顔色を窺った。
「こっ……このサディストぉ……」
目を真っ赤にし、涙を流しながら抗議するベータは彼に対する不満が爆発していたものの、疲弊の色は先ほどに比べそう強くないようにベルハルトには思えた。
「その、すまない。頭に血が昇ると性格が荒っぽくなってしまうんだ。『ベルハルト』様を演じて荒っぽくなっているだけかもしれないが」
「はぁ……ま、いいけどさ」
少女は額の汗を手の甲で拭いながら少しも悪びれた様子のない相棒をパステルグリーンの瞳で睨み付けた。
「……でも、彼の記憶も肉体も。今やアナタのものなんでしょ? 肝心の本人はどこに消えたのかな」
「未だにエーテルについては不明な部分が多い。魔法を人間に授けたとも、この星に流れる血とも言われている。彼もまた、星に還ったのかもしれないな」
「あの人に色々聞いてみたら分かるかもしれないよ」
「しかし、少しばかり怖い思いはしてもらわねば」
ベータの身体は疲弊していたが、瞳に宿る新緑の光は眩いばかりに輝いていた。
口元には笑みをたたえ、真っすぐにベルハルトを見つめている。
彼はそんな姿に「まったく」と微笑み返し、頬を叩く思いで過酷な現実に向き合う。
「そこの首輪付き。聞こえるか」
スレイプニルの外部スピーカーから青年の声が山岳部にこだました。
「ヘルメットを取ってもらおうか。お前がどんな顔をしているのか見たい」
ベルハルトの言葉の波に、グレイハウンドのパイロットは意識を取り戻す。。
彼は朦朧とした意識の中、金属片で負傷した左肩を押さえながらコクピットから滑り落ち、真っ黒くすすけた地面にその身を横たえた。
「立て」
役に酔うベルハルト。
彼の言葉に座り込んでいたノインが渋々といった様子で立ち上がり、「交戦規定により本機は投降の意を示す。これ以上の攻撃は遠慮願いたい」と声を張り、両手を挙げた。
そしてヘルメットにゆっくりと手を回すとロックを解除し、その顔を曝け出す。
「まさか」
ベルハルトをそれを目の当たりにし、思わず息を飲む。
なぜならば、瞳に青い光を宿している以外は本来の自分の姿そのものだったからだ。
そしてその目は彼がかつて憧れた者のそれだった。
「あれって……」
「そ、そんな筈はない! あいつは……あいつが偽者だ!」
「ベルハルト」は外部スピーカーに接続したままだということも忘れ、感情の赴くままに吠えた。
先ほどまでの冷静さはどこへやら。激情に駆られ、心臓はよりいっそう早く鼓動し、行き処のない血潮が全身を駆け巡り身体が火照る。
それはかつて「ノイン」だった時の記憶。
――私は貴方のようになりたい。
そう、切に願った。
そしてエーテル嵐に見舞われたあの災厄でその願いは叶う。
彼の中にベルハルト・トロイヤードの記憶、人格が流れ込んできて半狂乱状態となり、半月程閉鎖病棟に隔離され、その後病棟より脱走する。
イリア・トリトニアの辿るであろう未来。
ベルハルトが抱えていた腐敗が進む南北体制への不審。
そして逃亡生活の中で見た戦争が残した爪痕の現実。
幼少期の記憶を持たない彼にとってそれが全てであり、それを正すことこそが正義であると。
それはまるで心臓のように突き動かす動力となり、無だった自分の存在理由としてなり得た。
かつての「ノイン」は死に、新しい「ベルハルト」として生まれ変わったのだ。
だというのに過去は目の前に立ち塞がり、青空のような澄んだ瞳で見上げていた。
「消えろ! 偽者!」
ベルハルトが様々な感情を掻き消そうと吠える。
スレイプニル側頭部の対人機関銃から炎が生まれ、無数の銃弾が黒土を巻き上げていく。
機銃掃射にノインが飛び退こうとした瞬間、何の前触れもなくスレイプニルの右腕が爆ぜた。
「……ッ。魔力反応、三時方向!」
歯を食いしばりながらベータが叫ぶ。
空気の波動が可視化できるほどの爆発。
スレイプニルのオートバランサーが作動し、転倒こそ免れたが右腕を完全に失ってしまう。
何が起きたか呆然とする暇すら与えられず、ベルハルトは直感でスラスターを逆噴射させ機体を後方へ大きく飛び退かせた。
彼らから向かって三時方向――右側面からその回避行動を見通したように閃光が奔り、ベータが渾身の力で展開したシールドを易々と貫き、一直線に右脚を持っていく。
それは先ほどの炎属性のものではなく、純粋な魔力の矢。
対人用魔法として開発されたが、使用者の技量や魔力量によっては山をも貫くという。
「ベータ! クソッ!」
制御パネルに激しく頭を打ち付けるベータを見、ベルハルトは残された全動力でメインブースターを噴射させてその場から離脱する。
土煙が巻き上げられ周囲を覆い隠し、残されたノインは激しく咳き込んだ。
サウストリア解放戦線と交戦状態にあった以外の状況が全く把握できていない彼は事態を整理しようと頭をフル回転させる。
そして「それ」は砂塵の向こうから静かに気配を現した。
「――物語の王子様に憧れたことはあったけど、女の子が男の子を迎えに行ってもいいでしょう?」
煤で薄汚れた世界で際立つ透き通ったその声。
可憐で幼さを内に孕み、どこか甘ったるさを感じる優しい音色。
その持ち主は足を地につけ、ゆっくりとノインのほうへ歩み寄る。
「やっと会えたね、ベル」
「彼女」は腰上まで届く艶やかな銀は砂塵を晴らさんとする強風で靡き、戦場には相応しくない白を基調としたロングスカートの軍服を颯爽と着こなしている。
長い睫毛の奥に宿る二つの宝石はこの世のありとあらゆる光を屈折させ、幻想的に煌めいていた。
「さあ、行こう。私たちを取り戻しに」
ノインは僅かに湿り気を帯びた小さな手に引き起こされ、先ほどまで戦場だった大地を二人で歩き出す。
それが遠い、とおい旅路となることを彼らはまだ知らなかった。
執筆・投稿 雨月サト
©DIGITAL butter/EUREKA project