努力した先の結果や成果は誰のおかげか?〜自己形成について〜
自分が何か達成した時、結果や成果が出た時それは果たして誰のおかげなのか。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。
ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。
がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
2019年東大の入学式の上野千鶴子教授の祝辞の一部。
簡単にまとめると「別にお前自身のおかげだけじゃねぞ」的なこと言ってると思う。多分。知らんけど。
努力したくてもできない人がいる。頑張りたくても頑張れない人がいる。
努力、頑張れてる時点で、環境が良くて周囲のおかげだということ。
でもめちゃくちゃ環境最悪、周囲の協力なんか一切ない。自分の力で這い上がってきました!っていう人もいると思うが、その人は自分のおかげなんでしょうか。はてはて?
パリでなんかの教授してる、この小坂井さん(この人の考え方好きでこの人著の本3冊くらい買ったけど1ページも読んでないなー)によると(この動画で喋ってる)、
人間は遺伝(父、母)、環境、偶然によって形成されてて、何一つお前自身の力で形成したものはないと。
人が形成されていくにあたって、ある出来事やきっかけを通して変化(成長)しちょる。(大から小、出来事を認知してるしてない関わらず。、)
その出来事やきっかけを構成するものがここでいう環境、偶然だと思われる。(外的要因)
ただその出来事が仮に偶然、環境によって構成されるものだとしても、それをプラスにするかマイナスにするかは自分次第、自分の力ではないかと思うと思う。
しかし、その出来事に対して自分をプラスにすることができたのは自分の力ではというものも前の自分とある出来事(環境、偶然)が相まってプラスにできる力が形成され、
さらにその力もそれよりも前の自分と出来事が相まって生み出されたものである。
これをずっと遡ると結果受精卵にいきつく(笑)
受精卵が構成されてるものは父母の染色体、
そして細胞分裂して体細胞になっていくのも自分の力ではなく偶然×環境といえるだろう。
つまり一つ一つ今の自分はどのようにして形成されたのか?それぞれの因子を生命誕生まで遡り素因数分解をしていくと何一つ自分で生み出した要素がないことになる。
話を戻すと、どれだけ劣悪な環境から這い上がったとしても、
這い上がるに至るまで、この理論でいくと何一つ自分で加えた力はない、つまり自分のおかげではないと言える。
ていうことは人間自分自身残念ながら本当の意味で自分でコントロールすることはできない。
だからいい結果に対して自分の力ではないと先程いったがこれは悪い結果に対しても自分のせいではないということができる。
つまり、この理論でいうと人を殺すような凶悪殺人犯もその人のせいではないといえる。
この理論を言ってる小坂井教授の著に「責任という虚構」という本があるが、
読んでないからわからないがおそらくこういった理論から責任というものは虚構であるということが書いてあるのだと思う。(読まなきゃ!)
まー私が何を言いたいかというと、
家の鍵と財布なくして家は入らなくなり、
携帯の充電もゼロになって連絡手段を失い、
PCをセブンスポットWi-Fiにつないてこのnoteを書いてるという現状は
私のせいでは一切ない!!!
ということですかね!!!笑
にんにん、ドロン!
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