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9. マラドーナ

 アニは考えを言葉にするまでに時間を要する。それは数週間から数ヶ月に及ぶ場合もあり、アニへの問いは、忘れた頃に答えが返ってくることがあるので、気長に待つようにしている。

 義父の死後、一切の炊事ができないアニのために、一週間分の食事を作り、毎週末に渡している。脳障害により、注意力が欠如することが多いため、ガスコンロを使うことなく電子レンジで温めるだけで食べられる状態まで調理してから、種類別に一食分を小分けにしている。

 献立は、留置所で測った血圧が200を超えていたアニの健康を考え、ミネラルや食物繊維が多く含まれる食材を中心に組み立て、また、極度の偏食家でもあるため、初めのうちは細かく刻んだ野菜を肉料理に隠したり、味付けで苦手な食材の味をごまかす方法を試した。添加物もなるべく避けるよう、減塩系の調味料は使わず、出汁をきかせたメニューを増やし、自然の旨みに味覚を慣れさせるようにした。

 脳障害の影響で、興味のある事に極端なのめり込み方をするアニは、私が作った食事を口にしているうちに、苦手な食材のイメージが上書きされたのだろう。たった2ヶ月ほどで、ひじきや切干大根の煮物、鯖や鰊などの焼き魚、スパイスをふんだんに使ったエスニック料理まで、これまでは絶対に口にすることがなかったメニューも抵抗なく食べるようになった。血圧も降圧剤の服用をしながらだが、数ヶ月をかけて110台まで下がっていった。
 幼少期からの偏食ぶりを知る夫が、そのあまりに極端な変貌に不安を口にするほどだった。

 アニは毎日、朝と晩に食事や日課の完了を伝えるメッセージを写真付きで携帯電話へ送ってくる。そこには、食べ物だとは気がつかないほど、乱雑な盛り付けの食事の写真とともに、牛丼チェーン店やファミリーレストランの名を挙げ、そこよりも私の手によるおかずの方が旨い、といったメッセージが添えてある。ある日は、化学調味料や添加物が多く入っていることで知られているチェーン店を引き合いに、私の料理はその店の味を超えている、スタンディングオベーションものだ、とユーモアを交えて大絶賛してくれた。
 魚市場で仕入れた昆布やいりこ、鰹節をかいてひいた出汁や自家製の調味料を使っている身としては複雑な心境ではある。

 だがある時、夫がこれまでの献立で、特に好きなものを訊ねたところ、アニの目はしばし宙を彷徨い、そのまま何も答えずに沈黙した。夫はそれ以来、毎週アニに好きな献立を訊き続けた。その度にアニの目は彷徨い、長い沈黙が訪れた。

 質問を繰り返し、数ヶ月が経ったある日、アニが一冊の手帳を持参してきた。そこには、これまで作った料理の中から特に気に入ったものとその感想がびっしりと書き込まれていた。青椒肉絲、生姜焼き、マカロニグラタン、チヂミ、餃子などを中心に、読むことも躊躇われるほどの大袈裟な賞賛の言葉が強い筆致で書き連ねられていた。その日から、アニは定期的に好きな献立とその感想を手帳や手紙に書いて持参するようになった。

 30年以上前に脳梗塞を発症し、人知れず高次脳機能障害と共に生きてきたアニの、失われた脳の機能を快復させるリハビリテーションがあるのかは分からないが、本人が言葉にできないことがあれば、可能な限り繰り返し訊ね、考えるきっかけを作るようにしている。

 アニが日々の生活で贅沢だと感じた出来事を自由に綴った日記『ぜいたくてちょう』を読む限り、アニは感じていることを言葉にすることに時間がかかるだけで、伝えられないのではない。むしろ、感覚と言葉が結びついた時、目を見張るような輝きを放つことがある。
 
 好きな献立に限らず、私は事毎にアニの意識の底に漂う感覚から、言葉を手繰り寄せることを試みている。あるいは言葉からより現実味を帯びた感覚を導き出すことを。それは、ある時には過去と現在が切り結び、病前のアニの面影を甦らせた。

文字あるいはその結合である言語の表現は、人間が、その自然的・社会的環境を把握する仕方を示すものである。だから、それは人間社会そのものの代替物であると言える。

小尾俊人 『出版と社会』

 アニはいまも料理の感想を手帳に書き続けている。
──エツコさん、素晴らしいです。まさに神の手ですねー。

水を差す気はないが、アニはひとつ間違えている。詐術であるマラドーナの神の手とは違い、私は定石を踏んでいる。

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