見出し画像

<乳房幻想>の膨張と収縮

前回はマリリン・モンローについて書きました。映画史やエンタメ論をしたいのではなく、あくまでテーマは増殖です。それにまつわる資本主義のお話です。
今回はマリリン・モンローの物語をうけて、彼女をいまなお伝説的なハリウッド女優たらしめているその容姿、なかでもモンローの乳房についてふれておきます。ちょっと脇道かもしれませんが、これだって増殖の物語です。ということで...

弾丸ブラの流行った時代

女性のバストラインを異様に尖らせたスタイルが、アメリカで大流行した。1940年代後半から50年代にかけてのことだ。

バレット・ブラ(弾丸ブラ)と呼ばれたブラジャーを身につけ、そのうえにニット素材のセーターを着て、胸を強調したのである。当時の写真を見ると、その豊胸ぶりは異様ともいえるほどだ。おまけに、大な鉛筆の芯のように尖ったブラの先には、ぐるぐると螺旋状のステッチまで施されている。
女性のからだのなかでもとくに胸が注目され、消費された時代といえる。

ところが皮肉なことに、アメリカのブラジャー業界が、大きな胸を最大の魅力にしたマリリン・モンローにたいして、というよりモンローの乳房にたいしてボイコット運動を繰り広げたことがあった。
これを紹介しているのは作家の安部公房で、「実験美学ノート」という文章のなかで、週刊誌の記事によると、と断わりをいれながらモンローの乳房について書いている。

それによれば、映画『お熱いのがお好き』(1959)に出演したさいに、モンローはブラジャーをつけていなかった。もちろんドレスは着ているが、横から見るとホルスタインのようで、グロテスクだと。当時のアメリカのブラジャー業界が、そういって批判したのだそうだ。
なにしろ時代のアイコンとなっていたマリリン・モンローである。ブラジャーなしで映画に出演すれば、その影響ははかり知れない。ブラジャー業界は商品の宣伝・販促を考えて噛みつたわけだ。
しかし、どちらもバストを強調したいという点では同じだ。それを欲する時代の空気というものがあったのだろう。

消費社会のアイコンとなったバスト

第二次世界大戦後のアメリカは、性別による伝統的な役割分担への回帰がみられた時代だった。女性らしさが強調され、とりわけ見た目においては、くびれたウエストと豊かなバストをもった曲線的なからだを理想的な女性像としたのである。
いかにも男性の視線を意識した、マリリン・モンローの自己演出も、こうした時代の空気を充分に感じとったものだったはずだ。
その意味では、円錐形のカップをもった弾丸ブラもまた、時代がつくりあげた幻想だったといえる。バストを上へおしあげ、ドラマチックなシルエットをつくりだすことで、極端なまでの理想的体型を実現しようとした。

コルセットがそうであったように、女性のボディラインを過激にデフォルメする風潮はさまざまな時代にあらわれる。アメリカ社会が消費にわいたこの時代、その革新的なまでの豊かさを具象化したのが、この尖ったバストだったのだろう。

マリリン・モンローが時代のセックス・シンボルとなったように、乳房は消費社会のアイコンでもあった。両者にはその過剰さや豊かさと同時に、ある種の鈍さや虚構性においても共通するものがある。おそらく人々はそれを感じとっていたはずだ。そのはてにある崩壊の兆しのようなものまでも。
弾丸ブラのスタイルは、見た目を重視するあまり、女性のからだを極端なまでにゆがめ、自由に動けないほどに無理を強いている。それはまさに女性にたいする社会の重圧でもあった。その不均衡さゆえにいつかは破綻することがわかっていて、その危うさを人びとはどこかで期待するようなところがあったかもしれない。

時代によってどんな乳房が好まれてきたのかを、理想の女性像とからめながら、すこし見ておこう。
男性による乳房信仰、とりわけ大きな乳房への憧れは、古くからあった。たとえば旧石器時代、ヨーロッパから西南アジア、シベリアにかけて、オーリニャック文化というのが広まった。だいたい3万年から1万年くらいまえのことだ。

古代から現代までの変遷

この文化は数多くのヴィーナス像を残した。いや、ヴィーナスといってよいものかどうか。その多くが、極端なまでに乳房と腰まわりが大きい。肥満といってもいいだろう。なかでも有名なのが、ヴィレンドルフのヴィーナスである。ヴィーナスという言葉をつかわず、たんにヴィレンドルフの女といわれることもある。
この像は、高さ11・1センチのスティアトパイグス型小像で、石灰石でつくられている。スティアトパイグスというのは臀部突出という意味だ。てのひらに収まるほどの大きさにすぎず、1908年にオーストリアのヴィレンドルフ近くの旧石器時代の遺跡で発見されたものだ。いまは、ウィーン自然史博物館に収蔵されている。

この小さな女性像は、たしかに女性のかたちはしている。頭部は、の凸凹がある編みこみ帽のようなものでおおわれ、全体のバランスは4頭身くらい。腕は極端に矮小化されている。ところが、乳房は異常に大きく、片方だけで頭部ほどもある。腹部は妊娠しているかのように膨れ、そのしたに陰部がある。臀部、すなわちお尻も大きく左右に張りだしているが、足は自立できないほどに小さい。
奇妙なかたちの女性像であることはまちがいない。

このヴィーナスに象徴されるように、古代において豊満な乳房は、豊穣のシンボル、命のあかしとされた。紀元前2000年ころのクレタ文明でも、乳房の豊穣さを強調した女神像が発見されている。

ところが、古代ギリシアになると乳房は強調されることはない。ミロのヴィーナスを見ればよくわかるだろう。女神というよりもむしろ男性的なボディだ。つづく古代ローマでは女性は乳房を小さくしようと試みたという記録が残っている。その後、キリスト教的世界観のなかで、ヨーロッパでは巨乳は評価されなかった。
ルネサンス期になって、ようやく上流階級のあいだで乳房のエロティシズムに注目するようになったが、大きな乳房を表現したものはない。

さらにルネッサンス以降、つまりここ500年ほどを眺めてみると、女性の理想体型は大きく揺れ動いてきた。豊満さを強調する時代からその正反対である華奢な体型まで、振幅の幅はかなり大きい。
たとえば16、7世紀のスペインでは、女性たちは胸を小さくするために、金属の板をつかって胸を引き締めていたという。19世紀イギリスでは、コルセットでウエストをしぼりあげて18インチ、つまり45センチほどの極端に細いウエストを人工的につくりあげた。ウエストをしぼれば。その分、胸や腰回りは強調されることになる。

海をわたったアメリカに目を移せば、19世紀前半、青白く華奢な女性が好まれた。当然、乳房はあまり強調されない。ところが19世紀末になると、背が高くて、たくましい女性像がアメリカの主流になってくる。
1910年ころには、それを小型にした感じの小柄でボーイッシュなモデルが登場して、人気を集めた。
さらに1920年代になると、胸が小さくてスレンダーな体型が理想となっている。アメリカで、女性の社会進出がものいちじるしく進んだ時代だ。そんな社会の事情が、乳房をどう見せるかという問題と関係があるような気もする。1930年代になると、豊満な胸が注目を集めるようになり、これが50年代の終わりころまでつづいていく。マリリン・モンローが映画界で活躍したのもこの50年代のことだった。

女性にすれば、「男たちが好き勝手なこといって」という感じかもしれない。しかし、乳房をどのように見せるかという考え方は、想像以上に時代や地域によって変化している。

女性の身体の一部ではあるが、こうして語ってきたのは実体としての乳房ではなく幻想としての乳房、あるいは理念としての乳房であり、その膨張と収縮だ。それは時代の文化や経済の影響をうけ、メディアの発達がそれをより極端なかたちにしているのはいうまでもない。つまり、20世紀に吹き荒れたイズムの時代、そこでのキャピタリズムが背後にある。


■ほんの紹介

いいなと思ったら応援しよう!

Enma Note
記事をお読みいただき、心より感謝いたします。それだけでも十分ではございますが、もし支援のご意志がございましたら、よろしくお願い申し上げます。(Enma Noteより)