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プルーストが聴いたサン=サーンスのピアノ
サン=サーンスは昨日コンセルヴァトワールにおいて、モーツァルトの「協奏曲」でピアノを弾いた。
『プルースト評論選II 芸術篇』穂苅瑞穂訳(ちくま文庫)からの引用。
1895年12月8日、サン=サーンスはコンセルヴァトワール(パリ音楽院)の演奏会に出演し、モーツァルトのピアノ協奏曲を弾きました。客席には24歳のプルーストの姿がありました。
〔演奏会の曲目〕
ベートーヴェン:交響曲ヘ長調(第6番もしくは第8番)
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 ピアノ:サン=サーンス
サン=サーンス:ヴィクトル・ユゴーの詩による『竪琴とハープ』
ウェーバー:歌劇『魔弾の射手』序曲
指揮は、1892年から管弦楽団の主席指揮者を務めているポール・タファネル Paul Taffanel, 1844-1908。演奏会当日に発行された音楽新聞の掲載情報なので、実際には変更があったかもしれません。
サン=サーンスは今日では、数多くのオーケストラ作品、室内楽作品、あるいは歌劇『サムソンとデリラ』などの作曲家として有名ですが、生前はオルガンやピアノの第一級の奏者としても名を馳せ、パリ、フランスだけでなく世界各地のコンサートに出演していました。
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1913年サル・ガヴォーで開かれた引退公演にて。指揮者はピエール・モントゥー。
さて、プルーストはこの日にサン=サーンスのピアノ演奏を耳にしたときの印象を次のような文章にしています。
偉大な俳優の演技は器用な俳優のよりも飾り気がなく、大向こうの喝采を博さない。なぜならそういう俳優の動作や声は、彼を悩ましていた微量の黄金や滓をものの見事に濾し去られていて、ただもう澄んだ水か、彼方にある自然物を見せているだけの窓ガラスのようにしか思えないからだ。サン=サーンスの演奏はこの純粋、この透明に達したのである。モーツァルトの「協奏曲」はステンドグラスやフットライトを通して見えているのではない。われわれを食卓や友達から隔てている空気、それがあることに気づかないほど澄み切った空気を通して見えているのである。
穂苅瑞穂訳
ほかの聴衆にはサン=サーンスの演奏が味も素っ気もないように聞こえたものの、プルーストはその真髄を見極めていました。若者の気負いが感じられるかもしれませんが、それでもやはり常人には真似のできない筆致です。
そして、プルーストは後年、その大作『失われた時を求めて』のなかで次のような一節を書いています。
じつに偉大なピアニストが演奏すると、その演奏家がピアニストであることさえまったく意識しなくなる。なぜならその演奏は(あちこちに華々しい効果をもたらす目まぐるしい指の動きの技巧とか、手がかりのない聴衆が少なくとも具体的に触知できる現実として才能のあらわれと思える飛び散らんばかりの音とかを、いっさい介在させないから)、すっかり透明になって、演奏されるものだけに満たされる結果、演奏家のほうは、姿が見えなくなり、傑作たる曲に向けて開かれた窓にすぎなくなるからだ。
第三篇《ゲルマントのほう》吉川一義訳(岩波文庫版第5巻, p.107)
これは、一人の芸術家への賛美にとどまらず、プルースト自身の芸術に対する態度、美意識の表明そのものではないかと思われます。
〔画像〕プルースト(1895年ごろ)。
〔主な参考文献〕
Arthur Dandelot, « La Société des Concerts du Conservatoire de 1828 à 1897 », Paris: G. Havard fils, 1898 in Internet Archive
Le Ménestrel : journal de musique, A61,N49, 8 décembre 1895 in Gallica:フランス国立図書館デジタルライブラリー
Stephen Studd, « Camille Saint-Saëns – A Critical Biography », London: Cygnus Arts, 1999
『プルースト評論選II 芸術篇』穂苅瑞穂訳(ちくま文庫)
プルースト『失われた時を求めて5 ゲルマントのほう I』吉川一義訳(岩波文庫)
マルセル・プルースト Marcel Proust, 1871-1922
フランスの小説家。パリ郊外のオートゥイユ生まれ。パリ大学に学ぶ。富裕なブルジョア家庭に育ち、優雅な社交生活を経験。1908年ごろからサント=ブーヴ批判を旨とする小説体の批評を構想し、複雑な生成過程を経て、大作『失われた時を求めて』(七篇, 1913-1927)へと結実した。不意に蘇る記憶に着目、時の流れは寸断されて、細部と細部が交響する幻惑的な小説空間を構築。ジェイムズ・ジョイスとともに、20世紀文学に大きな影響を与えた。
(『読んで旅する世界の歴史と文化 フランス』新潮社)
カミーユ・サン=サーンス Camille Saint-Saëns, 1835-1921
作曲家、オルガニスト、ピアニスト。パリ生まれ。パリの国立音楽院卒業後、サン=メリ教会、マドレーヌ聖堂のオルガニストを務めたほか、当代随一のピアニストとして一斉を風靡する。1871年国民音楽協会を設立し、後進の育成にも貢献。作曲家としては優美にして明快な作風で人気を呼んだ。代表作には交響曲第3番ハ短調「オルガン附き」(1886)、組曲『動物の謝肉祭』(1886)、5曲のピアノ協奏曲などのオーケストラ作品のほか、歌劇『サムソンとデリラ』(1874)やオラトリオ『ノアの洪水』(1875)などがある。
(『読んで旅する世界の歴史と文化 フランス』新潮社、一部改変)