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日本の歴史を考え直す その6 土偶の謎

土偶はなぜ欠損しているのか


 縄文時代の話をする上で絶対欠かせないのが土偶だ。土偶は必ずどこか一部分が破損した状態で出土することが知られており、これは長年経過しているからというよりも、縄文時代当時に作られた段階で意図的に破損されたものだと考えられている。破壊の理由としては、穢れを託して破壊して浄める、人柱の代わりに土偶を生け贄に見立てるなどの説がある。

 三国志の蜀の時代、南蛮征伐に向かった諸葛亮孔明は、荒れた川を沈めるために50人近くの人間の頭を切り落として川に投げ捨て生け贄とする南蛮の風習に腹を立て、頭を模した菓子を作って代わりに川に流すように命じた。これが饅頭の起こりで、だから饅頭には頭と書くのである。このように代用品を作って人柱の代わりにするという発想は、中国でさえ西暦250年ごろにはあったので、縄文時代にも生け贄の代わりに像を造ったということはまったくあり得ない話ではないだろう。

 ちなみに岡田英弘によれば、後漢の末期には中国では大変人口が多く6,000万人ほどいたのが、黄巾の乱など社会の混乱でだいぶ減ってしまい、1,000万人まで減ったとする説もあるらしい。だからこそ魏・呉・蜀の三国に別れてなかなか統一が果たせず、魏の曹操も北方の異民族を盛んに中原に転居させていたという。この考え方からすると、孔明も人手不足の中で川が荒れたぐらいのことで50人も殺すわけにはいかないから饅頭を考えついた、ということは納得がいくように思われる。三国志好きとしては黄巾の乱はどんな三国志でも冒頭に劉備や孫堅が台頭するきっかけとして登場するため妙に軽く考えてしまうのだが、人口が6分の1になるほどの内乱といえばドイツの人口の3分の2が死んだと言われる三十年戦争並みの大事件で、あらためて考え直す必要があるだろう。

 さて、土偶を御饌津神みけつかみだと考えるのが戸矢学の説である。御饌津神とは食物を司る神のことで、『古事記』では大宜津比売神おおげつひめのかみ、『日本書紀』では保食神うけもちのかみ、『先代旧事本紀せんだいくじほんぎ』には大御食都姫神おおみけつひめのかみとして登場する。

 『古事記』『日本書紀』はともかく、『先代旧事本紀』とは何かといえば、物部氏が作ったと考えられる史書である。それぞれの史書に書かれているこの神の伝承は次のようなものである。

 大宜津比売(大御食都姫)は、本来は大食津比売であろう。つまり、「大いなる食物の女神」のこと。
 高天原を追放されたスサノヲは、大宜津比売(大御食都姫)のもとを訪れて食物を乞うた。すると、鼻と口と尻からさまざまな食材を出し、料理した。
 スサノヲは、それをのぞき見て、汚物を供するものと思い込んで、怒って殺した。
 すると死体の頭から蚕が、目から稲が、耳から栗が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が生えた。(『古事記』『先代旧事本紀』)
 
 保食神は、文字通り「食を保つ神」である。
 アマテラスの命によりツクヨミは、保食神を訪れた。すると、陸に向かって口から米の飯を出し、海に向かって口から魚を出し、山に向かって口から毛皮の動物たちを出し、それらを揃えて多くの机に載せてもてなそうとした。ツクヨミは「けがらわしいことだ、いやしいことだ、口から吐き出したものを私に食べさせようとするのか」と怒って、保食神を斬り殺した。
 その死体からは、頭に牛馬、額に粟、眉に蚕、目の中に稗、腹の中に稲、陰部に麦・大豆・小豆が生えた。(『日本書紀』)
 
(中略)
 
 しかし私は、土偶こそはミケツカミであると考える。
 土偶は、女性を象るものがほとんどだ。しかも、そのほぼすべてが破壊された状態で発掘される。
 破壊するために、造っている。そして破壊は、死を意味する。
 つまり、殺害することが目的の呪術である。
 これこそは先に見た大宜津比売神や保食神、大御食都姫神に共通する食物起源神話そのものである。殺害された女性神の身体から、海山の産物が生まれるのだ。

戸矢学『ニギハヤヒ 「先代旧事本紀」から探る物部氏の祖神』24頁

 このように、豊穣を願う呪術の一環として土偶が造られたが、それは死亡した女神から食物が生まれ出てくるからだ、ということになる。この「死体から食物が発生する」という神話は「ハイヌウェレ型神話」と呼ばれ、東南アジアや中南米、アフリカなど世界各地に見られるという。つまり弥生時代よりも古く、縄文時代に原型ができた話であるので、土偶を解釈するのに適しているというわけである。

土偶に関する新説

 戸矢の説も非常に納得が行くものであるが、これは「土偶は女性を象ったものである」という前提に立脚している。そもそも土偶は何をモチーフにしているのかという点で様々な説がある。人間としての女性の場合もあれば、地母神を具現化したもの、あるいは縄文人や、宇宙人だという珍説まである。人類学者の竹倉史人によれば、それらは誤りで、土偶が象徴しているものは「植物」、それも縄文人が常食していたものがモチーフになっているのである。

 人類学の名著『金枝篇』を著したフレイザーによれば、植物食を中心とする文化圏には、かならずその植物の精霊に関連する呪術的な儀礼が伴うという。縄文人たちは、クリやトチノミなどを採集して食していただけでなく、栗林の管理やマメの栽培も行っていたことが判明しつつある。しかし、植物霊祭祀が行われていた痕跡は見つかっていない。ここが謎とされていたわけだが、じつは土偶こそ、その植物霊祭祀の為に造られたものにほかならない、というのが竹倉説である。

 土偶といえば遮光器土偶のように、ゴーグルをつけたかのような目をしていたり、横に長い楕円形をした、おだやかな顔がイメージされるだろう。これは人間をデフォルメしたというよりは、もともとマメなどがモチーフにされていると考えると、たしかにそのように見えてくる。遮光器土偶の目はマメが二つ並んでいるし、カックウの顔はクリそのものだ。
 

遮光器土偶。東京国立博物館サイトより
国宝 中空土偶(カックウ)。https://www.jomon-do.org/chukudoguより

 そして、土偶の顔にはハート型のものも多く見られるが、これもオニグルミというクルミを石で割って中を食べようとするときに、クルミの断面がハート型になるということを竹倉氏は実際に実験している。

 そして土偶が破損させられるというのも、「食べ物の殻を割る」ことを模していると考えればよいのではないか。また「貝塚」という用語に現れているように、縄文人たちは貝も常食していた。貝も、クリやクルミなどの木の実のように割って中を取り出さなければならない食べ物である。「ハマグリ」は「浜にある栗」ということだろう。戸矢学説も納得はできると同時に、竹倉説を見たあとだと「そこまで複雑にものごとを考える必要があったのか」という疑問がある。シンプルに食べているものをモチーフにしたと考えるほうが、自然ななりゆきという感じがするのである。

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