『エンドウォーカー・ワン』第48話
世界は平穏を保っていた。
それが無数の屍の上にある景色だとしても、人はその奇跡の煌めきを当たり前のものとしてしか捉えられない。
故に過ちを繰り返す。
「戦争反対! 兵器のない平和な世の中を!」
「人種差別をするな! 人は平等であるべきだ!」
分かり易い正義だけを振りかざして、自分たちは正しい行いをしていると錯覚する。
「記憶に新しい南北戦争ですが、これを侵略だと言う人々もいるそうですね」
「ええ、そういった声は多く見受けられます。ですが、国際法で定められた国境線は開戦前と大きく異なります。それがあるべきところに引き直されたと考えるべきでは?」
安全圏から石を投げる者。
「人命は何よりも重いのです。それを平気で踏みにじる軍を我々は認めない!」
「殺戮者たちを許すな!」
世界の混乱を遠くから眺める一団が居た。
そこはサイエンス・フィクションで見る宇宙船の船内のようで、全方位ディスプレイに船外の様子が鮮明に映し出されている。
距離感の測りづらい船内では線の細い鴉色の短髪の少女と、サクラ色のミディアムヘアの女性が中央に浮かぶ球体を見上げている。
純白の生地と金色の装飾が施された服装と相重なり、表情には感情が挟む余地はなく、どこか厳粛な雰囲気を醸し出していた。
「……」
「白」が何かを言う。
それを察したのか、短髪の少女が「どうですか、世界は」と愛しい我が子に問い掛けるように優しくたずねる。
「そうだなぁ……楽しいよ。楽しいけれど……時間があ……時間が足りないなあ……」
白は心底残念そうな顔で嘆く。
「時間なら無限にありますよ。この星がまた焼かれようとも、一度生まれたものはそう簡単に殺すことができません」
さも当然だと言わんばかりにもう一人のサクラ色の女性が言い放つ。
その言葉はここにいる誰もが理解していることだったが、ぷかぷかと浮かぶ白だけは「そうなんだけどさあ」と名残惜しそうに呟く。
「完全を求めるならば、あなたの納得いくまで何度もやり直せばいいのですよ」
「うーん」
その圧倒的な存在感とは裏腹に、白は気弱で優柔不断だった。
「今の人類、結構気に入ってるんだよねえ。愛憎入り混じってて、本当に人間らしいよ」
「ありがとうございます」
少女たちがうやうやしく頭を垂れた。
「だけどそうだね、もう少しで彼らの物語も終わりそうだ。それはボクとしては非常に心残りなんだけどなあ」
「では」
短髪の少女が前に一歩踏み出し、白に呼びかける。
表情を微塵も変えぬ鉄仮面ぶりからは想像もできなかったが、サクラ色の女性からは今の彼女がどこか嬉しそうに映る。
この時を待っていた――そう言わんとばかりに。
「最期にあなたをお連れしましょうか。この世界が最も見える場所へ」
少女の白く小さな手があなたへ差し伸べられる。
「ああ……それはいいね。それは、とてもいい」
あなたは迷うことなくその手を取った。
「……?」
トレーニングルームのベンチに腰掛け、火照った身体を冷やしていたベルハルトの上を何かが通り過ぎていった。
「ベルハルト、どうかしたか?」
青年の激しいトレーニングに付き合い、項垂れていたランスが天井を仰ぐ同期の不審な素振りに眉を顰める。
「いや……今そこに何か通らなかったか?」
「何だよ、コエーからそういう話は止めろ!」
ランスは全身の毛を逆立てて飛び退く。
彼はその厳つい見た目に反し、女性や幽霊・オカルトの類が大の苦手だ。
作戦行動中は演技がかかった言動をしているため日の浅い仲間には勘違いされがちだが、素の彼は後続の面倒見が良いどこにでもいる青年だった。
少し前までは互いの喉元を掻き切らんとばかりに睨み合っていたが、今やすっかり元の鞘に戻ってしまった。
「それはいいとして」
「よくねぇよ!」
「根無し草になった俺が言えた台詞ではないが、お前はどうしたいんだ?」
ランスの強烈な押しのけに動じないベルハルトに問われ、彼は渋柿を食らったかのような表情を浮かべて刹那の思考をする。
「俺は馬鹿だから分かんねぇけどな。拾われた義理で解放戦線に付いていたが、今思えばあいつの見た未来とやらも作為的なものを感じるしな。星の記憶だが何だが知らんが幻覚のようなものを真に受け、祖国解放を謡うなんて何か違わなくねえか?」
予防線を張り、かつ饒舌な彼の言葉にベルハルトは耳を傾けていた。
「コンタクトが全くない時点で俺たちは解放戦線から死んだと思われてるだろう。取り敢えず、あっちのベルハルトの目を覚ましてやらねーと。その為の国際平和監視機構だ。まー、問題はどこまで干渉できるかだがなぁ」
ランスは短く刈り込んだ頭髪をボリボリと掻き、窓の外を見やる。
空の色が温かみを帯びてきた時間帯。非番だった筈なのに元隊長とオフィスビルの一室でスパーリングに明け暮れている。
「はー、何が悲しくて男同士で休日潰さないといけないかね」
「そうか? 俺は割と楽しいぞ」
「オメーだけだよ! この脳筋野郎がよぉ!」
ランスは曇りのない笑顔を浮かべるベルハルトに首に掛けていたタオルを思い切り投げつける。
「はあぁー……まったく、ヴァッツの奴は今頃何しているのやら」
「あいつならノーストリア情報部との会合に出席しているよ。良くも悪くも外交的だからな」
「ケッ、まーた含みのある言い方しやがってよォ。利口なフリしてんじゃねぇ」
ランスは拳を握り、ベルハルトの赤い頭頂部にグリグリと押し付ける。
当の本人はなすがされるままにされ「そうか?」と思案顔で俯く。
精鋭を集めたハウンズ小隊の中でも一際頭角を現す存在。
近寄ることさえ憚られる存在、戦場の赤き鬼神「ベルハルト・トロイヤード」
幼少期より強くなることを強いられ続けた彼の経歴について知る者は少ない。
だが、その孤独な道程がどうあろうとも今の彼には多くの仲間たちがいた。
「……面白くねえな」
ランスは舞い戻ってきたタオルを荒々しく受け取り、目の前の青年から視線を外す。
彼は文字通り死に物狂いでこの人生を生き延びてきた。
土の味と共に何度屈辱を味わったことか。思考することが馬鹿らしくなるほどの闇の中をただ独りで歩き続ける。
流してきた血の一滴一滴が努力の証だった。
自分は神から見放された人種だ――才能に恵まれぬ彼はひたすら経験を重ねることでしか存在意義を見出せない哀れなる存在。
そして加虐的な神は憐れみを以てして反対側の人間を宛がい、凡庸なる者たちを挫いては愉しみとしているのだ。
神の申し子たち。
ランスが我武者羅に目指したからこそ分かる決して手の届かない世界の住人。
自分が長年積み上げてきたものを一瞬で越え、遥かなる高みへと昇っていく。
目の前に居る赤毛の青年もそうだ。
同じ努力量で凡人が天才に敵う道理はどこにもなく、現実に打ちのめされ彼は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
きっと自分はコイツの引き立て役に過ぎないのだろうな、と。
「ランス、顔色が優れないぞ。疲れているのか?」
無自覚に傷付けてくるベルハルトをランスは長年疎ましく思っていた。
だがこの男はどれだけ粗雑に扱おうが、暴言を浴びせようが自分のことを仲間だと寄ってきた。
妬ましい。ああ、実に妬ましい。
派遣先で知り合った女性も皆ベルハルト、ベルハルトと声を揃えて近寄ってくるのだ。
……違うだろ?
何十年も苦しみ抜いて生きてきた。そろそろ俺が報われてもいい頃だろ?
それでも決して脚光を浴びることのない現実なんてどれだけ糞なんだ。
……ああ、邪魔だな。
ランスの今までにない眼光がベルハルトに注がれるが、当の本人はそれを察することができるほど感性は豊かではなかった。
執筆・投稿 雨月サト
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