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私のヒーロー

中学の頃、私は吹奏楽少女でした。暇を持て余した美術部の活動から、365日ほぼ休みなしの吹奏楽部への転部は私の中学生活を一気に変えてくれました。
途中入部ゆえ希望のパートに配属されることはありません。必然的に人数の少ないアルトサックスに決まってからは、鳴らないマウスピースを鳴らすところから始まり、自分の楽器を買ってもらうまではサビくさい学校の楽器を吹いていました。
とにかく生活のすべてが部活に染まっていた私の当時のヒーロー。
それが丸谷先生率いる淀工だったんです。

吹奏楽コンクールやマーチングコンテスト、御堂筋パレード、3000人の吹奏楽…。各地で行われるイベントに出ていた私たちでしたが、そのすべてで淀工の演奏はかっこよかった。
マーチングコンテストであんなに楽しそうにカーペンターズを吹いている!踊っている!まさか入場行進の曲が「大阪ラプソディー」とは!すごい!!とにかく目の離せない、淀工の吹奏楽は正真正銘のエンターテイメントでした。
私にとって、丸ちゃんと淀工のお兄さんお姉さん、そして高校球児はみんな憧れのスターでした。(突然の高校球児)
その丸ちゃんが亡くなってしまった。
そのニュースを見た時、我が目を疑うほどショックでした。
私は直接の教え子ではなく、ただ青春時代に吹奏楽に携わっていただけ。それでもものすごく悲しく、切なく、不思議な喪失感が残りました。

もう何年も前、万博公園で行われたブラスエキスポを見に行った際、たまたま学生さんたちを引き連れた丸谷先生とすれ違ったことがあります。
先生と目があった私はとっさに会釈をし、先生も会釈しかえしてくださったあと、「ん?今のは誰やったかいな?」という表情をされていました。
すみません、全然知らない人です…私が一方的に知ってるだけなんです…と心の中で呟きました。それでもとても嬉しかった。
あの時はまだまだお元気そうに見えたのですが。

今でも、丸谷先生と淀工は私のスターです。

(追記)
この記事は実は2年前に書き始めていたものでしたが、私生活のボロボロと仕事の忙しさとあいまってずっと下書きに残していたものです。なので、だいぶ大きくタイムラグが生じています。申し訳ありません。
でも私にとってとても大切な出来事だったので、2年越しではありますが公開することにしました。

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