エウレカと逆転〜赦すについて

真理を学んでいるとよくエウレカ的なことがおこったりするけれど。
私は、スピリチュアルや自己啓発にもなるのかな、そんな界隈でいわれていた「許す」ということについて、大いに誤解していた。

っということに『神の使者』を読んでいて気づいたのだ。
正直衝撃だった。けれども、腑に落ちた。

世の中一般にいわれている「許し」は、
誰々がした何かを許す。
誰かを許す。

とかだけども・・・・!

そうした時点で、「誰々」も「何か」も「誰か」も、存在権を与えてしまう。実在するものとして力を与えてしまう。

っというの!
それはそうだ!そうだ!そうだよね〜〜!!

全ては自分自身の、エゴの、でっち上げにすぎないのだから、
誰かが何かをしてイライラしたりした場合も、相手を許すのではなく、『相手は本当はしていないことを赦す』そして同時に、『自分自身も赦す』


例え赦すということにおいてでも、何かに反応してそれを現実にするか、赦すか。


そういえばそうだったな。私はよくお金についてのことで反応してしまうんだけど、前に、あ、これ絶対テストだ!これに反応したらあかんやつだー!と思って、めっちゃ反応したいのを我慢して、反応しないことを選んだらなんか、す〜っと消えていったのよね。
それと同じじゃん!っと思ったのだ。


『赦す』という一つをとっても、人間世界で通常使われている意味とは逆だったりしてさ。ほんと全てはひっくり返るんだなって思うわ。


練習あるのみだな。

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