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アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アメリカ編② イギリスという国のフシギ

 アメリカでの研修期間の最初に3週間、ニューヨークのロングアイランドの家庭にホームステイを経験した。息子3人は既に独立していて、夫婦のご主人がヘッドハンター、奥様が不動産会社で働いておられた(+猫のmisty)。日曜午前中には、必ず教会に行く熱心なキリスト教徒であった。そこのお宅の奥様がイギリス出身であった。

 自分は、イギリスに行ったこともなく、知ったかぶりをするつもりもないし、ましてやバカにするつもりなど毛頭ない。それどころか、特に学術分野における輝かしい歴史に、尊敬の念が止まない。ニュートン、マイケル・ファラデー、ジェイムス・クラーク・マクスウェル、ポール・ディラックと来ただけでも物理学の天才のオンパレードである。その他、シェイクスピア、ダーウィン、DNA2重らせん構造発見のワトソン・クリックのクリックなど、枚挙に暇がない。だからこそ、イギリス人の「食」に関する関心の薄さに、疑問を禁じ得ない。つい、この前も、日本の商社のイギリスの国民食、「フィッシュ・アンド・チップス」のCMが流れていたが、今どきそれだけ?

 我がホームステイ宅の食卓も、同じだった。朝は、自分の出勤(通学)が夫婦より早かったため、奥さんが朝の散歩中(旦那はまだ就寝中)、ひとりの朝食だったが、常にシリアルとリプトン紅茶(ティーバッグ)、それにミルク(牛乳)であった。夕食は具体的なメニューを覚えていないが、一度だけ出た、ローストビーフ(旦那が「今日はローストビーフだぞ!」と大いに自慢したが)は、パサパサだった。3週間世話になったお礼に、マンハッタンの日本食材店で買ったバーモントカレールーと、近所のスーパーのエビやホタテを入れた「シーフードカレー」、それにパイナップルやハムを入れた「サラダ」を手際よく作ったら、旦那が驚嘆して感激し、翌日のランチボックスに残りのカレーを持って行って、その香りに職場の仲間が寄って来た、という話をしてくれた。しかし、奥様はあまり褒めてくれなかったし、とにかく、関心がないようだった。英語学校の、個人レッスン講師が、アイルランド出身だったが、毎日の料理の話をしたら、笑っていた。どうも、アイルランドとも、少し違うようなのであった。

 自分は、子どものころから田舎の貧しい食生活を送った。でも、たまに食べるカレーや中華そば、餃子、風邪をひいた時しか食べられないバナナ、どれもホントに美味しかった。19歳で初めて食べた、新橋の吉野家の牛丼、22歳で初めて住んでいた町にできたケンタッキーフライドチキン、どれもが世の中にこんな美味いものがあるのか?!とビックリだった。イギリスの人は、そんな感動がないのだろうか?これは美味い!また食べたい、どうやって作るんだ?そういう気持ちが薄いのだろうか?日本人にはちょっと理解できないなあ。

 そして、夢のような3週間が終わり、いよいよ、ニューヨークを離れる、悲しく寂しい日がやって来た。


今回の一首
楽しみは まれに魚にて児らみなが うましうましといひて食ふ時
                           橘 曙覧


ホームステイ宅(自分の部屋は、3階の屋根裏部屋、トイレ・風呂は自分だけ1階、夫婦は2階、洗濯・乾燥は半地下の専用室 注意:アメリカだけではないと思うが、外に洗濯物を干すのは貧乏人だけという意識が非常に強い。)この家から、駅まで徒歩10分くらい、途中には学校もあり、休日には有名なサッカーマム(soccer mom)たちが、子どものサッカーの応援をする。校庭にはリス(gray-squirrel)も人がいても寄ってきたり、小さなセミ(cicada)もいた。
休日にご主人の手伝いでした芝刈り
カレーを作ったお礼にと、最終日、ロングアイランドの大西洋岸のレストランでご馳走してくれた。自分と奥様(Toni)はヒラメのドリア風、サラダ付きで約2千円、旦那(Bob)は財布を気にして一番安いエビフライを頼んでた(大体どこでも財布を気にするのは旦那の方だ)。酒を飲まない家庭で、この日も水だけで、自分も飲まない習慣がついた。翌朝、車でJFK空港まで送ってくれ、自分はそこからリムジンバスで、ニューアーク空港へ、そこからサンフランシスコに向け出発だ。

 

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