『モンテーニュ逍遙』第2章
第二章 《天地ハ我ト並ビ生ジ万物ハ我ト一タリ》 ──モンテーニュとキリスト教──
(pp.60-87)
モンテーニュのキリスト教信仰
モンテーニュの論証の仕方
『随想録』第2巻第1章の位置づけ
(本章から)
モンテーニュは《le monde n'est qu'une branloire pérenne》と言って、宇宙を生々流転する全体としてとらえている。(p.64)
《le monde n'est qu'une branloire pérenne》… 「世界は永遠の動揺にすぎない」『随想録』「後悔について」(III・2・935)より。
『逍遙』51頁など、各箇所で言及。
そのうえ、彼は信仰者としては事実信仰絶対論者( fidéiste) であったし、また大の読書家でもあったから、自分やプルタルコスなどの考え方が、初代キリスト教の教父たちのもとに見出されることも承知していたし、彼と同じようにレーモン・スボンに共鳴を感じていたシャルル・ド・ブーヴェルも、そのブーヴェルに敵意をよせていたニコラウス・クサヌスも、共にキリスト教徒であり、しかも後者は枢機官ですらあったのであるから、夫子自ら、キリスト教徒であるとの自信は、依然堅固であったにちがいない。(p.68)
どこまでもモンテーニュのキリスト教信仰が真率なものであったと主張するためには、問題を当時一般の思想界・キリスト教界の実状の中において考えなければならないだろう。(p.70)
だからこそエラスムスは痴愚(folie) の概念により、ラブレーは酩酊(ivresse) の概念によって、人生の不思議を説きあかそうとした。モンテーニュは自然とか素朴とか、空虚とか無知とかの概念によってそれをしようとする。(p.77)
〈自分と同質のもの〉(consubstantiel) と自ら言うその『随想録』は、モンテーニュの生活全体の中に置いてこれを理解しなければならない。言い換えれば、モンテーニュの研究とはモンテーニュの生き方を共に生きることでなければならない。(p.78)
今でこそこの第二巻第三十七章〔「父子の類似について」〕は、第二巻の最終章にすぎないが、一五八◯年版においてはこの章こそ『随想録』全体の最後の締めくくりであったことを、我々はあまりにも忘れすぎているようである。(p.79)
それよりも特に当章〔第2巻第1章「我々の行為の定めなさについて」〕において注目したいのは、モンテーニュが移り気や無定見を人間性の本質につながるものと認めていながらも、夫子自らは、必ずしも、《あやつり人形のように外なる糸にあやつられる》がままになることを、欲してはいなかったことである。これは浅薄な読者がとかく見落とすことであるが、彼ははっきりと次のように書いている。 (p.85)
《あやつり人形のように外なる糸にあやつられる》ホラティウス『諷刺詩』第2巻7の82、『随想録』(II・1・411)より
だから一般の人々の最も重大視する経済生活に関しても、彼は三度の方針を改め、三種の生活をしたことを至極しぜんに公表することができた(第一巻第十四章)。(p.88)
モンテーニュは自分の半生を振り返り、「三とおりの境遇のうちに生きて来た」という。(1) 若い頃は「ひたすら他人の指導と援助に頼って過ごし」、(2) その後は「お金を貯めること」に専念し、(3) 老年にいたり「収入も支出も共に自然にまかせるようになった」。『随想録』「幸不幸の味わいは大部分我々がそれについて持つ考え方の如何によること」(I・14・111-115)参照。
関根秀雄著『新版 モンテーニュ逍遙』(国書刊行会)
関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)