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性の革命とバタイユの「小さな死」

1960年代の反体制運動は意外なところに熾火を残した。それは、あたりまえだと感じてきたことへの疑いだった。この自明性への疑念は、豊かな社会がもつ欺瞞にむけられたものだ。
高等教育は資本主義としっかり手をむすび、経済発展は発展途上国家にたいする搾取からなり、社会には男女差別がまかりとおっている。こうしたまやかしにたいして、人々は「言葉の先鋭化」という武器を手にいれた。体制は変わらなかったが、あきらかに人々の意識は変化した。
その武器を手に、一連の騒動はフリーセックスや自由恋愛といった新しい価値観を支持する思想・文化として広がりをみせていく。政治的には挫折した運動だが、雨が降って地面に雨水が染みこむように、当時の社会にはそれまでにはなかった思潮や感覚が浸透していった。

そんななか、1973年にイタリアでひとつの映画が封切られた。思春期にはいった少年の性をあつかった、けっして大作とはいえない映画だ。この作品はイタリアをはじめヨーロッパやアメリカ、日本で大ヒットする。邦題は『青い体験』だった。

1970年代の新しいポルノ映画

ストーリーは単純で、中学生の少年に若く美しいメイドが初体験をさせるというものだ。これをややコミカルなタッチで描いている。原題の『MALIZIA』は「悪意」という意味のイタリア語である。しだいにエスカレートする少年の性的な悪戯をさしているのだろうが、思春期の少年の気持ちをかき乱してしまうメイドの、肉感的な魅力を暗示しているというふうに深読みすることもできる。

じっさい、主演のラウラ・アントネッリの放つエロティシズムによって、この映画が大ヒットしたといっても過言ではない。彼女はこの映画で一躍1970年代のセックス・シンボルとなった。その後、1976年には巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作『イノセント』に出演し、同監督をして「ヴィーナスのからだをしている」といわしめた。

しかし、どんなに魅力的な肉体をもっていたとしても、それだけならマリリン・モンローの時代とそれほど変わりばえはしない。この映画の新しさを、上野千鶴子がこんなふうに指摘している。すなわち、乳房ではなく性器、性的雰囲気ではなくセックスそのものを強烈にイメージさせたことにあると。
じっさい、映画を見らばわかるように、演出や撮影も、胸よりは下半身に関心がむくように工夫されていた。本棚の高い位置に手を伸ばすアントネッリを、ローアングルで撮影したシーン。あるいは、家族があつまったテーブルのしたで脱がされる小さなスキャンティ。フェティッシュは女優のふとももや腰まわりに集中する。性にたいする焦点のあて方が、それまでの映画とはあきららかに異なった。それは乳房の衝撃を超える、もっと淫靡なものだった。
ただし、その淫靡さは、思春期の少年の目を通して描かれていく。それは性の通過儀礼であったと同時に、変化する時代の象徴していたのかもしれない。

翌1974年にはジュスト・ジャカン監督によるフランス映画『エマニエル夫人』が公開され、世界的な大ヒットとなった。アンニュイな雰囲気が漂うタイの首都バンコクを舞台に、自由な性を体験する若い外交官夫人の物語である。
性の解放というテーマのもとで、大胆なセックスシーンが何度もスクリーン上に展開する。のちにソフトコア・ポルノと称されるようになった映画である。無名だった主演女優のシルビア・クリステルは、この作品でいっきにその名を世界に知られることになった。

奇妙なことに、この作品が公開されたとき、映画館には多くの女性たちがつめかけた。お洒落な雰囲気を漂わせているとはいえ、ポルノを観るために女性たちが映画館の入館料を払ったのだ。
男性を欲情させるためだったセックスシーンが、まるで女性たちが身につける美しいアクセサリーのように描かれていたのである。欲情的でありながら、エレガントで、どこかイノセントな気配を、彼女たちは敏感に感じとった。
と同時に、この映画のなかにはおそらく、秘密の小箱がそっとおかれていたのだろう。その箱にはいっているのは、ジョルジュ・バタイユのいう「小さな死」(la petite mort)だ。これはエクスタシーの絶頂を意味する。性にまつわつるものには、多かれ少なかれこの小箱がひそんでいる。と同時に、比喩的にいえばそれは、破滅.的な浪費である。

セックスそのものはもちろん生殖という潜在的な目的に支配され、繁殖という生のエネルギーに満ちている。そのいっぽうで、エロティシズムは他者との濃密な関係によって自我を崩壊させ、擬似的な死をもたらす。たとえ一瞬のことであったとしても、それは死のシミュレーションにちがいない。そこに出現しているのはある種の「中間領域」のようなもので、リアルを追い求めたはてに、リアルから浮遊してしまう領域である。
この領域はふたつ異なる世界をつなぐ役割をはたしていて、モンローの人生やウォーホルの作品、あるいは五月革命のなかにもこの小さな死があった。

こうした死の模擬行為を可能にする典型がエロティシズムであり、それが身体をひとつの記号にしてしまう。そこには生産ではなく、記号の戯れだけが存在している。多くの女性たちは『エマニュエル夫人』のなかに、その秘密の匂いをかぎつけたのだろう。

記号化された身体と資本主義

性の記号化は、資本主義の変容と手をたずさえて生活や社会のなかにしみこんでいったのではないだろうか。労働の主体であり、性的欲望の主体でもある身体は、本来、ひとつの統一体として存在し、分割不可能なものだった。ところが、資本という抽象的なものが介入したことで、両者は分断されていく。第二次世界大戦以降、消費社会が目に見えて拡大していくなかで、あらたに商業的なイメージ戦略が市場にあふれはじめた。こうした流れのなかで、身体は記号になっていったともいえるだろう。

記号とはミシェル・フーコーのいう「ディスクール」、すなわち社会に開かれた言説である。そこでは身体の価値は、モノとしての存在感よりも差異によって観察され、きびしく選別されていく。差異とは、比較によって生まれるものである。
ソシュールは「言語には対立しかない」と、『一般言語学講義』(1916)のなかで述べている。言葉によって、ほかのモノとのちがいが明示され、その差が際立てられるのである。
やがて映像の時代、イメージの時代が到来すると、資本主義は商品の言説化という特性をあらわにしはじめた。差異を強調していくうえで、視覚情報がきわめて有効な手法となっていったのである。メディア・テクノロジーの進化はますますこれを助長し、世のなかに映像があふれていくことになった。

メディアのなかの身体には、現実の身体にはないさまざまなイメージがとり憑いている。それらはまさに、記号化されてしまった身体の過剰な戯れといっていいだろう。1950年代から60年代にかけて活躍したハリウッド女優たちは、この戯れの最初の体現者だった。映像をつうじてやりとりされるものはイメージであり、もはや実体はなく、空虚な身体にすぎない。すなわちそれは死である。資本主義がかかえるこの特質を、曼荼羅のようなモンロー像を制作したウォーホルは、みごとに見抜いていたわけである。

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Enma Note
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