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13. 不精な就職活動

 アニは大学を卒業してから、様々な仕事を無職の期間を挟みながら渡り歩いていた。退職の理由を訊ねてもほぼ全て「きつかった」というぼんやりとしたもので、仕事内容や職場の様子なども、朧げにしか思い出せないようであった。また、ほとんどの職場を退職の手続きを踏まずに逃げるように辞めたという。

 これまでに経験した仕事は、大手鮮魚店の店舗スタッフから始まり、印刷会社、物流会社、新聞配達、キャラクターグッズの箱詰め業務、大手居酒屋店が経営する食品加工所、パチンコ店、ホームヘルパーなど、アニが憶えている限りでも8つの職場を転々としていたようだった。

 20世紀最後の冬季五輪が日本で開催された年の春、アニは関東地方を中心に鮮魚専門店を展開する企業の正社員としてすんなり入社したという。当時は就職氷河期の只中で、若年の非正規雇用や完全失業率の上昇など、現代のひきこもりや8050問題などにもつながる事象が現れた、超就職難の時代にも関わらず、苦労せずに内定を貰えたことには些か驚いたが、詳しく聞いてみるとアニは天賦の才とも言える、不精の限りを尽くすことで期せずして困難な状況を切り抜けていた。

 アニは大学四年生の春にようやく重い腰をあげ、合同の会社説明会に足を運んだそうだ。通勤が楽な自宅近くに事業所を構える3社にあらかじめ目星をつけ、説明会会場ではそのなかでもひときわ就職活動生のいない2社を訪ねたという。そこでは仕事の難易度について単純な質問をしたのみで、自分の理想とする答え「簡単である」「楽である」という返事をもらえた会社へ志望を決めたそうだ。その企業が偏食のアニが全く口にすることのない鮮魚販売を事業にしていること、飲食に関しては炊事はおろか米さえ研いだことが無いのは問題ではなかったのだろう。

 入社してからは、自宅の隣町にある店舗で魚を捌くことから教えられたそうだ。だが、在職中に扱った魚は鯵のみだという。よほど鯵の需要がある地域なのかと思ったが、注意深く質問を繰り返していると、どうやらこの鮮魚店では初心者は鯵を下ろすことから始まり、技術の習得に合わせて扱う魚が変わるようだった。アニは入社してから退職までの約6ヶ月間、毎日鯵を下ろし続けてもなお、次の段階に進めなかったのだという。最後には、あまりの習得の遅さに、諦めて次の段階に進めようとしたスタッフと、こんな質では絶対に認められない、と拒否する職人気質のスタッフとの間で諍いまで起こってしまったそうだ。

 鮮魚店を半年で退職してからは、印刷会社やパチンコ店の契約社員やパートタイムスタッフとして就職と離職を繰り返したという。見かねた義母が学費を援助して強引に取得させたホームヘルパー2級の資格も、実務についていけず数週間働いた末に辞めたそうだ。
 コンビニエンスストアなどに飲食物を納品する物流会社に勤めていたときは、いつも上司に叱責され、最後はスタッフの間で最も過酷だとされる日配食品の荷出しチームへの異動を命じられたという。本人は自覚がないが脳梗塞の後遺症のため腕力が弱く、2Lのペットボトル飲料だと1ケースを持ち運ぶのが限界であるため、配属先での苦労は容易に想像できた。

 義母は亡くなる間際まで、アニの将来を心配していたという。
 アニが脳梗塞を起こした1980年代後半、脳外傷に起因する記憶や言語、精神障害の病態については診断基準さえなく、一連の症候群に「高次脳機能障害」という名前が付けられたのは2013年頃からのようである。20年ほど前に亡くなった義母は、アニが高次脳機能障害であることを知らぬまま、怠惰な性格ゆえに仕事が続かないと考え、改善策を模索していたことを夫からも伯母からも聞いていた。

 アニと出会った当時、その生い立ちや高次脳機能障害の症状について知らなかった私は、なぜ、逮捕されるほどの事件を起こすまで家族が障害に気が付かなかったのか、という疑問を抱いていた。実際、アニの逮捕を報じたネットニュースのコメント欄には、その類の誹謗中傷が溢れんばかりに書き込まれていた。だが、家族の立場でアニと接するようになったいま、それは家族だから分からなかったのだ、と確信している。

 アニは四年制大学を浪人も留年もすることなく卒業し、マニュアルの運転免許、ホームヘルパー2級の資格も取得している。いずれも使うことなく現在に至っているものの、このような資格試験はスムーズとはいかないまでも合格する能力がある。脳神経内科で行なった知能テストではIQは83ほどで、知的障害として認められる範囲ではなかった。
 アニの就労に関する数々の失敗が、普段の不精な生活を知る家族には怠け者ゆえの当然の結末、と映るのは自然なことだろう。

 だが、アニは何かが違うのである。初めて留置所でアニと対面した時に感じた違和感をあえて言葉にするなら、一般社会での常識の欠如、状況に不釣り合いな言動、他者との距離の歪さ、突然生じる虚脱感に満ちた表情、とでも言おうか。

今日では多くの研究者が、知能指数(IQ)にせよ、一般知能(gで表される)にせよ、知能を単純化しすぎているとして退けている。

セバスチャン・スン『コネクトーム 脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか』

 アニに障害があることが判ってから、私たちは肉体的にも精神的にもアニが無理をすることなく継続的に働くことができる方法を考えていた。義父が亡くなる半年ほど前にアルバイト先を辞めてから、社会との関わりがいっそう乏しくなっていることも気がかりだった。

 ようやく取得できた精神障害者福祉手帳を持ち、アニに合った就労継続支援A型事業所を探すため、市の障害者就労支援センターとハローワークを何度も訪れた。最終的に5件ほどに絞られた求人票を手に、アニのお気に入りの焼肉店で昼食をとりながら入所先を検討していた時のことである。神妙な面持ちで一つの作業所を選んだアニに理由を訊ねると「休憩時間が多いから」と答えた。
 候補のなかでアニが最も苦手な、腕力を要する肉体労働が主たる業務の事業所を選ぶ、あまりにも軽率な理由に言葉を詰まらせる私の横で、夫が瞬時に切り返した「休憩しに行くんじゃねーからな。」の一言に、この家族がこれまで過ごしてきた時間に触れたような気がした。

 アニは現在、食品トレイのピッキング作業や工場の清掃などを行なう就労継続支援A型事業所に通っている。


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