Eugênio Sibaccio

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  • 『モンテーニュ逍遙』を読みながら

    『モンテーニュ逍遙』の読書メモ、勝手な注釈。本書を読んでくださるみなさまに感謝を込めて。『随想録』へのいざない。

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『モンテーニュ逍遙』〜『随想録』へのいざない〜

祖父関根秀雄の旧著『モンテーニュ逍遙』が、新版として刊行されました。(2024年7月2日) 関根秀雄著『新版 モンテーニュ逍遙』(国書刊行会) モンテーニュ Michel de Montaigne, 1533-1592 は16世紀フランスに生きた人で、『随想録』(エセー、エッセー)という作品を残しています。「エセー」 (essai) は元来、何かを試すことを意味するフランス語ですが、この作品をきっかけに「エッセイ」(随筆)という大きな文学ジャンルが発展したことは、ご存じの

    • 『モンテーニュ逍遙』終章

      終章《思想を思想という形では主張することを欲しない思想家》 ──《メ・レーヴリー》、覚めたる者の見はてぬ夢── (pp.370-390) モンテーニュもまた「思想を思想という形では主張することを欲しない思想家、哲学を哲学という形では主張することを欲しない哲学者」であったこと。 モンテーニュ自身による『随想録』の定義。 『随想録』は「親しみやすい優雅な散文詩、すぐれた随筆文学である」こと。 (本章より) 《resver》(夢みる・夢想する)という言葉は、フリードリヒ

      • 『モンテーニュ逍遙』第11章

        第十一章 モンテーニュの創造的懐疑説 ──〈現象学的・排去的〉懐疑説── (pp.338-369) モンテーニュの懐疑思想(scepticisme)は彼自身の天賦の特質であり、常に彼の精神の根底で絶えず働きつづけたもの。 一方でそれは、あらゆるものを疑ってかかり、あげくニヒリスム(虚無的態度) に行き着くものではなく、自然に囲まれながら物事に冷静に対峙するときの〈方法〉、幸福に生きていくうえで最も有効な〈知恵〉だったのではないか? モンテーニュの懐疑思想を端的に解説す

        • 『モンテーニュ逍遙』第10章

          第十章 〈リブレーリー〉の天井に記された五十七の格言 ──『随想録』の尽きざる真の源泉── (pp.297-337) モンテーニュの視力のこと、そこから『随想録』の「書籍的源泉」について教えられること。 書斎〈リブレーリー〉の天井の梁に刻まれた格言こそが、もっと重視されるべき「源泉」。 (本章より) モンテーニュがその一生を通じてどのように書物を読んだか。(...) そしてそれが『随想録』を書きあげる上にどのように利用されたか。(p.297) 殊にモンテーニュのよ

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        『モンテーニュ逍遙』〜『随想録』へのいざない〜

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        • 『モンテーニュ逍遙』を読みながら
          18本

        記事

          『モンテーニュ逍遙』第9章

          第九章 《両脚を座位よりは少し高く》 ──モンテーニュ城館のいまむかし── (pp.269-296) かつて広まった「〈エッセー〉進化説」は、複雑微妙なモンテーニュの思想を正しく理解するうえで妨げになる。 モンテーニュはどのような環境のもとで『随想録』を書いたか。モンテーニュの城館、書斎〈リブレーリー〉をめぐって。 書斎の天井に記した格言の数々を眺めるモンテーニュの姿。 (本章より) ミシェル自らの記述に準拠する限り、彼のリブレーリーは、ラ・ボエシ遺愛の蔵書を含め

          『モンテーニュ逍遙』第9章

          『モンテーニュ逍遙』第8章

          第八章 《之ヲ倒置ノ民ト謂ウ》 ──己レヲ物ニ喪イ性ヲ俗ニ失ウ者── (pp.237-268) モンテーニュが自分は生来無精で無頓着で怠け者だと披露する理由。 再び、老荘との比較。「無用の用」など。 「滅私奉公」によって自分自身を見失わない生活をするということ。 モンテーニュは思想家、哲学者であるよりも前に芸術家、詩人であったことの再確認。 (本章より) このように、当たり前ならむしろ伏せておきたいくらいの自分の欠点を、恥ずかしげもなく、悪びれもせず、堂々とはい

          『モンテーニュ逍遙』第8章

          『モンテーニュ逍遙』第7章

          第七章 《奈何トモスベカラザルヲ知リテ之ニ安ンジ命ニ若ウハ徳ノ至リナリ》 ──神なき人間の幸福── (pp.214-236) 『随想録』全篇にわたり、万物流転・生々変化の思想を展開する一方で、モンテーニュは、すべての人間にはある不変のもの(あるいは普遍のもの)が備わっているとも主張する。 本章では『随想録』第3巻第2章「後悔について」からの引用が多く、この章を軸にして語っている。本書全体で大きな拠り所としているモンテーニュの言葉、《世界は永遠の動揺に過ぎない》とか《人間

          『モンテーニュ逍遙』第7章

          祖父関根秀雄の想い出

          『モンテーニュ逍遙』を読んでくださるみなさんへ 祖父関根秀雄は、私が小学生のときに亡くなりました。一緒に過ごした時間はとても短いものでしたが、ブロック遊びに付き合ってくれたり、私が創作した体操を真似してくれたりと、たいへん可愛がってもらったことは今でも覚えています(私がサンパウロに生まれたとき、祖父はすでに80歳を超えておりましたが、祖母と一緒に地球の裏側まで駆けつけてくれたそうです)。同時に、祖父が学者であったこと、モンテーニュの研究者であったことも、幼なごころにすでに認

          祖父関根秀雄の想い出

          『モンテーニュ逍遙』第6章

          第六章 フランスの廷臣から〈世界の市民〉へ ──無の思想家が異国漫遊の間に体得したもの── (pp.186-213) モンテーニュの生き方、コスモポリタン(世界市民主義者)としての生き方は、単にソクラテスに賛同するだけのものではなく、生涯よく旅行をした彼自身の実体験から会得したものでもある。 モンテーニュの運命随順の姿勢は、受動的に忍従するもの・虚しく諦めるものなどではなく、知恵をもって積極的に受け入れるもの・これを楽しんで生きるもの。 本章は『随想録』第3巻第9章「

          『モンテーニュ逍遙』第6章

          『モンテーニュ逍遙』第5章

          第五章 《無能無芸にしてただこの一筋につながる》 ──モンテーニュのゆるがぬ自信── (pp.156-185) モンテーニュの生き方の知恵《ヴィーヴル・ア・プロポ》 国文学との比較(富士谷御杖、本居宣長、松尾芭蕉) (本章から) よく『エッセー』という標題を『随想録』などと呼びかえるのは、兼好とモンテーニュとをごたまぜにするもので、それは後者の偉大と深邃とを矮小化・低俗化するものだと言って非難する者もいるようだが、それはむしろ『徒然草』や『方丈記』の読み方が浅いから

          『モンテーニュ逍遙』第5章

          『モンテーニュ逍遙』第4章

          第四章 《死を学びえたる者は完全な自由を得る》 ──乱世の思想家と生死の問題── (pp.125-155) 「死を学びえた者は奴隷であることを忘れたのである」「死を学びえたる者は完全な自由を得る」… 原文: Qui a apris à mourir, il a desapris à servir. (Qui a appris à mourir, il a désappris à servir.) 127頁〜139頁で、生死の問題を主なテーマに、モンテーニュの思想に近しい

          『モンテーニュ逍遙』第4章

          『モンテーニュ逍遙』第3章

          第三章 《よろづの物の父母なる天地》 と《我らの母なる自然》──モンテーニュの自然と老荘の自然── (pp.88-124) 「我らの母なる自然(ノトル・メール・ナテュール) nostre mere nature (notre mère nature)」の表現は、『随想録』の各所に散見。第1巻第20章、第26章、第27章、第31章など。 自然思想の観点から、老荘との比較が始まる。この比較は次章以降にも続く。 111頁〜119頁に『随想録』第3巻第12章「人相について」か

          『モンテーニュ逍遙』第3章

          『モンテーニュ逍遙』第2章

          第二章 《天地ハ我ト並ビ生ジ万物ハ我ト一タリ》 ──モンテーニュとキリスト教── (pp.60-87) モンテーニュのキリスト教信仰 モンテーニュの論証の仕方 『随想録』第2巻第1章の位置づけ (本章から) モンテーニュは《le monde n'est qu'une branloire pérenne》と言って、宇宙を生々流転する全体としてとらえている。(p.64) 《le monde n'est qu'une branloire pérenne》… 「世界は永

          『モンテーニュ逍遙』第2章

          『モンテーニュ逍遙』第1章

          第一章 《ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず》 (pp.41-59) キリスト教の自然観、ルネサンス時代のユマニストたちにみられた自然観 モンテーニュの自然観、モンテーニュの根本思想 (補足)アルベール・カミュのキリスト教観との対比 (本章から) 物心ついてから最後の日に至るまで一貫して変わらなかったという、彼の根本思想とは、一体どのようなものであったのか。それは理解しがたい(mésconnaisable) ものでも捕捉し難い(insaisissabl

          『モンテーニュ逍遙』第1章

          『モンテーニュ随想録』の構成

          『モンテーニュ逍遙』を読んでくださるみなさんへ モンテーニュの『随想録(エッセー)』は、全3巻全107章で成り立っています(第1巻は57章、第2巻は37章、第3巻は13章で構成)。 たくさんの章がありますが、それぞれの長さはまちまちで、1〜2頁だけのもあれば、第2巻第12章のように200頁近くにも及ぶ雄編もあります。 一つ一つの章が「エッセー」(essai) という〈試み〉であり、これらが寄り集まって『エッセー』(Les Essais) という書物になっている、と捉えても良

          『モンテーニュ随想録』の構成

          『モンテーニュ逍遙』序章

          序章《それは彼であったから、それは私であったから》か ──どうして私はモンテーニュの友となったか── (pp.15-39) 章題は『随想録』のなかの有名な一節から。モンテーニュが若い頃に交友したエティエンヌ・ラ・ボエシとの関係を述べたこの一文を借りながら(あるいは自身に置き換えて)、本章では著者がなぜモンテーニュを友としてきたのかを語っている。とはいえ、本章では私事をとりとめもなく書いているわけではなく、また、なぜ東洋思想との比較にもとづいて論じようとしているのかをただ説

          『モンテーニュ逍遙』序章