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休学の思い出:魚とちびっこ

始まり

休学期間中、僕は1人用の部屋に3人で住んでいた。
9畳のワンルームに3人。
ひとりはさかなお。大分の大学3年生で同じ学年の男の子。大学3年の春休み、熊本に同じボランティアの現場で休学の話を一緒にした。同じ年度に休学を決意し、福岡でボランティアをやりたいと言うことで一緒に住むことになった。

もうひとりは同じ大学の2年生の女の子、ユナ。さかなおと同じボランティアをやってて、実家暮らし。僕の家が大学から近いこともあって「1限がある前の日とかでいいから泊まりたい」って言われた時に僕が「一緒に住めばいいじゃん」と言ったことがきっかけでジョイン。

そうして始まった「えつおゲストハウス」と言う愛称の我が家の共同生活。

魚の話

熊本のボランティアで一緒に温泉に入ってたさかなおと僕。僕は休学することは決まってるけど、休学期間中に何をするかはほとんど決まってないことを打ち明けた。
「1年間これをするんだ!って1年間の内容が決まってない休学もありなんじゃないんかなぁ」とか言いながら僕はシャンプーを流してたのを覚えてる。
それに勇気をもらったぽいさかなおはその月の2ヶ月後に僕の家に住むことになる。
さかなおとの出会いは中高生へのキャリア支援のボランティア。多分僕が大学2年の時に出会ったと思う。わざわざ福岡までボランティアしに大分からくる彼は僕にとって行動力ある何人かの熱いやつの1人と言う認識で止まってた。
なんならそんなに話したこともなかったし、お互いのことを腹割って話す機会もほとんどなかったに等しい。
さかなおは、福岡のボランティアのメンバーからもすごい慕われていた。
さかなおさんに話聞いてもらってすごいよかったって話はかなり聞いた。なんならユナからも聞いてた。
人望があって、僕からしたらかなりスキルもあって、話す言葉も「こいつ頭いいな」って感じることも多々あった。周りを見ることもできるし、空気を作るのもうまかった。

ちびっこの話

ユナとの出会いはフリースペース。当時高校3年のユナが僕と同じ大学に行くことが決まってたみたいで、キャピキャピしてるなぁとか思ってた。
初対面の時の会話もそんなに覚えてないけど、そんなに化粧もうまくなかったような気がする(失礼笑)
大学1年生の彼女はすごいキラキラしてたように思う。たまたま友達の後輩ということもあったし、ボランティアの拠点のフリースペースでも彼女を見かける機会が多かったからそう思った。
行動力もあって、空気を読むのも空気を作るのもうまい。初回の印象を覆すほどにキッチリキッチリしていた。
話を聞いてて毎回思ってたのが思考力がえぐい。大学1年生にしては大人びすぎているようにも感じた。一緒に仕事したら僕があまりに低脳すぎてすごい怒られそうだから一緒に何かするのだけはやめようと思ってたのは内緒。
何より彼女の人と打ち解ける速さは羨ましいとさえ思ってた。どんな人とでも仲良くなるし、時には仲いいように見える振る舞いがとてもうまかった。

共同生活の話

6月くらいから3人で共同の生活をするようになった。僕がたまにイベントで知り合った人を家に無料で泊めることからたまに4人になったり5人になったりしてたけど、基本的に3人の生活。
恥ずかしい話、お金の話をちゃんとしていなかったことが原因で割と喧嘩した。
ユナがご飯を作ってくれて、3人で囲む食卓は本当に楽しかった。さかなおもユナもお酒が強かったからよくお酒が食卓に並んだ。
ここだけの話、洗濯物に関しては自分でもびっくりするくらいに無心で干せた。
同じコミュニティに所属しているのに、この3人といる時はいつもとはまたちがった安心感みたいなものがあった。
ただ、僕はボランティアのインターンを辞め、さかなおとユナはボランティアのインターンになり、さかなおもユナも企画のリーダーをする関係上、うちがある種の作業スペース化した。
リーダーや責任のある立場になったことのある人なら一定の共感をしてもらえると思うが、一定の不満や葛藤、もがくことが生じる。
最初にその状態に陥ったのがさかなおだった。
大分と同じボランティアなのに、やり方も割と違う福岡。戸惑いやモヤモヤがあったんだろうと思う。
だからこその不満を家で吐いてた。「やり方わかんねえよ」って言ってた。
僕はなんでかわかんないけど、正直に思ったことを言ってた。すごい怒った。

「それってさ、さかなおが逃げてるだけじゃない?」

今更ながらさかなおに対して厳しかったなと思う。その時思っていたのは、一定の同じやり方があるし、わからないことに対してただ不平を言ってるさかなおは正直ダサかったから。本当はもっとできるはずなのに、できない言い訳を作ってるように感じたから。
そんなもんだから、空気の読めるユナはさかなおのフォローに回る。
そんな2人を家に置いて僕は友達のところに出かけることが多かった。
そして気づいたら2人は付き合ってた。
別にどうってことないって思った。「えつおは気づいてて黙ってるかと思ってた」とかユナに言われた時は、逆に気づかなくてごめん(笑)くらいにしか思ってなかったし、別に自分ちでカップルが誕生してカップルと共同生活することに対してはなんの気兼ねもなかった。
ユナとはすごく仲良くなった。夜中12時に帰ってきた彼女と話してて気づいたら早朝6時になって、急に近くの山に行くことになったりもしたし、ユナの寝顔に落書きを書いたりするのがたまらなく面白かったのを覚えてる。
ホームシックになることなんて一回もないような僕だからこそ、この「えつおゲストハウス」が理想の家のように思えてきた。

休学期間中、僕はとある大人の方とのプロジェクトにバイト、自分のイベント企画をやっていたし、さかなおはボランティアのインターンとバイトをしてた。
ユナは大学とえげつないくらいバイトをし、そしてさかなおと同じインターンをやってた。
3人の共通の話題であり、3人が熱くなって話をするのはボランティアのことだった。夜な夜なもっとこういう風にできたら面白いんじゃないか、こういうことが課題なんじゃないか、もっとこういうものができるんじゃないか、って話を飽きもせず語り合いまくった。

帰る場所

僕が当時やっていたバイトは焼肉屋さんだった。
正直僕は無能だった。飲食の経験も浅く、お客さんの多い店では使い物にならなかった。僕がバイトはお金を稼ぐための手段であるという思考から頑張ることをしなかった事に加え、オーナー含めバイトの子達がみんな体育会系の思考だったというのが運が悪かった。
ミスすれば怒られて落ち込む僕とイライラを増すオーナー。
体育会への超絶偏見だが、わかりやすい例で出せば監督の「帰れ」は「頑張らせてください」を求めている言葉だと思ってる。
そのお店ではそういうことが多かったように思う。
だからというべきか、僕が頑張れなかったからというべきか、シフトに入るたびに怒られたらどうしよう、間違ってたらどうしようという不安が常に付きまとって手が震えていた。萎縮していた。
そしてミスする。怒られる。萎縮する。ミスする。怒られるの繰り返し。
本当に病んだ。ネットで診断したら鬱の傾向がバッチリ出てた。
死にたいと毎日思ってたし、頑張れない自分は社会不適合者だから社会になんて出れない、もうどうしようもない人間なんだ。
いろんな負の感情を背負っていた。

なんでそんなにできないん? 病気なん?
オーナーの言葉はおそらくもっと頑張りますって言って欲しい感じなのかなとわかる。でももう嫌だった。だからそうです病気です。って伝えたらめちゃめちゃキレられた。
文字にしたらすごい面白いんだけど(個人的に)、その時の自分は本当に苦しくて、もう全てが嫌すぎて、帰り道思わずさかなおに電話してしまった。
泣きながらその時までの感情を全て余すところなく吐き出した。
さかなおは笑いながら、いいから早く帰っておいでって。
嬉しかった。
そして救われた。
同時に自分に全てを受け入れてくれる人も、帰るべきホームもあるんだって心から感じてまた泣いた。

思い出したきっかけはさかなおの話。

今日さかなおの話がメインの記事を書こうと思ったきっかけはさかなおの話を読んだから。
去年の僕との関係についてだった。

さかなおもユナも僕にとって本当に大事な人だって思ってる。
『愛』という借り物の言葉ででしか今は表現できないけれど、そう思ってる。
だから、2人は僕にとっては愛を教えてくれた人たちなんだよね。
これからもずっと2人とは関わっていたいし、何かあったら何が何でも助けたい。

これを読んでくれてるかはわからないけど、ここでも感謝を伝えたい。
明日さかなおには会うから、そこでは直接口で言おうと思う。
ユナはまた今度あったら伝えるね。

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