ロシア・ヴォルガ河クルーズ(ヤロスラブリ)
ところで・・・クルーズをしているヴォルガ河について多くを語っていません。
今日、通過するヤロスラブリにゆくために、初めて、ヴォルガ河本流に入ります。
モスクワ北西、ちょうど、サンクトペテルブルグの間のヴァルダイ丘陵を水源として
全長3690㎞のヨーロッパ州最長の河です。
そのヴァルダイ丘陵から流れ出た河はルビンスク貯水池に注がれ、その貯水池から
再び流れ出す河がヴォルガ河本流となり、ヤロスラブリを通過して東へ東へと進み、
カザンで大きく南に進路を取り、レーニンが生まれたウリヤノフスク近くから
サマラーラ、サラトフ、そして、かつて、スターリングラードと呼ばれたヴォルゴグラードを
経て、アストラハンから大きな三角州を形成してカスピ海に注がれる大河です。
また、この河は、カザン以降、東がイスラム、西がロシア正教の文化の境目にもなっています。
そのことはまた、カザン以降の章でご紹介します。
(Wikimedeaより)
上記の青い実線がヴォルガの流れです。図の下の右の水色がカスピ海。
左の水色がドン河が注がれるアゾフ海から黒海。
さて、ヤロスラブリ・・・
町には、ネギ坊主頭の教会の尖塔がたくさん見られる町です。モスクワ防御の要に
なっている、いわゆる、「黄金の環」と呼ばれる町の一つです。
サンクトペテルブルグから航行してきて、初めての大きな町です。人口60万人程の
中都市です。
町には前述したように教会の尖塔が目立ちますが、この町はロシア正教だけではなく
古儀式派、プロテスタント系のバプティスト派、ルーテル派、そして、イスラムのモスク、
ユダヤ人のシナゴーグなど、宗教系の建物が多い町です。
11世紀にキエフ大公国のヤロスラフ1世によって建てられた町ですが、その後、モンゴル
帝国の支配下に入っていました。15世紀になり、モスクワ大公国、ロシア帝国の支配に
入りました。
(スパソ・ブレオブラジェンスキー聖堂・・・Wikimedeaより)
黄金の環(ゴールデン・サークル)はこのヤロスラブリ以外の主な町として、
世界遺産の聖セルギイ大聖堂を擁するセルギエフ・ポサード。
モスクワ北東のスズダリ。
そして、スズダリ近く、かつてのウラジミル大公国の首府・ウラジミルなどがあり、
いずれも、宗教的、文化的で、要塞教会を擁しているところが特色になります。
町ができて1000年の歴史を持つ意でつけられた1000公園。
ヴォルガ河とコトロスリ川に囲まれた公園です。