マゾ崇韓

物心ついた頃からマゾヒズムというタブーな性嗜好を背負ってきた私が、つい最近、崇韓というワードに触れ、新たな境地を迎えた気分になっています。

これまで、「家畜人ヤプー」に代表される、白人至上主義とマゾヒズムとの関係性については、密かに興味を持っていました。他の人種への劣等感を刺激されると、人としての上昇、幸福願望がその場で真っ二つに切り裂かれ、絶望の2文字を突き付けられているような感覚に陥ります。その絶望の前には、反抗よりも従属することで安定を得る方が自分にとって幸せな事だと、本能的に理解してしまうのでしょうか。どんなに理不尽な状況であっても無条件に他人種に従属する(せざるを得ない)状況が、過剰な安心感を生み、その過剰さゆえに、結果的に性的興奮をもたらしているのではないかと。

アジアの国に対し、似たような性感情を抱くようになったのは最近のことです。最初は中国でした。中国の報道官で華春瑩さんという女性をテレビで頻繁に見かけるようになり、その独自の容姿にいつしか魅了されてはいたのですが、彼女の日本に対する辛辣な発言を目にするたびに、反抗心どころか、マゾヒストとしての劣等感を刺激されていったのです。過去の戦争責任を問い謝罪を求めるという、ごく政治的な要求が、私の中ではマゾヒズム的ファンタジーへと昇華していきました。彼女の足下にひざまずいて謝罪したい、足蹴にされたい、ビンタされたい、などと思ううち性的興奮も高まっていったのです。

そのような折に触れた崇韓というシンプルなワード。瞬時にその奥にある意味のすべてを理解でき、めまいにも似た感覚を憶えました。大きな十字架を背負っているようなマゾ感情がふつふつと沸いてきたのです。韓民は、日本にとって常に特別な感情を抱く国ですから、どのように振れても振れ幅が大きいのでしょうか、中国に抱いた想いとは比べ物にならないぐらいの、自己否定感情が生まれたのでした。

日本人としてのアイデンティティを放棄し、韓国人様の下位に置いていただく。こちらの屈辱が韓国人様の満足に繋がることを理解する。個人のみならず、国として支配される事さえも妄想することで性的興奮を得る。

 このような売国的思想は、妄想であったとしても批判の対象となりかねませんが、批判を受ければ受けるほど、タブーを冒していることの左証となり、その背徳感により、崇韓への想いが一層膨らんでいくことでしょう。

私にとって崇韓とは、究極のマゾヒズムに他ならないのです。

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