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[essay]台風とお米と戦争と

昨日はもの凄い台風が来ると言うので身構えていたが、東京は直撃を免れて拍子抜けしてしまった。一日家にいられる状況だったので、贅沢なことを言っている。

一転、今日は快晴の酷暑だと予報を見て、涼しいうちにと朝一番でスーパーマーケットに走った。米を買うためである。昨日は売り切れており、代わりに蕎麦と切り餅を買って帰ったものの、やはり一日一食はご飯を食べたい。

ところが着いてみると、今朝も米の棚は空っぽだった。徒歩圏内にはあと3軒スーパーがあるが、外はすでに30度超えでとても回る気になれず、それだけ数個並んでいた発芽玄米1kgを一つ購入した。

汗だくで帰宅し、何ごとぞとネットで調べて米不足が言われていることをやっと知る。SNSでは、政府が米の販売を規制しているという陰謀論が飛びかっている。インバウンドがどうしたとか輸出し過ぎたのだとかいう話もあった。真実はわからぬが、とにもかくにも米がない。惣菜棚におにぎりはあるのに、米がない。ないとなればよけいに欲しくなるのが人情だ。

バブル以降お上に逆らうことを厭うてストライキもデモ行進もせず、すっかり従順になってしまった日本国民だが、米が食えないとなったらどうだろう。いよいよご先祖が燃やした一揆の血が騒がないだろうか。そうして民衆が立ち上がったとき、さてどこへ打ち壊しに行けばいいのか。

ともあれ、100%玄米を生まれて初めて炊く。これまで五分搗き米や玄米を混ぜた白米は炊いたことがあるが、玄米だけというのは確かはじめてだ。はじめてには失敗がつきものだが、案の定水分量を間違えて、かなりゆるい炊きあがりになってしまった。

まあ、粥は好きなのでよい。納豆と梅干しと常備菜のきゅうり漬けで食す。粥には合わないと思い、味噌汁は作らなかった。

美味しいかと問われれば、まったく否である。これが続くのはつらい。そうだ何かとブレンドすればいいのだと、パソコンを開いてジャスミン米(タイ米)をポチった。タイレストランのご飯は大好きだから、きっとうまくいくはずと信じる。それにしても5kg3200円とは、タイ米もお高い。

* * *

古い友人のMとKが、今日、世界一周のクルーズ旅に出発した。本当は昨日出航の予定だったが、台風のせいで一日延期になったのだ。

およそ600人の客を乗せた船は、横浜を出て神戸に寄ったあと、中国、シンガポール、インド、エジプトを経てヨーロッパを巡り、北極圏を回ってからアメリカ大陸、イースター島やハワイを経て、12月に帰国するという。羨ましい。

今年75歳になるスナック経営者のMは、この旅で英気を養って85歳まで頑張ると言っている。これであと10年、わたしは気に入りの場所を失わずに済む。ありがたい。あやかりたい。

一方で、85歳の小説家の先輩が、今、病の床にある。2022年の夏に脳梗塞で倒れ、ずっと入院していたのだが、先日肺に水が溜まったため手術を受けたと、連絡が入った。

安原顯門下の先輩である彼は、出会ったときデビュー4年目で、脂の乗っている時期だった。ハードボイルドと時代物を得意とし、毎年じゃんじゃん本を出していた。わたしをゴールデン街の『深夜+1』や歌舞伎町風林会館の『パリジェンヌ』に、はじめて連れて行ってくれたのは彼だ。安原先生亡きあと、新人賞に応募する時には親身になってアドバイスをくれた。

そういえばここ何年も本を出していなかったなと思い、調べてみると2012年に出た警察小説が最後になっていた。彼が72歳のときだ。書いていたのに出版できなかったのか、それとも筆が止まってしまったのか、倒れる前年まで毎年忘年会で顔を合わせていたが、尋ねたことはなかった。今訊いても、もう答えは受け取れないだろう。

「倒れたとき、あのまま逝かせてあげたほうがよかったのかな……」

長年彼の手助けをしている安原教室の仲間が、ぽつんと言ったことがある。小説家である限り、こんな珍しい状況にあって、それをタネに書きたくないはずはない。しかし今の彼には、そんな意欲さえないのかもしれないと思うと、やりきれない。本人の気持ちは誰にもわからないのに、勝手に想像して勝手にやりきれなくなっている。

あんなに世話になったのに、わたしは見舞いに行っていない。薄情だなと思う反面、会ってもわたしとわからないのに、見舞ってあれこれ励ますなんて、こっちの自己満足でしかないのではないかとも思ってしまう。

そんなことをあれこれ考えて、二の足を踏んでいる。卑怯だなと思う。

* * *

79年前の今日は、玉音放送から2日目だ。これからやってくる占領軍が自分たちに何をするのか想像し、人々は、殊に女性たちは怯え慄いていた。

実際、占領軍が日本に到着した当日から、あちこちで米兵による強姦事件が起きた。戦争は終わったのに殺された市民もいた。そうした事件はGHQによって隠蔽された。日本は慌てて慰安施設を作った。性病が蔓延すると野犬狩りのように街の女たちを手当たり次第に捕まえ、性病検査を受けさせるという蛮行も行われた。占領軍基地の周りには繁華街が生まれ、集まった人々は売れるものは何でも売った。

ベルさんの肉親探し(拙著『母をさがす——GIベビー、ベルさんの戦後』)にかかわって以来、殺伐と無秩序と生命力が渾然となったこの時代の世界に、想いを馳せることが多くなった。気がつけば、当時を背景にした書物に手が伸びる。今も、資料のつもりで購入した小説が面白く、夢中になってしまって筆が止まっている。

わたしにほ、読み物に没頭すると食べることを忘れてしまう癖がある。空腹で我に返ったものの、もう玄米は食べたくない。蕎麦を茹でようか餅を焼こうかと考えあぐねて、はっと、幸せな悩みだなと思う。

今夜は蕎麦にしよう。

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【サポート受付】100円から可能です。頂いたサポートは、GIベビーの肉親探しを助けるボランティア活動[https://e-okb.com/gifather.html]の活動資金として使います。(岡部えつ)