[essay]旅と死と音楽と
広島と久留米を、3泊4日かけて旅した。大好きなピアニスト、スガダイロー氏のライブツアーに乗じての旅であり、広島に住む旧友に会う旅でもあった。
一日目 広島
新幹線の改札前で友人と再会すると、さっそく彼女が最近購入した新居へ連れて行ってもらった。静かな住宅街の奥まった場所に建つ二階建て。羨ましいことに、二階の一室が書庫となっていた。ドキュメンタリー映像作家の彼女と大学教授の夫という夫婦なので、書物の量は半端ない。ドアを開けると古書店の匂いがぷんとして、思わず深呼吸した。
隣の書斎に行くと、机にわたしが今年出した本2冊が置いてあった。どちらにも付箋がたくさんついている。それを持って一階のリビングに戻り、感想をたっぷり訊かせてもらうという、至福の時間となった。
「この2作品は、えっちゃんの転機になると思う」
作品に厳しい彼女からそう言って褒めてもらい、素直に喜ぶ。そのまま積もりに積もったおしゃべりに突入し、あっという間にライブの時間になってしまった。慌ててバスに乗り、繁華街へ戻った。
東京から来た友人と合流し、3人でジャズライブハウスLush Lifeへ。この夜は、地元ミュージシャンのテナー奏者とダイロー氏のピアノのデュオだった。はじめてスガダイローを聴いた広島の友人は、彼のソロ演奏(確か『Sweet and Lovely』)の後、
「蝉時雨の中にいるみたいだった」
と言った。なるほど確かに。
そういえばこの曲はスタンダードらしいが、わたしはスガダイローの『Sweet and Lovely』しか知らない。そう気がついて、帰ってからエラ・フィッツジェラルドが歌うのをYouTubeで聴き、ひっくり返りそうになった。タイトルどおりのメロメロに甘いラブソングだったのだ。
スガ氏のそれは、まったく違う。甘くも可愛くもない。愛は愛でも一筋縄ではいかない複雑さと滑稽さを含んでいる。オリジナルをどこまでも果てしなく料理して、しかしその素材の何かしらは残す。出来上がったものは美味しいとは限らない。でも忘れられない味にする。まったくジャズとは不思議な音楽だ。
翌日は、数十年ぶりに広島平和記念資料館(いまだに『原爆資料館』と呼んでしまう)へ行った。莫大な量の死を前に圧倒され、言葉もない。そのひとつひとつの尊さを拾い集めたような遺品展示のコーナーで立ち尽くしていると、スマホがメールを着信した。
「マツケンさんが、今朝なくなりました」
2年前に脳梗塞で倒れ、療養生活をしていた小説家の松本賢吾さんの訃報だった。前のエッセイ『台風とお米と戦争と』でも少し書いた、2000年から2年半ほど開かれていた安原顯小説教室に時々顔を出してくれていた先輩作家だ。ヤスケン亡き後は小説のことで相談にのってもらったし、飲みにもよく連れて行ってもらった。ここ十年ほどは年に一度忘年会で会うだけになっていたが、わたしが親しみと安心を持って接することのできる唯一と言っていい同業者だった。
長く患っていたし、最近状態がよくないことも聞いていたので、驚きはなかった。幼い頃養子にもらわれた名古屋の寺を出奔し、横浜で墓掘り職人や屋台引きなどをしながら夜間大学に通い、警察官になって安保闘争では自分と年の変わらぬ学生相手に警棒を振るっていたと聞いたことがある。天涯孤独の人だった。ずっと独身だったのが確か70過ぎて一度結婚し、わたしたちを驚かせた。しかしすぐに離婚してその後はまた一人になった。本を出さなくなってからは、警備員の仕事をしていた。いつまでしていたのかは知らない。柔和なお爺ちゃんのように見えて、一瞬ギラリと闇の世界を匂わせるようなところがあった。
デビューしたてで2作目の単行本を書き上げるのに四苦八苦していたとき、彼に相談したことがある。マツケンさんは目を細め、
「岡部、30枚くらい書くのはどうでもないだろ? それを10章書けば300枚、一冊だ。簡単だよ」
と言って、わははと笑った。もちろん小説はそんな単純に書けるものではない。それでもそう言われるとそのとおりだと思えてきて、一緒にわははと笑ったものだった。
資料館を出ると、太陽がじりじりと照りつけてきた。暑さと眩しさでくらくらしながらモニュメントに祈りを捧げ、原爆ドームの脇を通って路面電車の停留所へ向かう。あの日は、この何千倍の熱がここを覆ったのだろう。
二日目 久留米
新幹線で久留米に着きホテルにチェックインすると、なんと予約を間違えて、2部屋とってしまっていた。2泊もだ。当日分は無理としても、せめて明日の1泊分をキャンセルしたい。
しかしわたしの予約はagodaというサイトからしているので、ホテル側では何もできないと言われて愕然とする。とりあえず部屋へ行き、パソコンを開いてagodaのカスタマーサポートへ繋ぐも、チャットの相手はAIで、キャンセルも変更も受け付けてくれない。
はっと思いつき、たった今久留米に向かっている機上の友人にメールを打った。同じホテルに宿泊予定の彼女が、もしもホテルのサイトから予約していたなら、そちらはキャンセルできる。今日はキャンセル料100%だろうが、明日は多少安価なはず。
「ホテルのサイトからの予約です。いいようにしてくれてOK」と返事をもらえたので、さっそくホテルに交渉する。すると事情を汲んでくれ、友人の宿泊分を2泊とも無料でキャンセルにしてくれた。
AIと格闘したあとの、この人情には泣けた。やっぱり人間と話せなければだめだ。もう二度とagodaやそれに類するサービスは使わない。人と対話できるサービスだけ使う。そう強く心に誓う。
夜、ライブ会場の『トラノコカフェ』に向かう。今日はスガダイローソロ。彼の演奏もだが、オーナーのAさんと会えるのも楽しみなのが久留米の夜だ。とても雰囲気のいい素敵なお店で、たっぷり音楽を楽しんだあとは、打ち上げでご馳走もいただき、気持ちよくホテルに帰った。
三日目 久留米
昼前までゆっくり寝て、東京からの友人と三人、Aさんに教えてもらったイタリアンでランチを食べた。落ち着いた静かな大人のお店で、味も素晴らしく、コースはいつもお腹が苦しくなってしまうわたしが、珍しくメインもほとんど平らげた。
この日は15:30から、昨日と同じく『トラノコカフェ』で、我楽(スガダイロー、東保光、池澤龍作)のライブだった。オープンまでに少し時間があったので、街をぶらぶらして渋い感じの喫茶店に入る。よくあるレトロな内装のお店かと思っていたら、壁に「創業63年」とあった。きっとコーヒーが美味しいのだろうが、さっきのレストランで飲んでしまったので、冷たいレモンのジュースを頼む。
このバンドで関東から外に出たのははじめてという彼らの初九州ライブは、楽しくて幸せな時間だった。東京で何回も観ているのに、何かが違う。プレイヤーたちの心情も、東京と旅先では変わって演奏に現れるのかもしれない。光さんの歌声も、いつもより増して迫力があった。そしてこのお店のお客さんは、みんな優しい。
この晩も、遅くまで打ち上げに参加した。ミニセッションが始まったり、ダイロー氏おすすめの動画上映会をしたりと、美味しい料理とお酒も手伝って、お腹と心が温かいものでいっぱいになった。
四日目 太宰府天満宮〜博多
朝、Aさんが車でわたしたち3人をピックアップして、太宰府天満宮へ連れて行ってくれた。わたしははじめてだったので、大興奮。本殿は改修中だったが「仮殿が素敵なんですよ」と、前日トラノコカフェのお客さんから聞いていた。行ってみると、屋根に森を乗っけたような、本当に素敵な建築物だった。
帰りがけ、名物の梅ヶ枝餅を買う。受け取ると焼きたての熱々で、これを炎天下で頬張るのは……と一瞬たじろいだが、食べてみると美味! ぺろりと平らげてしまった。
太宰府天満宮を出ると、車で一路福岡空港へ。4人で空港内のレストランに入り、時間までランチを食べながらおしゃべりに興じた。
15時過ぎ、Aさんと別れ、飛行機で帰る二人ともチェックインカウンター前で別れて、新幹線で帰るわたしはそこから地下鉄で博多駅へ向かった。福岡空港からわずか2駅、5分で着く。福岡は便利な街だ。
16時ちょうど発ののぞみに乗り、東京へ。旅の終わりの気だるさに浸りつつ、読みかけの本を開いた。
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