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アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編③ さよなら軽便 蛍の光事件

 少年Eの住む町には、軽便(鉄道)と呼ばれる路面電車が走っていた。駅前から北行きと南行きの2路線だった。少年Eが小さい頃は、よく親に連れられ、父や母の在所(実家)に遊びに行った。

 特に母の実家とその周辺には、同じくらいの子どもが大勢いて、また祖父母や伯父母、叔父母、従兄弟姉妹も居て、農家で家も広く、夏休み、冬休み、春休みには、1週間~1か月くらい泊まって遊んだ。特に夏休みは、近くの川で泳ぎ、スイカやトウモロコシを食べたり、時々はおじいちゃ(祖父)が川で獲れたウナギをさばいて蒲焼にして食べさせてくれたりした。8月のお盆には、「かさんぶく」といって、大きな番傘の下に飾り物をつけたもの(傘鉾、笠鉾のなまったもの)を子供たちが担いで、初盆(新盆)の家を回って、御詠歌のようなものを歌う、風習があった。田舎町ではあったが、町場に住む少年Eの経験したことのない様々なことを、母の実家で体験できた。

 また、実家(本家)の家長(母の兄)の伯父さんは怖そうな人だったが、分家の叔父さん(母の弟)は大工で大の遊び好き、我々子どもたちを連れて、投網による雷魚獲りや自然薯(山芋)掘り等、神秘的でワクワクする体験をよくさせてくれた。従姉妹の女の子も大勢いたが、不思議と好きな女の子は出来なかった。

 時代の波は、確実に軽便から自動車に移りつつあり、少年Eにとっては唐突に、軽便は廃止になり、バスに変わっていった。ある夜、駅前がすごく明るくなり、軽便の最終便に合わせ、さよならセレモニーが行われ、人ごみの中、少年Eにとっては初めての生の楽団により、ホタルノヒカリが演奏され、少年はいたく感動した。

 軽便が廃止されて寂しく思う暇もなく、バスになってからも、小学生のうちは半額料金で母の実家には行っていたが、だんだん回数も減り、中学になってからは、ほとんど行かなくなってしまった。当然の流れとはいえ、残念なことをしたなあ、と今はつくづく思う。

今回の末尾の一首
君に会う以前のぼくに逢いたくて 海へのバスにゆられていたり
                          永田 和宏

かさんぶく(傘鉾ーかさほこ)

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