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Princes in the Tower



幽閉された少年王

チューダー王家の歴史が始まるほんの少し前……。
二人の少年が、忽然と『塔』から姿を消した────……。


ジョン・エヴァレット・ミレー作『塔の中の王子たち』
二人の幼い少年が塔の医師の階段の前に立ち、迫りくる自らの、抗えない運命への不安と恐怖を描いている。兄王子の左足にはガーター勲章、弟の頸には金のロケット。この二人が大変高貴な血筋を持っていることを暗示している。
ポール・ドラローシュ作『塔の中のエドワードとリチャード』
犬が、タペストリの向こうに居る不審者たち達の気配を察し、少年たちの運命を暗示している……。



この絵を文章にした有名な一文がある。
この寝台の端に、二人の小児が見えてきた。一人は十三、四、一人は十歳くらいと思はれる。幼き方は床に腰を掛けて寝台の端に半ば身をもたせ、力なき脚をぶらりと下げている。右の肘を傾けたる顔と共に前に出して、年嵩なる人の肩に懸ける。年上なるは、幼き人の膝の上に、金にて飾れる大きな書物を広げて、其の開けてあるページの上に右の手を置く。象牙を揉んで柔らかにしたる如く美しい手である。二人とも烏の翼を欺くほどの黒き上着を着て居るが、色が極めて白いので一段と目立つ。髪の色、目の色さては眉根鼻付から衣装の末に至る迄両人とも殆ど同じように見えるのは兄弟だからであろう。兄が、優しく清らかな声で、膝の上なる書物を読む。
「我が目の前に輪が死ぬべき折の様を見る人こそ幸あれ。日毎夜毎に死なんと願え。やがては神の前に行くなる我の何を襲るる……」
弟は、世にも哀れなる声にて「アーメン」と云う。折から遠くより吹く木枯らしの高き塔を撼(ゆる)がして一度びは壁も落つるばかりにゴーと鳴る。
弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔を擦り付ける。雪の如く白い布団がほかと膨れかえる。兄はまた読み始める。
「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば翌日(あす)ありと頼むな。覚悟をこそ尊べ。見苦しき死に様ぞ耻の極みなる……」
弟又「アーメン」と云う。その声は震えて居る。兄は静かに書をふせてかの小さき窓の方へ歩み寄りて外の面を見ようとする。窓が高くて脊が足りぬ。床几を持ってきてその上につまだつ。百里をつつむ黒霧の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠れる犬の生血に染め抜いたようである。兄は「今日も亦こうして暮れるのか」と弟を顧みる。弟は只「寒い」と答える。「命さえ助けて呉るるなら、伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が独り言のように呟く。
弟は「母様に逢いたい」とのみ云う。このとき向こうにかかって居るタペストリに織り出したる女神の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く────……。 

夏目漱石「倫敦塔」

この絵に描かれているのはまだ十三歳にも満たぬ幼き少年王エドワード五世と、その弟、十歳のヨーク公リチャードである。

そして、彼ら兄弟を倫敦塔に押し込めたのは、エドワード五世の王位を狙う、同じ王家の中の先王の弟リチャードであった……。

グロスター公リチャード(リチャード三世)の策略

チューダー王朝の前のイングランド王家……、プランタジネット朝末期は赤薔薇と白薔薇が争う所謂「薔薇戦争」の終焉。「赤薔薇」ランカスター家の血統を根絶やしにした「白薔薇」ヨーク家のエドワード四世により、戦乱の世はいったん終息したかに見える…、が、そのエドワードも四世も40代に入ったばかりで早世。
薔薇戦争も詳しく書きたいのは山々だが、其れやってると間に合わない…!ので、取り敢えずは「なんやかんや」あって、エドワード四世のヨーク家が政権を取ったんだよ、で、理解してくれるとありがたく…!

で、一旦はランカスター家を根絶やしにして、めでたしめでたし…、となるはずがなく、まだまだ戦乱や恨みつらみの火種はあちこちに燻っていた。
そして、まだ子供の少年王にそんな乱世の名残を収められるかと謂えば……。
そう、王位を狙う先王の弟リチャード、即ちグロスター公リチャードはこう言放つ。
「子供の王様じゃあ国は災難だな…!!!!」

グロスター公リチャードは、シェイクスピアの「リチャード三世」のモデルとなった人物である。

と、謂うわけで、wiki先生から引っ張ってきた家系図をば…
どーん!!

wiki先生いつもありがとう!エドワード四世の弟がグロスター公リチャード(リチャード三世。)息子がエドワード五世。ヨーク朝がテューダーに連なるネタバレを見た気がするが気にしない…!
リチャード三世(グロスター公リチャード)

リチャードは、自らの王位の正当性を、つまり、「塔の中」の少年王、エドワード五世の王位の不当性を喧伝しなければならない。
曰く
「先王エドワード四世は、エリザベス王妃(エドワード五世の母親)との結婚以前にエリーナ・トールバットという女性と結婚している!したがって、エリザベスの子として生まれたエドワードとリチャードは庶子であり、王位継承権など持っていないのである!!」

つまり、「エリーナ・トールバット」という女性と、先王エドワードが婚姻を結んでいたということは、エリザベス王妃は、先王エドワードの「正統な王妃」とは言えないのであり、その子供達はもまた、正嫡ではないのであるからして、王位なんて持っていないのであ~る!!

と、謂う理屈だが、これを強引に押し通しましてですね。
議会にて
「真の王位継承者は、先王の弟にして現摂政のリチャードのみである!」
と、リチャードの王位継承と、エドワード五世の廃位を議決してしまったんである。

ロンドン市民も、このリチャードの言い分と少年王への中傷を信じてしまう。
そうしてとんとん拍子に、1483年7月3日、リチャードは戴冠し、リチャード三世として即位する…!!

扨、塔の中の少年たちはと謂うと、リチャードに王位を無理矢理奪われた末は、生きる術などない。リチャードは、ロンドン塔での少年たちの暮らしは王家の人間に相応しいものと謂っているが…ここで、彼等を見たというイタリア人のマンチーニさんに、その時の様子を語ってもらいましょう。

次第に二人の王子の姿は、窓越しに見られることは少なくなり、やがてついに二人の姿は消えた。王のお相手を勤めていた最後の侍従の一人、シュトラスブルグの医者は伝えている。「若き王は自分の死が避けられないのを知って、日々告解と悔悛によって自分の罪の許しを求めた。…しかし王がどのような方法で片付けられたのか、私にはわからない。

マンチーニさんの証言

この二人の子供が、どのようにして、誰の手によって塔から消えてしまったのか、あるいは消されてしまったのか、それは現代にいたる今もなおはっきりとしてはいない。
ただ一つはっきりしているのは、リチャード三世即位後、6月の下旬から8月迄は二人の子供は、ロンドン塔の窓から時々姿を見ることが出来たが、9月以降はぱったりと姿を見なくなってしまったそうだ。

少年たちの逃れられない残酷な運命


では、少年たちは何処に行ったのか。
1513年、トマス・モア卿が出版した「リチャード三世伝」によると、ヨーク家のジェームズ・ティレル卿に金と引き替えに二人の王子を「始末」させたとされている。
但し、注意しなければいけないのは、1513年であればすでに、テューダー王朝の御代になっている、ということだ。
テューダー王朝はヨーク朝から王位を奪って成立した王朝だ。つまり、ヨーク朝の最後の君主であるリチャード三世の王位の正当性を否定し、テューダー家こそが王位に相応しい、リチャード三世は超悪いやつだから、テューダー家がヨーク家にとって代わったことは正しいことなんである、と、主張しなければならない。

事実、テューダー朝はリチャード三世打倒後、リチャード三世をこう評している。
「脊椎湾曲症(所謂傴)で、生まれつき歯が生えていて逆子だった」
※「不自然」なことは、何でも悪魔の仕業だとされていた迷信的な時代、これは極めて不吉だった。
「王位強奪のために数々の殺人を犯した!1471年にはロンドン塔で国王ヘンリー六世を殺したし、その息子のエドワード王子もテュークスベリーの闘いで殺した!」
「1478年、兄のクラレンス公ジョージを殺した!!マームジーワインの大樽で溺死させたんだ!」
と、まあ色々謂われてはいるが肖像画を見てもわかる通り、リチャード三世は脊椎湾曲症ではないし、薔薇戦争では兄のエドワード四世の忠実なる臣であり、厄介と謂われていたイングランド北部の統治を担当し、手腕を発揮。
今の尚、イングランド北部の人々はリチャード三世を敬愛しているという。更に言えばリチャード三世にヘンリー六世を殺した事実はないし、エドワード王子を殺した事実もない。
クラレンス公ジョージは常習的反逆者だったため、兄エドワード四世が、処刑したに過ぎない。
更に最新のDNA鑑定では、リチャード三世が金髪碧眼だった可能性が高いとの結果も出ている。

と、まあ、少しだけ話はそれたけども…、
それでも、リチャード三世にとって、兄王の忘れ形見、エドワード五世兄弟は王位を狙うにあたり邪魔者であったことは疑いようもない事実であろう。
ただ、リチャード三世がこの二人を殺めたのではないと謂う人々は、幼い二人を葬ったのは、他でもない、リッチモンド伯ヘンリー、のちのヘンリー七世だと主張する。
何れにせよ、まだ幼いこの二人の王子が、正統な王の血筋を持っている以上、リチャード三世にしても、ヘンリー七世にしても、エドワード四世の息子であるこの二人の王子の存在は障害以外の何物でもなかった。

夏目漱石は、倫敦塔でこんな光景を夢想する。

丈の長い黒装束の影が一つ中庭の隅にあらわれる。苔寒き石壁の中(うち)からスーと抜け出たように思われた。
夜と霧との境に立って朦朧とあたりを見廻す。暫くすると同じ黒装束の影が又一つ影の底から湧いて出る。櫓の過度に高くかかる星影を仰いで「日は暮れた」と脊の高いのが云う。「昼の世界に顔は出せぬ」と一人が答える。「人殺しも多くしたが今日程寝覚の悪いことはまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの裏で二人の話を立ち聞きした時は、いっその事やめて帰ろうかと思うた」と低いのが正直に云う。「絞める時、花のような唇がピリピリと震うた」「透き通るような額に紫色の筋が出た」「あの唸った声がまだ耳について居る」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の上で時計の音があんと鳴る─────

夏目漱石「倫敦塔」より


時は過ぎて、1647年。
ロンドン塔の王室礼拝堂に繋がる階段を補修していた作業員たちが、階段約三メートル下に、木箱が埋まっているのを発見する。
その中には、人骨が入っていた。当時の国王チャールズ二世の主任外科医のジョン・ナイトがそれは「二人の少年」の骨だと断定する……

が。
1933年にその骨を再検査してみたところ結果は非常に曖昧だった。この骨が少年達の物であることどころか、性別すらもはっきりとしなかったのである。
少年たちの死の真相も、行方も、今も尚謎に包まれている。

そして、少年王エドワード五世から、王冠を奪い取ったリチャード三世。
彼の立場もまた安泰とは言えなかった─────……。

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