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彩りを連れて 十一

「どう? 初めてのコンビニ」

 コンビニに入った途端、晴くんが振り返って言った。

「さすがに初めてではないよ?」

「あ、わりぃ。えーと、じゃあ初めての寄り道。どう?」

 本来、校則では寄り道することが禁止されている。でも大体の生徒は気にしていないし、先生に見つかったという話も聞かないし、近所の人たちが文句を言うこともない。それが分かっていても、私はどこかそわそわしていた。

「……ちょっとドキドキする」

「緊張することないって!」

 少し的外れな事を言ってニカッと笑ってみせる晴くんを見ていたら、なんだか大丈夫な気がしてきた。

「真緒、コンビニ全然入らないならホットスナックとかも知らない?」

 『ホットスナック』という言葉に首を傾げると、晴くんがレジの方向を指さして「ほら、あれ」という。

 レジの横には透明なケースがあって、その中に食べ物が並んでいる。晴くんの言っていた唐揚げやフライドチキン、ポテトにアメリカンドッグまで。隣のケースには焼き鳥も並んでいて、素直に驚く。

「ここだけじゃなくてスイーツコーナーも見ないとな」

 晴くんはそう言ってコンビニの奥へ入っていく。

 商品棚にはプリンやケーキ、クレープなどが置かれていて、私はまた目を丸くした。プリンまでなら想像がついたけれど、クレープまであるなんて。しかもよく見てみると大福や鯛焼きなどの和のスイーツもある。今までそれを知らなかったなんて。

「今日は真緒のコンビニ……じゃなかった。寄り道デビューに何か一つ買うよ。何がいい? スイーツでもホットスナックでも何でもいいぞ!」

 晴くんの申し出に私は慌てて首を振る。

「そんな、悪いよ。お菓子買うお金くらいあるから……」

 実際、私はお小遣いをほとんど貯めっぱなしにしている。むしろコンビニに付き合ってくれたお礼に私が支払う方が筋が通っていると思う。

「そういう問題じゃなくてさ。ここは俺にカッコつけさせてよ」

 お願い、と手を合わせる晴くん。私にお金を払って晴くんに何のメリットがあるだろうか。でも、悩む私に晴くんは更に続ける。

「何もこの店の端から端まで全部買うって言ってるわけじゃないんだからさ。一つだけ。せいぜい三百円とかだし、ね」

 言われて商品の値段を見てみると、確かに百五十円くらいのものから三百円を少し超えるくらいのものまでで、思っていたよりずっと安い。でも値段の問題ではなくて、これは気持ちの問題なのだ。

「お金払わせるわけにはいかないよ……。一緒にいてくれるだけで充分」

 それは本心だったけれど、晴くんは納得してくれなかった。

 何か悩んでいる様子で少し黙った後、口を開く。

「……真緒さ、誕生日もう過ぎてるだろ?」

 確かに私の誕生日は六月だから、とっくのとうに過ぎている。けれどそれがどうしたんだろう。

「来年、同じクラスになれるか分からないからさ。あ、もちろん別のクラスになったからって疎遠になろうってんじゃないけど、でも今みたいに話すのは難しくなるだろ? 誕生日プレゼントっていうには時期じゃないけど……。これくらい甘えてくれよ」

 そう言われて、クラスの様子を思い出した。晴くんは友達が誕生日を迎える度に、恒例行事のようにお菓子の塔を建設している。

 ……私も、あの友達の輪の中に、一歩足を踏み入れているんだ。

「……うん、わかった」

「よし! じゃあ好きなの選んで!」

 どれにしようかと考え始めて気が付いた。私は普段、あんまり甘いものを食べない。好きなの、と言われたけれど、自分の好みが分からない。私は今、何を食べたいんだろう。

「晴くんのオススメはある?」

 聞いてみると、晴くんはきょとんとした顔をした。でも何かを察したみたいに「あぁ」と言って、「そうだなー」と悩み始めた。

「スイーツならここはロールケーキが美味しい。ホットスナックだったらフライドチキンかな」

「じゃあロールケーキお願いしていい?」

「おっけ! じゃあ買ってくるから真緒はイートインスペースで待ってて」

 言われた通りに席を確保する。入る前までコンビニの中にイートインスペースがあるなんて知らなかった。コンビニって本当に便利なんだなぁと今更な事を思う。

 晴くんはすぐ席に来て、ロールケーキを私の前に置いた。

「いただきます」

「召し上がれ。って俺、買っただけだけど」

 笑いながらフライドチキンに噛り付く。私もロールケーキを口に運ぶ。

 たっぷりの生クリームがふわふわの生地に包まれていて、舌に触れた途端、甘さが広がる。

「……真緒ってほんと美味しそうに食べるよな」

 晴くんはふんわり笑いながら言った。

「だって美味しいんだもん」

 返しながらもう一口食べると、「そりゃそうか」と晴くんもフライドチキンを食べた。

「コンビニ、なかなか良いだろ?」

 ロールケーキを頬張りながらコクリと頷くと、晴くんがニカッと笑った。


「ただいま」

「おかえりなさい」

 聞いた途端、お母さんの声のトーンがいつもと違うことが分かった。

「お母さん?……どうしたの?」

「どうかしているのは真緒の方でしょう?」

 そう言われてハッとする。コンビニで三十分くらい駄弁ってしまったから、その分帰る時間が遅くなってしまった。

 分かりやすく『しまった』という表情をしていたのだろう。お母さんが溜息をついた。

「最近はお友達と遅くまで電話しているみたいじゃない。まさか今日もお友達とどこかへ行っていたの?」

 責めるような目線。丁寧な、でも棘を隠しきれていない『お友達』という言葉。

 ……何を言っても悪手にしかならない気がする。

「ごめんなさい。今日は、ちょっと寄り道しちゃったの。でも、もうしないから」

「お友達に言われたの?」

 足早に自分の部屋へ向かおうとしたのに、それより早く引き止められてしまった。

「お友達に、寄り道しようって言われたの?」

 その声は私の心に重くのしかかる。目を見れば、分かる。お母さんは私を責めようとしているんじゃない。

 私を責めたくないから、『お友達』を責めようとしている。

「……私が、言ったの。あんまりコンビニに行ったことないから付き合ってくれない?って。だから、悪いのは私」

「……真緒」

「大丈夫」

 お母さんの声を遮った。それ以上何も言わせないために。

「もう、こんなことしないから」

「……」

 お母さんは渋々と言った様子だったけれど納得してくれたらしい。

「じゃあ、私、課題があるから」

 自分の部屋に入って扉を閉じた途端、視界が歪んだ。涙がこぼれ落ちる。

 もう、美玲ちゃんと電話しながら勉強する事はできないだろう。もちろん、晴くんと寄り道することも。

 お母さんは晴くんのことも美玲ちゃんのことも知らない。けれど今日、お母さんは『お友達』が私に悪影響を与えていると思ってしまっただろう。

『真緒はそんなことしないもの。お友達に誘われて断り切れなかったんでしょう? 真緒は優しいから』

 ……お母さんの言いそうなことだ。私が自分からコンビニに誘ったというのも信じてくれたかどうか分からない。

 でも、私の友達を責めるお母さんの姿は見たくなかった。これから先も見たくない。

 晴くんたちのことも、お母さんのことも守りたいなら、私が上手くやるしかない。

 元の生活に戻るだけだ。ううん、学校にいる間は喋れるんだから、元の生活よりずっと良い。

 だから、大丈夫。


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