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エロゲレビュー:【まなびや】から学ぶ奥ゆかしきソリッド・エロス

我々は青春に生き過ぎた

※この記事は全てシアPの主観によって書かれています。製作者様及び関係各位様の意を代弁するものではありません。

こんにちは。結良シアのプロデューサーことシアPです。
みなさん、学校は好きですか?シアPはズボン下げ合戦の果てにネイキッドスタイルで校舎を走り回ったり合唱コンクールの指揮者賞を獲得して喜びのあまり勢い余って眼鏡を観客席にぶん投げたりシャトルランで号泣失禁をかましたりして、まぁまぁ楽しめた方でした。

さて、そんなたくましく健やかに勉学に励むための学び舎ですが、実際の所物心ついた子供たちの心を躍らせたのは、桃色ピンクなお話が8割といっても過言ではないでしょう。
YourFileHostの使い方を伝授した奴は神と崇められPSPでUMDエロ動画を見ている奴が神童と崇められた時代です。(※これは架空かつモノの例えとして言っているのであって未成年がそんなもの見ちゃいけませんからね!!ほんとに!!)

当然、そんなジュウニブンベーカリーの風船パンみたいに膨れ上がった煮凝りリビドーは、学び舎を離れ社会のサルガッソー海にぶち込まれると共に落ち着いていくものです。
しかし困ったかな、その「青春」から逃れられず神聖なる学び舎に対して「まだ性の単位を履修してないんですけど!?!?!?」となる人間が多数いるのもまた事実です。
ボカして書かずに言いますけど要は学校シチュものに対して執念が高すぎる人間、沢山おるよねって話です。

だってそうじゃん、本当に学校でそういうシチュを楽しんでたピラミッドの頂点は今更そんなん楽しもうと思わないじゃん。ってかそうだと言ってくれ。じゃないと聖帝十字陵に潰されたシュウみたいに死んでもらうことになる。

というわけで取り戻すよ、この「まなびや」で。

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仄暗く艶やかに照らされる学び舎

前置きが長くなりましたが、今回紹介するのはサークル【さかくも】様から発売されている【まなびや】というゲームです。
※販売サイトのリンク先が思いっきりR-18なので各自で検索してね

舞台は資材置場となった廃校。そこに彼女にフラれあと1週間で引っ越すことになっている傷心の主人公が「ある廃校がお金を渡してムフフなことが出来る場所になっている」と友人に聞いて出向くが……といったストーリーです。

要は廃校で援交モノです。

一般的に学園モノと言えば多種多様な生徒や先生を対象に様々なドラマやメイクラブを繰り広げていったり、あるいは邪悪教員と化して薬や催眠で……といったものが王道でしょう。

しかしこの【まなびや】に存在するのは、極限までソリッドにそぎ落とされた、カネと行為の交換関係だけです
それを端的に象徴していて、かつ決定的なゲーム体験を与えるのがこのプレイ画面でしょう。

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絶対奥からサイレントヒル系のクリーチャー出てくるやつやん

どうです、このプレイ画面。

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ドアの向こうに行ったらQTE始まるやつやん

初めて見た時にほぼ確実に同じこと考えると思うんですけど完全にホラゲーなんですよね。
このゲーム、ちょくちょく主人公のスマホに通信が入る演出があるんですけど、完全にホラゲーの演出のそれで初見はしこたまビビりました。ついでにタマタマ(ポケモン)もしぼみました。めっちゃナッシーに進化する体勢に入ってたのに。

でも考えてみれば廃校というシチュエーションなのだから当然です。
当たり前のように薄暗く、人の息遣いも聞こえない空間には自分の足音だけが――最初は不気味に、やがて妙に心地よく響くのです。
おまけに「こだわってんな~!」と思ったのが、足元が廊下ならカツカツと、ビニールシートならグシャグシャと足音が変わるのです。
これはもはや同人エロゲ界のEscape From Tarkovですよ。

そして資材置場になっているという設定だからか、そこかしこにメタルラックと段ボールが乱雑に置かれ、青春の象徴だった学生机と椅子は見当たりません。
極めつけに地面には雑多なゴミと、まだ湿り気を帯びた白くべたつく何かと、薄いゴム風船のようなものが散らかされています。

友人にはムフフなことが出来る場所だと聞いたのにどう考えてもヤバイ場所にしか思えない。歩けど歩けど人の影すら見えやしない。
興奮と恐怖、どちらがこの動悸の主になっているのかもはや見当もつかぬまま校舎をあてもなく歩き続け――少し休憩しようと目の前の教室の扉を開けてライトで中を照らすと。

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で、出……うぉ……可愛……

そこにはどこかの学校の制服と……みるからに頼りなくも扇情を煽るショーツを身にまとった少女が暗がりに微笑んで佇んでいたのでした――。


君は私を知らなくていい

とまあこんな感じで薄暗い廃校をFPS視点で彷徨い、その日お金を稼ぐために学校に出てきている女の子たちを探してムフフな遊びをするわけです。

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あとはお金を払って為すべきことを為すだけだ
(エッツな単語にはモザイクかけてます)

さて、ここで食い入るように画像を見ている貴方は気づいたかもしれません。
このプレイ画面上部やスマートフォンに映っている無機質な英数字。
何を隠そう、これが彼女たちのゲーム内における名前なのです。

プレイしていくと彼女たちとの会話で、少しずつこの廃校で行われている情事に対する説明がされるのですが、この情交パーティーを開いている運営者がいて、そこから本名は当然、仮名も禁止されているのだとか。
いわく、「愛着を持たないように」とのこと。

これには池袋の風呂サーファーと呼ばれたシアPも面喰いました。
だって普通、「そういうお店」だったら【まろん】とか【しょこら】とか【日葉利夫人】とか【詩留来主任】とか、そういう夢に溢れた名前でお相手して下さるわけじゃないですか。
なに、知らない?それじゃこのご時世が落ち着いたら会いに行ってみてくれ。

なのに彼女たちに与えられているのは名前ではなく、ID。もはや単なる記号なのです。
そして当然のように彼女たちは自分自身をIDで呼びます。

これではとてもじゃないけど彼女たちをすぐには覚えられません。どんなに可愛くても、名前を呼びたくても、愛着を持ちたくても、中々出来ないのです。

そしてもう一つ、気づいた人がいるかもしれません。
彼女たちの目線には、常に黒いラインが引かれ、その素顔を見ることは(基本的に)出来ないのです。

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シアPが画像加工をしたわけでなく、最初から目線に黒いラインがある

めちゃくちゃ素人企画モノっぽくて良いというのも当然あるのですが、それ以上に「近寄るべからず」「知るべからず」という意思をプレイ中感じていました。(エッツシーン中もこの黒いラインが目を覆い隠しています)

この薄暗い廃校にお金を稼ぎにやってくる彼女たちがどんな瞳をしているのか。行為の最中、何を見ているのか。
それをプレイヤーである我々は知ることが出来ません。
目は口程に物を言う、と言われるほど視線というのは気持ちを伝える手段になりえますが、これでは完全に壁を作られているのと同じです。
つまり、名前がIDであるのと同様、彼女たちを理解し分かりあうことが出来ないのです。

そしてそれは彼女たちにとって非常に都合がよく、またこちらもただリビドーを放出するのであれば何の問題も無いという事実が冷たく、厳粛に横たわっていることを知らしめてきます。


生理的反応と感情は必ずしも同居しない

冷たく、心の壁を築いているのは彼女たちだけではありません。
主人公である我々もまた、恐ろしく冷たい壁を彼女たちに向けて築いているのです。
それは単にカネを払い行為を求めるという姿勢だけでなく、最大のゲーム購入目的であるエッツシーンで顕著に表れています。

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肉のぬくもりよりも電子の冷たさが反応を導く
(きわどい部分は全部モザイク加工してます)

画面左の大部分を占めるスマートフォンの画面。
この画面上には、ゲームを進行していく中で手に入る彼女たちの自撮り画像や誰かの情事を撮影した画像を表示することが出来ます。

つまりどういうことかというと、目の前でコトに及んでいる女の子たちではなく、スマホの画面上に映された無機質な画像にだけ集中して行為に及ぶことが出来るのです。

これって物凄く、恐ろしいまでに理性的で合理的な行為だなと思うんです。

昨今、男女問わず人種問わず、他者をないがしろにしたりモノ扱いすることに対してこれまでは当然、今はそれ以上に厳しい目を向けられています。
ですがここでは主人公も女の子たちも、感情を相手に向けるという事を1ミリもせず、ただ生物的反応を促す行為のみに労力を注いでいる……つまりスマホを介して、このインモラルかつ無機質な世界観の演出をしているのです。

そしてそれは、愛情や好意、あるいは嫌悪などの感情が存在するという事と、体に与えられた刺激によって導かれる生理的反応は全く別の土台にあるのだということを容赦なく突き付けてくるのです。

特に目の前の女の子に主人公のフランクフルトをフニフニしてもらっているときに、スマホに入っている『元カノが自分のフランクフルトをフニフニしてる画像』を映した時、訳の分からない狂気的な興奮に心をくじかれそうになりました。

PC画面の前に居る我々は彼女たちの何に情念を覚えるのか。
互いの感情が介入する余地を完全に取り払った結果、もうそこには物理的な肉体以外存在しない。
だからカネを払う。体を使う。

多少の好悪はあれど、そこに積まれた取引条件を覆すものにはなりえない。
そして匿名ですらない、無機質で無感情な名前代わりのIDという記号が、行為を迅速に済ませるためのスマートフォンが、人間の動物的行為を雑にパッケージングされた商業的・資本主義的行為へと変貌させる。

単なる風俗モノ・援助交際モノとは一線を画す、極限までにそぎ落としたソリッドで非情なエロスがここに垣間見えるのです。

これはかの名作FPS、バイオショックと通じるものすらあると思うのです。
バイオショックはゲームとしての面白さはもちろん、「ゲーム」という演出・表現装置の限界を敗北感と共にプレイヤーへ叩き込む演出が傑作たる所以でもあるかと思います。

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人間は選択し、奴隷は従う

この【まなびや】もまた同じように、我々がエロスに求めている愛情や嫌悪といった『感情に対する希望』とはいとも簡単に機械的でシステマティックな作業によって処理することが出来るのだと証明してくれているのです。

それは単に彼女たちが事務的なプレイをするとかそういう話ではなく、人間の個性を、情欲を、恐ろしいほど無価値で無個性なものに変化させているのだ――と言ってしまうのは大げさすぎるでしょうか?


床に夢が落ちている

ここまでこの【まなびや】のどうしようもなく狂おしいほどに研ぎ澄まされた世界観・価値観をつらつらと述べてきました。
まさにこのゲームは、薄暗い廃校がもたらすモノクロ調なプレイ画面も相まって、同人エロゲ界における雪舟の水墨画然とした作品と言ってもいいでしょう。

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【雪舟 破墨山水図】

ですがこのゲーム、極限までに感情の入る余地を切り捨てた作風をしていながらも、どこか憎めないというか、愛着を持ってしまう側面も持っているのです。

例えば、彼女たちと暗闇で逢瀬を重ねるためには当然お金が必要です。
一般的なゲームであればバイトか何かをして稼いでいくのが普通でしょう。ですがこの【まなびや】は一癖どころか三癖くらい異なるやりかたでお金を稼ぐように仕向けてきます。

何をするのかというと……この廃校でコトを済ませた客の後掃除をするのです。

ちょっとブツがブツなんで画像は載せないのですが、校舎中いたるところに練乳が漏れ出たゴム風船が落ちていて、それを1つ片づけるごとに、この背徳的パーティーを主催している運営から1000円が頂けるのです。

それも1つや2つじゃない、結構な数が落ちています。一晩で1万円近く稼げるくらい落ちているのです。
そして主人公の初期残高の少なさや彼女たちに払う金額も相まって、必然的に校内清掃にいそしむことになります。

エッツなことをしに胸をワクワクさせながらやってきたのに、どこの馬の骨とも知らない男たちの夢の跡を片付けていく……。
最初は「なんじゃこのシステム!」と思っていましたが、気がつけば喜び勇んで廃校清掃員になっている自分がそこに居ました。

教室の角に3つ並んで落ちてたときとか普通にガッツポーズしちゃったしね。


また、このゲームには妙に愛着を感じてしまう演出があります。

何度も述べているように広い廃校を女の子を求めて探し回るシステムなのですが、昼間は資材置場として使われているという設定上、日によって校舎内の物資の配置が変わっていくんですね。
それに合わせて女の子たちも日々違う所に現れるようになっています。

それを聞いた諸兄は「ええっ、薄暗い廃校を歩くだけでも大変そうなのに毎日違う場所にいるとかそんなんもっと大変そうだよ~!」とか仰るのでしょう。
待ちたまえよ、紳士はどんな困難な状況でも魂と股間に添えた手以外は揺さぶらないものだ。

じゃあどうやって女の子を見つけるのかというと、床をじっくり見ながら歩くのです。
するとこんなものが目に入ってくるでしょう。

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マ・ッ・テ・イ・ルのサイン

彼女たちが待っている部屋の前や階段の踊り場に、こういった赤い布が置いてあるんですね。
ですから広い校舎を彷徨っていても、これを探し回れば大丈夫という寸法です。

しかしこれ、何だかとても奥ゆかしいと思いませんか?

あれほど無機質だ無感情だと述べてきたこのゲームの世界観の中にあって、自分の居場所を伝えるのが赤い布切れだけ。
必要以上に主張せず、ただこれだけを置いて待つのみ。

まるで古き良き愛憎劇で描かれてきたヨシワラ・オイランめいているしぐさです。

お金を稼ぐためにここにきている彼女たちが、しかし自分を不必要に売り込もうとせずに赤い布だけにそれを託す。
本当は見つけてほしくないのか、あるいはこれを見つけられる位生真面目な人間にだけ気づいてもらえればいいのか……
何故この赤い布が置かれるようになったのかはゲーム中で語られることはないのですが、とてつもなく想像力をかきたてられます。


だけど僕らは人間だから

そしてもう一つ、このゲームには心の奥底をくすぐってくる要素があります。

それは彼女たちと会話をし、交流できるという事です。

「いやそんなん別に何も特別でもなんでもないやん」というお言葉が飛び出そうになっているかと思いますが、ここは一つ最後まで聞いてください。

彼女たちにお金を払うのは肉体的行為だけでなく、会話にもまたお金が発生します。
ですがこういう世界観のゲームですので、本当に最初は当たり障りのないことだけとか、あるいは苛立ちの言葉しか聞けないんですね。

しかしめげずに会話を重ねていったり、校内に落ちている彼女たちの私物を拾って届けてあげたりすると、おぼろげに彼女たちがここで稼いでいる理由や取り巻く私生活といったものが見えてきます。

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必要以上は語らない

ただ、それもほんのちょっぴりだけです。
会話自体がほんの数言ずつしかないというのも相まって、彼女たちの生い立ちやお金が必要な理由を全て説明してもらえることはありません。
多分、フロムソフトウェアのソウルシリーズよりも語ってもらえません。

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廃校に入る前に素顔の彼女たちに会うことがあるが、
話しかけても会話は一切してくれない。

だからこそ、なんです。

突き詰めに突き詰めたソリッドな世界観だからこそ、彼女たちにも感情や生活があるという事を知れた時、信じられないほど愛おしく感じてしまうのです。

例えるなら、果てしない砂漠を彷徨い歩く最中に、ふと手で掬えるだけの水が湧いているのを見つけた時のような気持ちになるのです。
まぁ湧いてくるのは水じゃなくて股間のコンデンスミルクなんですけど。

また、彼女たちの落とし物を拾ってあげると、「お礼」と称して色んなサービスをしてくれたり、ムフフな自撮りが送られてきたりするんですね。
もちろんそれ自体エロゲとして最高のご褒美なのですが、それ以上に「ああ、彼女たちも血の通った人間で、少しでも距離を近づけることが出来たんだ」と思えて、狂おしくなるほど胸が焦がれるのです。

ネタバレは避けますが、彼女たちの信用をMAXまで重ねていくと、ほんの少しだけ後日談が語られます。
その語り口はこのゲームだからこそのソリッドな切り込み方で、だからこそこの退廃的な世界観やインモラルな彼女たちに対して幸あらんことを、と祈らずにはいられません。

どれほど無感情を貫きシステマティックな姿勢を見せていたとしても、我々に心というものが存在し他者と交流する以上、是非はさておき情は動く。

ヘーゲルの絶対精神から一線を画すものとしてぶち上げられたマルクスの唯物史観が、しかしやはり絶対精神の世界に回帰するような構造がこのゲームからは見受けられるのです。(ここらへんカッコつけるための聞きかじりの適当知識での語りなのでぶっ叩かないでくださいお願いします)

何が言いたいのかって言うと、多分、きっと、恐らく、もしかすると「自分は、人は、この無情で無慈悲な世界の只中にあっても、優しくなれるんじゃないかな」と、そんな希望や救いの欠片のような物もこのゲームは見せてくれている――様な気がするのです。

まとめ:股間のスローライフのススメ

というわけで、いかがだったでしょうか?

性癖、というよりこのゲームを取り巻くインモラルで退廃的な世界観や空気感が非常に尖っているため、刺さる人には信じられないほど刺さるタイプのゲームだと思います。
廃校で夜な夜な行われる情事、徹底的に無感情で冷たいプレイスタイル、そういうものが好きな人は買って損はないでしょう。

逆にイチャラブだったり征服感だったり、そういうのを求めている人にはあんまりかもしれません。
そもそも、ストーリーらしいストーリーはありません。

だって主人公は1週間後には遠くに引っ越す人間で、彼女たちの相談に乗ってあげたり救ってあげたりすることは一切ないのですから。

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主人公の自室。荷造りを終え、ただ寝るだけの『箱』

そしてゲーム自体の進行は決して早くありません。
細かく探索して1週3時間程ですが、やれることは最初は少なく、じわじわと進めていかなければならないのです。

あと、ここは出来たら改善を……と思ってしまうのが、歩行速度ですね。
当たり前と言えば当たり前ですが、廃校内を喜び勇んで全力ダッシュする奴がいたらそれはもうほんとにただのホラゲーになります。
とはいえ、結構広い校舎内を歩くことになるので、あとちょっとだけ早いと……という気持ちもなくも無いです。
でもこの歩行速度のゆっくりさ加減も、泡のお風呂に入る前、お嬢様がお迎えに来てくださる前にやたら紳士然とする時と同じだよなと思えば可愛らしく思えますね。

そんなわけで、その気になればすぐに股間のジャンクフードを摂取できる昨今、こういった心の琴線というかヒダヒダをじっくり解きほぐす作品に触れてみるといいんじゃないかなぁと思うんです。

そもそも冒頭でも述べたような頭桃色ピンク小僧だった頃、エロスとは高嶺の花であり尊い物であり粗末に扱えるものでは無かったはずです。

そう、青春時代に戻って本当に取り戻したかったもの。それはなにがしかの形ある行為ではなく、このどこか薄暗くも捨てられない、かけがえのない気持ちだったのです。

それを私はこの【まなびや】で学んだのでした。


最後に、このような素晴らしいゲームを作って下さったサークル【さかくも】様に感謝を述べて、この記事を閉じたいと思います。


※この記事は関係各位様に怒られたら消します。


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