8.デニーロさんの話
ウソのようなホンマの話である。
昔ある店舗で働いていた。
平日は閑散としていて、私は仕事もせず人間観察に勤しんでいた。
歳の頃なら70〜80代、杖をついたご老人が歩いて来た。
ロバート・デニーロ似で顔立ちのハッキリした優しそうな方だった。
お客様は他におらず私とデニーロさんだけの空間が出来上がっていた。
若かりし頃はおモテになったんだろうなと思わずにはいられないその佇まいは、杖こそ付き、足並みはゆっくりだが、その姿は凛々しく、風格があった。
素敵な紳士やわぁー
と思いつつ、その後ろ姿をチラチラ見ていた。
外は小雨が降っていたようで、フロアは滑りやすくなっていた。
私の横を通り過ぎ、私とデニーロさんとの距離が3m程になった時
ツルン!
靴と杖がフロアを滑りデニーロさんが後ろに倒れてしまった。
うわぁぁぁぁ
デニーロさんが叫ぶ。
私も
うわぁぁぁぁ
心で叫んだ。
デニーロさんが転んだ事にも驚いたし、転んだ瞬間にモップのような物が凄い勢いでフロアを滑っているのを目撃したからだ。
そのモップはまるで生きているかのように私の方向に滑り込んで来た。
向かいの店舗に目をやる。
いつも仲良くしている緒方さんがフロアに出てきて、両手を口に当て目をまんまるにして驚いている。
私は飛んで来たモップを拾い上げマジマジと確認した。
カツラだった。
デニーロさんはスキンカラーの頭皮をあらわに起き上がろうとされている。
私も緒方さんもデニーロさんが頭を打っていない事だけは確認している。
『大丈夫ですか!?』
2人は同時に双方から駆け寄った。
緒方さんと違うのは、私がカツラを手にしている事だけだ。
私は座り込んだデニーロさんに何故か
『大丈夫ですよー、大丈夫ですよー』
と言いながらカツラの前後を確認し、素早く静かに装着した。
デニーロさんは
『おぉ、おぉ、すまんな』
と言ってくれた。
ミッション完了。
『お怪我ないですか?』
幸い怪我は無いようだった。
良かった…
2人で介助をし、デニーロさんは立ち上がった。
手にはカツラの感触がまだ残っている。
私は間近でマジマジとデニーロさんの顔と頭を確認した。
…よしっ、ズレてない。
『雨でフロアが滑りやすくなっております。申し訳ございません。どうぞお気を付けてお進み下さいませ』
接客業の鏡・緒方さんの気遣いを横に私はドキドキが止まらなかった。
それは間近で見たデニーロさんのフェイスがとても素敵だったからなのか、カツラが自分の元へ飛んで来て素早く装着した事に後から緊張してきたからか、なのかは今もわからない。
全ては一瞬の出来事だった。
後日談。
テナント本部よりデニーロさんからお礼の言葉が届いた。無事に帰路に着き怪我もされてないとの事。あの時は動転し、きちんとお礼が伝えられなかった。2人の迅速な対応と心遣いに感謝すると。
あの状況なら誰だって動転する。そして、ほんの一瞬の出来事。もしかしたらデニーロさんにとっては思い出したくない話だったのかもしれない。なのに私たちにわざわざお礼を伝えてくれた。そんなデニーロさんの人間性に私はとても感激した。
それから私はお店などで親切にしてもらったら、メールやお客様の声を書いたりして感謝を伝えるようにしている。感謝の数珠繋ぎだ。
私が伝えたいこと感じたこと嬉しかったこと等々プラスの感情は、出来る限り相手にすぐ、今、伝えたいとも思う。
ウソのようなホンマのエピソードと共にー
相手へ伝える大切さ。
デニーロさんに教えてもらった。
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