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2019年振り返りand感謝の意を表して

はじめに

新潟から東京に出てきて、初めて東京で一年を丸々すごす一年でした。(ニホンゴナ二カオカシイ)
この1年間ほんとに色々な人に助けられて、支えられて、助けられた1年でした。ほんとにありがとうございました。

このnoteを書こうと思った理由としましては、

今働いている先の(ちなみに今はwebエンジニアやってます)社長さんが会社の創立記念日に「記念日や節目の日は、お世話になった人に感謝をするためにある」とおっしゃっておりました。
あまりそういうのをどうでもいいと思っていた人間だったのですが(笑)、その話を聞いてなるほど!と思い、節目なのでnoteで感謝を伝えようと思ったのと、

また、最近私事ですが、「誠実」という単語を覚えまして、今まで自分とは無縁な言葉であり、特に今年一年沢山の方々、環境や周りの人助けられたにもかかわらず、とても不誠実だったなと思い、振り返り兼感謝兼謝罪の意を込めてこのnoteを書きます。


ジーズアカデミー

去年の10月から今年の3月?4月?まで大変お世話になりました。

progateのレベルがひたすら上がっていくものも、何一つプログラミングのスキルが身につかず挫折していた去年の4月。

プログラミングの力をつけたかったのと、起業に興味があった自分は、このホームページに一目惚れしてしまい、気づいたら高校を辞めて、新潟を出てこの学校に通ってました。

自分だけ10代、周りのクラスメイトは20代から40代。大企業からであったり、様々な業界、職種から、人生をかけて起業であったり、キャリアチェンジのために走っていくかっこいい大人の人たちを目の当たりにして、一緒の空間で勉強したり、お話したりすることができたのが、学校という狭い環境の中でWACKな大人しか触れることがなかった自分にとっては、とても刺激的でした。

また起業する方の最初のプロダクト作りに携われたのも良き経験でした。
ゼロイチでビジネスを作る難しさ、起業というものの大変さを身近で体感でできたのもよかったです。

プログラミングスキルがある程度身についたというのもそうですが、高校を辞めて、この熱い熱いコミニティー来れたのがとてもよかったです。逆に高校を辞めてない人生を考えると恐怖です。普通の人からしたら高校を辞める方が恐怖だと思いますが。はい。
とにかくほんとにとても感謝感謝でいっぱいです。

あと、最後の方調子に乗っていてとてもよろしくない態度を取っていたと思うので(多分。いや絶対。わからんおそらく。)、そちらに関してこの場をお借りして謝罪します。調子に乗ってた訳は後程。


Makers University U-18 Think Big Camp

今年の3月にあった高校生の5泊6日のキャンプ。人生の中で断トツに濃ゆいヤバい6日間でした。

色々な実績などを残している強者ぞろいだし、何よりみんな外側の部分だけじゃなくて、中身の部分がすごかった。誰一人フェイクな人がいなかった。やばい人ばっかでした。
自分だけ何一つ成し遂げてなく、自分はただ高校を辞めて上京してきたというだけ。みんながドーベルマンレベルだとしたら、自分はポメラニアンレベル。恐ろしかったです。

初めて自分のことを理解してくれる人。初めて本当に腹を割って喋れる同世代の友達。チームとは何か。名だたる起業家の前で自分を思い切りぶつけたあの空間。そして頂いた大きなチャンス。山田さん、黒越さんという偉大な起業家であり、憧れるスタンスをもつお二方に間近で関われたこと。
たくさんの素晴らしい方々に出会い、良い経験、良い影響を受けました。

Makersに関わる皆さん本当にありがとうございました。


ただ正直に言うと、この6日間で悪い影響を受けたのも事実としてあります。(ミクロ的な視点での悪い。今となっては良い経験)

同世代の何かを成し遂げている圧倒的な人たちを目の前にしたことにより、何か結果を残さなければならない。何者かにならなければいけない焦燥感を持ち始めました。
また、人生で今まで誰にも評価してもらえなかった自分にとって、名だたる起業家の方々に奨学金メンバーとして選んでいただいたということが、自分の元々のプライドが高い部分と承認欲求の部分が悪い化学反応を起きてしまいました。

初めての社会人生活

makersの最後でmakersの支援者である経営者の黒越さんにお声をかけていただき、黒越さんの元で働くことになりました。

何の会社だかもよく分かっていない状況の中で、「シャンパンいちご大福っていううちの事業を別会社化するつもりだから、そこの社長をやらないか?」と耳慣れない日本語を言われ、二つ返事でやります。と答えました。

中2の時から、自分を変えたいともがいてもがきつづけて、5年。ようやくスタートラインに立てた気がこの時しました。
そして、何者かになりたい欲が最上級だった自分にとって、すでにすごくうまくいってる事業の神輿の上に乗れることで、自分は何者かになれる。と思いました。
(makersの悪い影響からの一連の流れが調子に乗ってた理由です。あの時はほんとにとても失礼しました。とくにジーズの方々。)

明るい未来と大きな期待を割れんばかり膨らませて、はじまった週5フルコミットのインターン。

けど、待っていたのは地獄の日々。恐ろしいしほど仕事ができない。ミスのオンパレード。マルチタスク不可。どんどん積み重なる事務仕事。
最初の1,2か月はつらかったけど、感情を殺しながらやっていたのでまだなんとかなっていました。
SPIでのストレス耐性5段階評価で1。エムグラム診断でストレス偏差値32の四戸岸。環境に適応しようと自分を殺し続けましたが次第に崩壊していきました。
崩壊した先に想像を絶するミスを連発していき、黒越さんに「ミスをするのは良いが(よくはないが)、仕事に対して想いがこもっていない。想いがこもってない人とは仕事をしたくないからやめろ。」といわれ、自分自身もやめる決断をしました。(クビです。)

当時の感情をダイレクトに書いているのでネガティブな表現になっておりますが(めちゃくちゃ今はこの時の出来事をポジティブにとらえてます)、こんなろくでもない人間に多くの裁量、素晴らしい環境を下さった黒越さんには頭が上がらないですし、迷惑しかかけていないのに、やさしく、時には厳しくしていただいた会社の方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。

正直人生の中で一番しんどかったですが(笑)、それと引き換えに当事者意識、信頼、仕組み作り、資本主義の構造の残酷さなどなど普通の環境じゃ、18歳のうちでは学びないようなことが沢山学べました。

そして、色々な責任を投げ捨てて、ここを辞めて出ていきました。逃げた身分のやつが謝るということは違うと思いますが、不誠実な形で去ってしまったことに申し訳ないです。


カタリバ

自分って何してるときが幸せなんだろうと思い、1か月の引きこもりニート期間を挟んだ10月くらいに同時に4つくらい物事をはじめました。

そのうちの一つがNPO法人カタリバの出張授業カタリ場のボランティアでした。(あ、現在の四戸岸が一番頑張っているところです!)

理由は沢山ありますが、主に2つ。

一つ目は、今までいたコミニティーどちらもが起業家スピリットやどるコミニティーでそこのコミニティー自体はすごく好きだし、人も好きだけど、色々なバイアスがかかって自分を見失っていたので、それとは別ジャンルのNPOでボランティア。として関わって自分の何かを見つけようというのが一つです。あとそれに付随して自分のプライドが高いのを削るっていうのもありました。

もう一つは、偶然をつくるっていうことをしたくて、それができるのがここだと思ったからです。

ずっと自分の何かを変えたい中高生へのきっかけであったり、環境づくりをしたいと思っていて、それを口にしてるだけで何もできずにいました。makersの起業家との公開ディスカッションの場で「自分は今まで色々な人や環境やきっかけなど偶発的なもので自分を変えることができました。どのようにしたら偶発的なものって生み出せますか?」と聞いたとき(多分こんな風には聞いてない)、どなたかは忘れましたが、「君自身が偶発的になればいい」といわれ、自分自身が偶然になる。偶然をつくる。と思ったのが偶然を作りたいと思うきっかけでした。

色んな中高生むけの教育プログラムはありますが、このカタリ場出張授業プログラムの自分が思う大きな魅力は、学校の授業として行い、生徒が強制的に参加させられることです。

大体の中高生向けのプログラムは自分の意志で参加しなければいけませんが、自分の意志ではなく強制的、けど何か変えるきっかけを生み出すことができるかもしれないという、より偶然度が高いというのが個人的にすごい好きであり、ロマンであるのでここでのボランティア活動をはじめました。

実際に活動してみて、自分の中で初めて本当に自分自身がやりたかったことをやれている感覚があるし、むちゃくちゃ高校生との場が自分にとって幸せです(1~2年くらいかけて自分の幸せなんなのか探すつもりだったけど速攻に見つかった。ラッキー。)。

そしてカタリバに関わる方々に色々お世話になってますし、色々な機会をいただけて感謝でいっぱいです。
ほんとにここでの活動は先輩の人、高校生などいろいろな方から学ぶことが多いですし、この一年間で学んだことがめちゃんこいかすことができて、とても楽しいです。

これからもたくさんおせわになります!
今年もよろしくお願いします



自由記述(ひとりごと)

今年の大きな収穫①

生きてるけど生きてなかった7月。救いの手を求めに大学の人に会いに行きました。

その時大学の人に「ゆうじんは今までどんな時が幸せだったの。」と聞かれた。
頭の中で幸せだ感じた時の映像を思い浮かべた。高校時代のサッカー部、Bチームで面白い、楽しいサッカーを追求していたとき。ジーズで寝る時間も惜しんでプログラミングに熱中してた時。makersでの6日間。
あーどれも共通して、相対的なものじゃなくて絶対的なものだったなーと。

あと、はじめて気づいた。人生の目的って幸せだってことに。
今までの自分の色々な決断の中で"幸せ"が目的になることなんてなかった。てかそもそも自分の中で"幸せ"っていう概念を持ち合わせてたかすら怪しい。

あれ、じゃあ今まで何のために頑張ってきたのだろうか。高校辞めたりとか、普通の大学行かなかったり、色々な犠牲はらってきたはずなんだけど、何?そもそも前提にするものを間違えてたのか。うわーまじか。ってその時なった。(感覚としてはセンター数学の大問で(5)を解いてるときに(1)の間違いに気づくみたいな状況)
その時めっちゃ涙でたし、信じられないくらいの鼻水でるし、アホみたいに笑いが止まらなかった。

自分と6年くらいずっと向き合ってきたし、自分の意志で自分の中で無茶苦茶考えて色々な全部自分で決断してきた。いわゆるレールみたいなのはとっくに踏み外した。
ただ、マイノリティーな道を歩んでいたからこそ、いかにも自分の道を錯覚で生きているように思っていたけど、ちっとも自分の尺度では生きてはいなかった。

ずっと自分は自分にとってではない、幻想(相対的)の成功、幻想(相対的)の幸せのための成長のために頑張っていたんだなーと気づいた。

今年の大きな収穫の一つは自分の尺度で生きてなかったことに気づけたこと。
気づけて良かった!

今年の大きな収穫②

大きなインパクトじゃなくて、美しいインパクト。そういうものはとおくに届く

11月。にmakersの奨学金報告会で黒越さんに言われたことば。
会社をやめて、2か月ぶりにガーデンプレイスにきたこの日の自分は、見事に絶不調。全く黒越さんと話が噛み合わなかった。(これに関しては100%自分のせい)
そんなこともあって正直全く言ってる意味が理解できなかった。美しいってなんだよ。遠くってなんだよと。

でも12月にカタリバで活動をしていくうちにこの意味が分かってきた。
makersの友達から頂いた言葉(頂いたという表現は正しくないけども)「必然と偶然の狭間 」っていうのが自分にとっての美学であり、自分が偶然となって、誰かの必然と化学反応を起こす瞬間が、自分にとって美しいインパクトであり、遠くではないかもしれないけど、とおくには届いている実感がカタリバの活動を通してある。(思い込みかもしれないけども)
美しいインパクトってこういうことねってのが分かった。

今まで自分自身社会的な大きなインパクトを残してやろうっていう気持ちは物凄く大きかった。
理由はたくさんあるが書くと長くなるので割愛。

ジーズのキャッチコピーである「セカイを変えるGEEKになろう」makersでいうと「全校生徒革命児」であったり、makersのu18であると「THINK BIG」であったりとどちらかというと大きなインパクトのニュアンスの方が強い。
実際ジーズであった人やmakersで出会った人に「今はNPOのボランティアで頑張ってます!」って言ったら、あー普通になったなとか、成り下がったなーみたいなこと思われるんだろうなと思う。知らんけど。

前だったら、自分のプライド的にそれが嫌で、大きなことをしよう、大きなことをしようと思ってそれだけのために何かしていたかもしれないが、
今は自分の美学をぶらさず、大きなインパクトではなく美しいインパクトをという感じに絶対的自分軸で生きれるようになったのが2019の大きな収穫②。


2020年

2020年のテーマは「誠実」「真剣」「全力」「表現」「絶対的自分」「言葉にする」です!

目標や夢はなし!将来のことも一切考えてないです!
1か月先のことまでしか考えてない!
とりあえずカタリバの2月の企画づくりまで全力で頑張ります!

以上。

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とてもジャイキリ読みたい。実家でごろごろしながら全巻読みたい。そんな暇がないことはとてもありがたいです。

今年1年間よろしくお願いします。

何卒。










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