夜明けは天使とうららかに 3-4
エピローグ
菖太さんへ
……なんて、書き出してみたのですが、実際この手紙が菖太さんに届くことはありません。じゃあなぜこんなことをしているかというと、ただの私の自己満足です。本来もうどこにも存在できないはずの私がこうして手紙を書けることを嬉しく思います。
この手紙は届かないから、菖太さんに私の正体はいつまでも気づかれないままなのですが──もしかすると大人になってから近いところまで気づくかもしれませんが──私自身のために、ここに本当の私を記しておこうと思います。
菖太さんは、最後まで私のことを天使だと思ってくれましたね。別れ際、「僕がいつかそっちに行く時は迎えに来てね」と言ってくださった時には、思わず涙が出てしまいました。
けれど、私は天使ではありません。
よく天使の姿を思い返してみてください。気づくことがあるでしょう?
私には天使の翼も天使の輪もない。
でも、実は私、嘘はついていないんですよ? 最初にちゃんと言ったんです。「天使のようなものです」と。私が天使を引き合いに出すのはおこがましいですが、それでも確かに、「天使です」とは言っていないのです。
嘘はついていない、というやつですね。騙すようなことではあるので、そこは、ごめんなさい。
では私は一体何者なのか?
言っても信じてもらえないかもしれませんが、私のことを天使だと信じきってくれた菖太さんなら、あるいは。
私は、菖太さんのお母様──結花ちゃんのイマジナリーフレンドでした。
以前、結花ちゃんのパートナーさん、つまり菖太さんのお父様から、『お母さんも菖太みたいに学校で嫌なことがあった』と聴いたことがありましたね。
私は結花ちゃんの頭の中で生を受け、数年の間生活を共にしました。彼女は菖太さんのように人に話しかけるのが苦手なタイプで、学校にいる間はいつも私と一緒でした。いいえ、学校にいる間だけではありません。結花ちゃんの家に帰ってもずっと一緒で、お風呂に入るのも寝るのも隣にいました。
結花ちゃんが嫌がらせをされていた時も、片時も側を離れませんでした。彼女は人に相談することが苦手なタイプでした。どんなに辛くても、苦しくても、誰にも言えなくて、彼女にとって確かに存在していた私に全てを伝えてくれました。
彼女の心を壊さないための存在が私でした。
けれど、結花ちゃんはそんな中でも頼れる人を見つけました。そう、菖太さんのお父様──佳太さんです。
佳太さんは、読んで字のごとく結花ちゃんを救ってくれました。誰もが目を逸らしていたいじめに踏み込んでいき、先生方とも協力して結花ちゃんを不幸の渦から引っ張り出してくれました。
結花ちゃんたちが仲良くなるのは当然のことで、佳太さんが結花ちゃんの頭を占めていくのも当然のことで、そこに私の居場所が徐々になくなっていくのも当然のことでした。
けれど、結花ちゃんは最後まで私の事を大切にしてくれた。別れを切り出したのは彼女だったけれど、その時、歌を贈ってくれました。あの時の歌を忘れたことは一度もありません。
『お別れ』と言いつつ、私たちは何日かに一回会っていましたが、学校が変わって友達が増えていくに連れ、会う頻度は低くなり、ついに全く会わなくなってしまいました。
それでも私が存在しているのは、結花ちゃんに大切にしてもらえたから。私は結花ちゃんと過ごしていく中で『魂』を得て、結花ちゃんの意識の外に存在できるようになったのです(と言ってもそれは人間の世界ではありませんが)。
私は私の世界から、ずっと結花ちゃんを見ていました。彼女が過去の傷の痛みに苦しめられ、後遺症に悩みながらも生きているところを、ずっと見ていました。
正直、佳太さんと結婚してくれたことには本当に安心しました。
そして子供を授かり、その子が成長していく様も、ずっと見ていました。友達がなかなかできないことも、息子のそんな様子を見て結花ちゃんが心を乱していることも、全部知っていました。
そして、あの日。菖太さんが夜空に願ったあの日。
私は居ても立ってもいられず、現世に降りてきてしまいました。
私の姿が菖太さんに見えるかは賭けでした。見えない可能性も十分にあったので、目が合った時は菖太さんもでしたが、私もビックリしたんですよ。でもそこは、本物の天使が協力してくれたのでしょうか。私は菖太さんだけと会話ができるようになりました。イマジナリーフレンドとして結花ちゃんと話していた時とは少し勝手が違いましたが、それでも菖太さんの隣にいられたことを嬉しく思います。
菖太さんはとても優しくて、素直で、正直な人でした。ご自身では自覚が薄いようですが、人に相談する時、自分の気持ちを包み隠さず話すことができるのは菖太さんの特性だと思います。けれど、最初はご両親を気遣うあまり、相談することさえできなかった。その菖太さんが、今やお友達と素直に言葉をぶつけあっている。本当のことを言うと、「友達になってくれないか」と隆聖さんに言われていた時は泣きそうでした。その後、少しずつ友達というものに慣れていって、固まっていた心が解けていった頃には、初めて会った時からすると驚くほど笑顔が増えていきました。
その笑顔を見て、安心すると共に、寂しさを覚えてしまいました。
結花ちゃんの時もそうだった。彼女が幸せを手にするたびに、私の存在は薄れていって、別れが近づいていく。
私は、その人が真に幸せになった時には隣にいることができないのです。
菖太さんの場合でも、同じことでした。
私は菖太さんに言いましたね。「必要としなくなるまで」共にいると。
私は勢いのまま私の過ごす世界から飛び出してしまいましたが、本質的なことは変わりません。私に代わる存在ができてしまったら、ここにはいられないのです。今回は幸運なことに本物の天使の協力があったのかもしれませんが、本来私は菖太さんたちの世界にいることさえ許されない存在ですから。
とはいえ、自然と存在が薄れていった結花ちゃんの時とは違って、菖太さんの場合は私がお別れのタイミングを決めないといけないのは、辛い事でしたが。
別れを切り出した時、菖太さんは確かに目を丸くしていましたが、すぐに俯いて「そんな気がしてた」と言いましたね。
今度はそれを聞いて私が驚く番でした。菖太さんは覚悟を決めていらっしゃった。もしかしたら菖太さんを泣かせてしまうかもしれないと考えていた私にとっては、驚くべきことでした。
菖太さんは、私に問いかけましたね。
「どうしてお別れしないといけないの?」
と。私はこう答えました。
「私は願いが叶った時には帰らなければならないのです」
と。相変わらず『嘘は言っていない』という手法を取ってしまって申し訳ありません。
けれど菖太さんは食い下がりました。
「でも、僕の願いが叶ったのは……僕が幸せだったのは、リセのおかげなんだよ」
と。
そんなことを言ってくださるなんて、嬉しくて嬉しくて、涙が出そうなほどでしたが、グッと堪えました。
「いいえ。願いが叶ったのは菖太さんの努力の賜物です。言ったでしょう? 私に奇跡を起こす力はありません、と。私にできるのは、私がしたのは、ただ隣で寄り添うことだけです。全て菖太さんが掴み取った幸せですよ」
菖太さんの顔がみるみる曇っていくのが分かりました。
「本当に、お別れするしかないの?」
心の痛む質問でした。本当のことを言うなら、私も菖太さんの隣にずっといたい。できることなら、結花ちゃんにも見えるようになって、あの家族の一員として過ごしたい。
けれど、逸脱し過ぎてしまった私には、願う事すら難しい。
困ったように笑うことしかできなかった私に、一緒にいるのは叶わない願いなのだと悟ったのでしょう。菖太さんは堪えきれなかった涙を拭って、言いました。
「リセは、天使なんでしょ?」
その言葉に私は曖昧に笑う事しかできませんでしたが、菖太さんは泣きそうなのを堪えて無理やり笑って、
「僕がいつかそっちに行く時は迎えに来てね」
と言ってくださいました。
せめて最後は笑ってお別れしようとしてくださったのは重々承知なのですが、それでも、私の目からは涙が零れてしまいました。
「いつか、その時が来るまでに沢山の思い出を作って、私に聴かせてくださいね」
強がってそんなことを言って、私も無理やり笑いました。
「うん……!」
お互いに下手な笑顔を見せながら、私たちはお別れしました。
あれからずっと、私は結花ちゃんと菖太さんの様子を見ています。
結花ちゃんは少しずつですが、元気になってきましたね。それは菖太さんが学校で元気に過ごしていることも大きく影響していると思います。
クラブ活動や委員会など、積極的に参加するようになりましたね。新たな友達も増えましたね。隆聖さんとは相変わらず仲が良いようで、安心しています。菖太さんは素直な方なので、あまり興味のない議題の学級会の時なんかは意見が出てこずに困っている姿も拝見しました。図書委員会の時はあんなにアイディアが出てくるのに、やっぱり菖太さんは可愛い方です。こんなことを言ったら拗ねられてしまうと思いますが。
菖太さんは、これから様々な事柄と出会いますね。近いところで言えば運動会でしょうか。様々な学校行事、中学受験、新しい学校での生活、更に先を見据えれば社会人として働くようにもなるでしょう。
そんな日々の中に、ほんの少しだけ、私の事を思い出す時間があったらいいな、なんて思ってしまうのは、私のわがままです。本当は私の事なんて思い出さないくらい日々の幸せを積み重ねた方が、ずっとずっと良いのですから。
菖太さんが私と再会するその時が、できるだけ遅く来ることを願っています。
あなたの天使より
僕には、今でも思い出すことがある。クラスで、部活で、家族間で、上手く行かないことがあった時、決まって思い出すのはあの天使の姿だった。
金髪のツインテール、よく晴れた空みたいな青い双眸、眩いばかりに白いワンピース。
僕に向かってふわりと笑いかける、リセ。
単純なもので、あれからリセと会えたことはないけれど、リセの笑顔を思い出すと少し心が安らぐ。と同時に、やっぱり少し寂しい。けれどリセと会っていないということは、僕には他に頼れる人ができたり、僕自身が成長している、という証なので、それを考えるとどうにも複雑な気分になってしまう。
けれど、約束したから。
今の僕からしたら果てしないくらい遠い先の未来の話だけれど、その時が来たら、リセが迎えに来てくれるから。
だから、僕は生きていく。上手く行かない日があっても、逆にとびきり嬉しい出来事がある日も、一つずつ重ねていって、いつか土産話がたっぷりできるように。
楽しみにしててね、リセ。
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