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逆噴射ワークショップに参加しようか悩んでいる方へ(20210219)

※この記事は、「うおお俺はやるぜ逆噴射から原稿料二万円を頂戴するぞ」とかこれからPROになってバリバリ稼ぐパワーとやる気に満ちあふれている人にはたぶん必要ありません※


 まずはこちらから。2月末より開始される小説ワークショップの案内記事です。

 ダイハードテイルズさんが主催するイベントで、去年の『逆噴射小説大賞』に続き、よりいっそうメキシコの荒野に生きる創作者をプラクティスに集中させるもので、とてもいい試みだと思います。私も参加する予定です。

 そしてこうした大規模な試みに挑戦しようという時、最初に思い浮かぶのが「酷評されたらどうしよう?」です。

 小説を人に見せるのは恐ろしいことです。よいフィードバックもありますが、たいていはダメ出し、あるいは直しようのないフィードバックです。歴史小説を書けば「ドリトス成分の描写が足りない」で、デスゲームを書けば「これはリアリティゼロなので作者のあなたも自動的にあほです」、家族小説を書いたら「お母さんと祖母のセリフに本人感がないのでEND OF MEXICO……お前は荒野に死骸をさらす」……

 それにいまのご時世はインターネッツでは幾らでも小説投稿サイトがあります。一人で作品をアップロードできますしY2Kとか変な議論をふっかけられたら逃げることもできます。もしあなたが覚悟を決めたPRO志望なら、ASAPで作品を書き上げて新人賞に送りまくっていれば結果が出ますが、たいていの人はアマチュアであり、「なんで小説なんて書いてるんだろうなあ?」という疑問が心にあるので、疑問と向き合うために逃げる余地を残しておくことが大事です。

 しかし、なぜわざわざ叩かれる可能性のある逆噴射ワークショップにコンテンツを出すのか?

 私のいまのところの答えは「人に自分の自我を見てもらおう。インタラクティブに読者に返事をもらって、とにかくコミュニケートしてみよう。ついでに至らない点を指摘してもらって小説をうまくなろう」です。

か弱い自我と和解せよ

 小説にはどうしようもなく自分が出ます。自分が知っていることからまるで無知なこと。大切にしているもの、ゴミにしか見えない価値観。社会や業界をどれほど知っているか、自分は何を恐れていて何を求めているのか。何ができて何ができないのかがすぐに出ます。無意識の中にある考えが、小説だと一行目から飛び出すことがあります。

 書き上げた作品が駄作でよいフィードバックはもらえないとわかっていても、小説は自我なので、実際に作品が「バカ!」「あほ!」「ブッダミット!」とかいわれたら傷つきます。投稿してもスルー(こっちが圧倒的に多いです)されるとないがしろにされた気分になるのです。

 まずはそういう傷つきやすい自分がいると認めるところから始めましょう。小説を書くのは体力的にも精神的にもしんどい作業です。手遊びの積りで始めたのに、ヒーヒーいいながら書き終えることもしばしばです。そんな体力を使う作業なんですから、完成品に愛着が湧いて飾りたくなったり、けなされればイラついてドリトスをやけ食いしたくなるのも当然です。作品に対する感情と、作品の周りにある感情をできるだけ見つめて、認識しましょう。書いたけどどうしても見せたくないなら、物置にしまっても大丈夫です。スティーヴンキングも書いたけど物置に片付けて人に見せてない作品があります。書いただけで価値があるのです。

 ただ、基本的に小説は人に見せないことには始まりません。書いたけどやはり物置にしまった作品もあるでしょうが、やはり小説は書いて読まれることでサイクルが成立します。TENETでも主人公は最終決戦に挑みましたし、SEKIROでも片腕を斬られた狼は侍にリベンジするために芦名の国へ戻りました。

読者とコミュニケートする

 完結させれば人に見せられる作品になります。作品にするためにストーリーを仕立てる必要がありますが、どうしても自分の悩み、苦しみ、虚無感は文章に入ります。なので人に見せることには自我を見せる恐れがつきまといます。酷評されたりヒリついた感想に自負心が脅かされるかもしれませんが、「この悩みは共感できた」「キャラクターがイキイキしていてずっと一緒にいたいと思った」と予想外のコミュニケーションができる可能性もあります。

 まさに人との議論のように、働きかけるからこそやってくるものがあります。作品を読者に向かって投げ込めば、返事が来るかもしれません。スルーされるかもしれないし、おかしな議論に巻き込まれるかもしれない(この作品はあんこくメガコーポ問題やバターコーヒー問題に切り込んだんですか!?)。しかし、見当違いの理解も、奇妙な共感も、意味のわからない誤読も、それは自身に送られた手紙で、自分への返答で、内容はともかくコミュニケーションです。後年振り返って「あんなことも言われたな」としみじみ思い出せることを、あなたは小説で作ろうとしているのです。

 私はたぶん、そういうコミュニケーションを取るために、コンペや小説賞、ワークショップに応募しています。講評には理解できないポイントがあるでしょうし、何度思い返しても意味不明で終わるところもあるでしょう。スルーされるかダメ出しで終了することもありえます。

 けれども……

 自分が作った(あるいは作っている)作品の冒頭数千字~1万字には、人を唸らせる力があるかもしれない。ギャラリーに噂される何かがあるかもしれない。噂はギャラリーに影響を与えるかもしれない。ギャラリーのギャラリーへも繋がり、大きく捉えすぎですが、宇宙の天秤に影響を与えるかもしれない。単純に、あなたが作品を出してくれれば戦士が出揃うことになり、ワークショップはそれだけ盛り上がります。

 だからまずは、文章の中に埋め込まれている、己のか弱い自我を認めて、「まあこんなものだな」と見てあげることです。「酷評されたら嫌だな」とか、「つまらんとGUNで撃たれたらどうしよう」と悩んでいる自分にも気づくことです。私も悩んでいます。その上で、やはり作品を送って欲しい。たとえ認められなくても、外に働きかけることは、あなたの人生を悪い方向へは導かない。そして現実は、予期しているより遥かに良いことが起きる可能性もあるのです。

一人レベリング楽しい

 上ではいろいろ書いた私ですが、人にああだこうだいわれて嬉しいタイプでなく、作品を作り終えて「前作よりストーリーがキマってたな」「このキャラクターは思ったよりうまく作れたのでフィギュアとして売り出してもいいな」と、一人でレベリングして喜ぶタイプでもあります。今回のワークショップではパルプ小説のPROがたぶん的確なアドバイスをしてくれるので、それに則ってレベリングして、文章のレベルをメキメキ上げることで、自分の喜びに繋げたいです。

 投稿お待ちしています。

《終わり》

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復路鵜
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