永和

29才、オンナ。

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「私」という曖昧な人間について①学校編

言葉にするだけ無駄かもしれない。 大体のことはそうだと思う。言葉にしたって、受けとる側がどう感じるか、どう受け取ったかですべて変わってしまうから。それでも私には言葉しか武器がないから、私は何でも言葉に起こす。それに、「でも、言葉にしないとだめだよな。」と歌ってくれたバンドが、私の春には居たからね。 生きている証拠とか、私が私として存在する証拠とか、くだらないけれどそんなものばっかり求めて生きてきてしまった。 これまでの自分の生き方を「くだらない」と括ってしまうあたりがくだ

    • 未来の約束を糧に生きている

      未来を考えることは、今の私にとって、心から億劫なことだった。 夢を叶えた。 どうしてもなりたかった。私はどうしてもこの仕事につきたかったし、どうしても、どうしてもこの夢を叶えたかった。以前の記事にも書いたことではあるが、この夢の名前、つまるところ職業名を知ったのは大学に入ってからだった。それまでは漠然とこういう感じの仕事がしたいなと思っていた。 夢を叶えて3年間、私はとても楽しかった。 もちろん嫌なこともたくさんあったし、たくさん泣いたし、何度も話し合いをしたりもした。で

      • 想いの海で溺れる

        2023年の目標は、いなくなってしまうことだった。 それはしんでしまうという意味も含めて、あらゆる場所からいなくなってしまうつもりだった。大切な場所。家族、ゲーム、ネット。とにかく思い当たるすべての場所だった。どんな方法でもいいから、みんなの場所からいなくなろうと思っていた。失ってしまうのは怖いから、失うくらいなら私がいなくなればいいと思っていた。大好きな場所から、すっといなくなろうと、それをこっそりと目標に掲げていた。 私は上手に生きられない。 上手に生きるってそもそも

        • 思い出戸締まり

          思い出になるときって、案外あっけないのだなと、思った。 報われなかったあの日々が、遠くできらきらと光っている。 思い出にする。 簡単なようでどうしたっていつも脳内にへばりついていた彼より好きになる人なんてきっと現れない。彼の不幸より笑ってあげられる不幸なんてきっとない。私の悪い癖は、そうやって未来を封鎖して、未来を限定してしまうところにあるのだと知った。絶対なんてこの世にはないのに、それでも私は「絶対に」という言葉を乱用していた。まるでなにかの防御線のように。自分を守る何か

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        「私」という曖昧な人間について①学校編

          身体にまとわりつく夏の陽が恋しい

          悪夢の話を書いてからというもの、そういえばしばらくnoteを更新していなかったことに気が付いた。 noteのお題に「夏の思い出」というのがあったので、それについて書いてみることにする。おそらく途中で話がずれるが、まあ私の文章の醍醐味ってことで(…)。 ここ最近の夏の思い出といえば、私は家に引きこもっている記憶しかない。 この2年は、夏になると限界を迎え、休職している。 通院したり実家に帰ったりする程度で、ずっとずっと家でゲームをしている。夏らしいことは何もせず、ただエアコ

          身体にまとわりつく夏の陽が恋しい

          夢の足跡

          私がよく見る悪夢たちは、あまりにも非日常で、ファンタジックなものが大半である。だけどその中でも異常にリアルなものがあったりもする。これまで私が鬱と診断されてから見るようになった数々の(面白く見える)悪夢たちをご紹介しようと思う。いやほんと、目が覚めて冷静になると「なんやったわけ…」って笑えるものもあるんですよ。恐怖で固まるものもありますが。 軽い気持ちで読んでいただけたら幸いです。 先に言ってしまえば「そうなんだ」と私自身に固定概念を植え付けることになるから、医者が敢えて

          夢の足跡

          孤独の上澄みを分け合いたい

          とっくに記念日を通り越してしまったが、うつ病と診断がおりて1年が経った。 私の心の壊れ方というか、病名がついた経緯については別の記事に書いているので割愛する。今、あれから1年が経って、どんな状態で、日々何を思っているのかだけ書いてみようと思う。 2021年の8月8日に、精神科に駆け込んだ。 医者は私にうつ病の診断を下した。 うつ病と診断がおりるのは想定の範囲内だった。 私はずっと希死念慮と隣り合って生きてきて、それが顕著に現れただけだった。半年近く休職をして、正直無理を

          孤独の上澄みを分け合いたい

          くだらない日常の話

          日常はあまりにくだらない。 重度の花粉症は、私のあらゆる呼吸器をまんべんなく攻撃している。呼吸をするのも目を開けているのも億劫で、イライラしてたまらない。誕生日の次に機嫌が悪い季節だ。そんな機嫌の悪い季節は、なぜか出会いと別れの季節でもあった。私のくだらない日常でも、それは変わらず訪れる。私は何人かを失って、何人かと新しく出会っていた。当たり前のように。習慣として。それでも別れが苦手な私は、学ぶことなく今年も泣いた。花粉のせいだとごまかさず、別れを惜しんで、泣いた。 最近

          くだらない日常の話

          不透明なワールド・エンド

          私も私なりに、弁えているつもりだ。 私は人に愛されないのではなく、私が境界線を張っていること。 一定の距離に、すべての人間を入れていないこと。 手に入りそうになると、手放すこと。 過度な心配や、過度な連絡を疎ましいと思うこと。 それらは私が「愛されない」ための処世術なのだと、弁えているつもりだ。 さて、人生という物語に焦点を当てたとき、基本的にあらゆる人間にとっての「主人公」は「自分自身」に他ならない。その人生の物語はその人にしか描けないし、その人にしか理解ができない。

          不透明なワールド・エンド

          愛されたくて今日も 生きながらえてしまった

          LAMP IN TERRENというバンドがいた。 こうして過去形で書かなければならなくなってしまったことが心から寂しい。 「この世の 微かな光」と言う意味のバンド名だった。 私がこのバンドを、テレンというバンドを知ったのは高校生の頃に遡る。 ネットで出会った友人が好きだった。 その友人とは信じられないほど趣味があった。 まだほとんど名の知れない、どこか物哀しい雰囲気すらまとっていた、弾き語りが主流の星野源のファンだった。あと嵐の二宮くん。この人に関しては5万とファンが

          愛されたくて今日も 生きながらえてしまった

          深海で踊る、水面で溺れる

          人生で初めて、遺書を書いた。 書くつもりはなかったのに、気がつけば遺書を書いていた。 私には特段の資産はないし、そういったことではなくて、ただ伝えたい人の名前を書き連ねた。そしてその人達へ言葉を置いた。どれも陳腐で笑えた。あんなに言葉を知りたがって、あんなに言葉を武器にして生きてきたはずなのに、いざ遺そうとする言葉は情けないものばかりだった。情けなくて、これが私なんだと思った。 空っぽだ。 私を示す言葉は「空っぽ」だった。 月に1度にまで減った通院で、初めて医師から再

          深海で踊る、水面で溺れる

          なかったことにできないなら、せめて小さくできればいい

          バレンタインデーには、特にろくな思い出がなかった。 小学校低学年の頃は、好きな男の子にチョコレートを渡しに行く途中、マンションの廊下という信じられない場所でハトに糞を落とされた。中学校3年生のときは、いじめっこと友人が結託して、バケツをひっくり返したような雨の中で、渡すつもりのなかったチョコレートを渡すはめになった。 そんなことばかりに懲りたのか、高校では俗に言う「友チョコ」を渡すのに留まった。単に好きな人がいなかっただけではある。高校3年間のバレンタインデーは平和に終わ

          なかったことにできないなら、せめて小さくできればいい

          すべてに さよなら したくなる日々

          生きていることって凄まじく体力を使うと思う。 呼吸をすることも億劫で、面倒だと思う。 食事をするのも入浴をするのも、ぼうっとしているのも疲れてしまった。 おろそかにされた生活によって、心は少しずつ崩壊していく。 普段なら流せることが、どんどん煮詰まって流れづらく固くなっていく。 私の人生において、さてはていつが幸せだったと胸を張れるかと言われると残念ながらどこも浮かびはしないけれど、それにしたって今は余りにもどん底にいて自分でも驚いてしまう。これがいきるということなのか

          すべてに さよなら したくなる日々

          ハッピーエンドが似合わない

          最近はメッキリこんなことばかり考えてしまっているので、うるさくてしつこくて申し訳がないと思うのだけれど、許してほしい。 高校時代の友人が、とうとう結婚をすることになった。 私はそれを心から祝福している。それぞれに結婚式で唐突に役割を与えるからなと脅しを受け、それで笑ったりしていた。「急に友人代表スピーチとかやらせるで。」と言われて笑った。殺す気か。 こんなに楽しい話をしながら、結婚する友人が「結婚式の想像するのは楽しいねんけどなあ」と少し悲しそうに笑った。 「相手の仕事

          ハッピーエンドが似合わない

          今でも俺はここにいて あの頃と同じ夢見てるよ

          私の言葉をどう使えば、私の知っている言葉でどう起こせば、私が感じた感動が伝わるのか、何にもわからないけれど、書き始めてみようと思う。 OKAMOTO’Sというロックバンドがいる。 OKAMOTO’Sについては以前、「僕らはまだまだ孤独でたまらないと認めよう」という記事で書いているので、気が向いたら読んでいただきたい。OKAMOTO’Sは私にとってヒーローなのだ。大変大げさな表現に聞こえるかもしれないけれど、大げさでもなんでもなく、いつだって私の背中を乱暴に蹴っ飛ばして「い

          今でも俺はここにいて あの頃と同じ夢見てるよ

          父の家

          . 先日、私ではなく妹が父に用事があって、一緒に父の家に行った。 両親は離婚していて、父と母は疎遠になっている。 一般的な離婚した家庭よりは近いのかもしれないけれど、それでも相当遠くにいる。妹は父との距離を含め、どちらかというと母に近い性格をしていると私は思っているし、実際そうだと思う。 父に用事があっても、妹も母も、一度私を介入しないとうまく連絡をとれていない。 実家が引っ越すことになった。 母方の祖父が亡くなって4年、なんだかんだと母たちとの共同生活を「拒んできた

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