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小さな音が窓ガラスにして...

『失われた時を求めて』を読みながら

プルーストの『失われた時を求めて』は、長い文章が多いことでも有名です。これを翻訳するにあたって、日本語としての意味を損なわず、一方で原文の流れも尊重するとなると、かなり大変な作業になることでしょう。

そんな中、作家がある事象に焦点をあてて、瞬間の移り変わりを的確にとらえた場面があるとします。そういう箇所では、できる限り原文の語順に忠実な翻訳を試みることで、原文に近い時間体験を追うことができるかもしれません。

小さな音が窓ガラスにして、なにか当たった気配がしたが、つづいて、ばらばらと軽く、まるで砂粒が上の窓から落ちてきたかと思うと、やがて落下は広がり、ならされ、一定のリズムを浴びて、流れだし、よく響く音楽となり、数えきれない粒があたり一面をおおうと、それは雨だった。

プルースト『失われた時を求めて』
第一篇《スワン家の方へ》吉川一義訳(岩波文庫版第1巻, pp.230-231)

Un petit coup au carreau [小さな音が窓ガラスにして], comme si quelque chose l'avait heurté [なにか当たった気配がしたが], suivi d'une ample chute légère [つづいて、ばらばらと軽く] comme de grains de sable qu'on eût laissés tomber d'une fenêtre au-sessus [まるで砂粒が上の窓から落ちてきたかと思うと], puis la chute s'étendant, se réglant, adoptant un rythme, devenant fluide [やがて落下は広がり、ならされ、一定のリズムを浴びて、流れだし], sonore, musicale, innombrable, universelle [よく響く音楽となり、数えきれない粒があたり一面をおおうと] : c'était la pluie [それは雨だった].

(Folio-1924 p.100)

文章には深い思索が繰り広げられているとか、小説の重要な伏線が描かれているといった、何か重要なことがとくだん盛り込まれているわけではなさそうです。日常によくみられるほんの数秒の出来事を描写しているだけにみえます。

けれども、語順にもとづいて改めて観察してみると、そこには作家の類いまれなる感受性が見えてきます。ここでは、語順がその感覚の推移を反映しています。眼だけではなく、耳にも鋭い知覚をもった語り手が(おそらく、それを実際に目撃したであろうプルーストという作家が)、ほんの一瞬の出来事を、つまり、何か音がしてそれが何かと分かるまでの一瞬を、見事に表現した例だと思います。訳者もその意図をくみ取って、何気ないこのような文章を注意深く訳出したのだと思います。


〔参考〕

  • 吉川一義『プルーストの世界を読む』(岩波書店)


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