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モディアノ『あなたがこの辺りで迷わないように』
人はよく、かつては謎ではなかった事柄をかなり年が経ってから解明しようとする。古代言語の消えかかった文字を、そのアルファベットも分からないまま解読したがるように。
ひさしぶりにモディアノの小説を読みました。だいぶ前に読んであらすじさえ忘れてしまった『暗いブティック通り』も、こんな複雑な迷路だったのでしょうか……
『あなたがこの辺りで迷わないように』の冒頭、初老の作家と思しき主人公ジャン・ダラガヌのもとに電話が架かってきます。彼のアドレス帳を拾ったので渡したいとのこと。不審に思いながらもダラガヌは、拾得者と会うことにします。その人はアドレス帳に載っているある人物について教えてほしい、と言い出します…… この出来事をきっかけに、作家は記憶を手繰り寄せながら捜索、謎を解明する作業を始めるのですが、実はそれは、今回が初めてのことではありませんでした......
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小説では具体的な日付が二箇所でてきます。「1952年7月21日」と「昨年、2012年の12月4日──」。そして「四十五年以上も経った現在」とか、回想しているある出来事の「十五年前」(ひんぱんに出てくる)などの叙述から、小説の中での主要な時間軸は、およそ3つに整理することができそうです。
① 2013年。今。全体を通して中心軸になっており、この時間からときおり過去を回想します。
② 1952年。決定的な何かが起こった年。ダラガヌは当時七歳だったようです。
③ 1967年。②から十五年後。
②や③の前後にあった出来事も挿まれるほか、後半、①から「四十年前」を回想するシーンも出てきます。ダラガヌ自身はともかく(?)、落ち着いて読めば、読者のほうはそれほど迷わないような気もしますが、とはいえ、回想の形ではなく、ところどころで②や③に突然タイムスリップしているようなときもあります。題名のように自分の居場所が分かるメモがほしいと思い、これを書いてみました。「きみがこの辺で迷子にならないために……」
ちなみに、時間のことを話題にしましたが、作中にはパリを中心に実在する住所が多く出てきます。場所にも重要な箇所がいくつかあります。ある場所を実際に訪れたり、そこを思い出すことで、ダラガヌはしばしば過去の謎を解き明かそうとする旅に出発しているようです。
パトリック・モディアノ『あなたがこの辺りで迷わないように』
余田安広訳(水声社)
Patrick Modiano, Pour que tu ne te perdes pad dans le quartier, 2014
パトリック・モディアノ Patrick Modiano, 1945
フランス人作家。ユダヤ系イタリア人の父とベルギー人の母とのあいだ、1945年7月30日に生まれる。レーモン・クノーの導きのもと、『エトワール広場』(1968) でデビューして、2つの文学賞に輝く。その後も『パリ環状通り』(1972) でアカデミー・フランセーズ小説大賞を、『暗いブティック通り』(1978) でゴンクール賞を受賞し、若くして名声を確立。「占領下の世界を浮き彫りにした記憶の芸術」が評価され、2014年度のノーベル文学賞を受賞。
(モディアノ『ある青春』白水社)