禍話「ぬりかべ」
「ぬりかべ」といえば、ゲゲゲの鬼太郎の仲間として有名な妖怪である。元々は民族学者の柳田國男によって福岡県遠賀郡で聞き取りされた怪異で、行く手が壁となって進めなくなる現象を指し、落ち着いて壁の下の方を払うと消えるなどと伝わっている。
妖怪好きには近年、絵巻物に同名の図が見つかって議論になったことも記憶に新しいかもしれない。何にせよ、全国的な人気を得ているぬりかべは独立したキャラクターとなっているが、大本の現象 ――道を歩いていて急に先に進めなくなるという怪奇現象―― については形態や呼称に様々なバリエーションがありながら全国各地に存在するものだ。つまり、怪異としては割とありふれた種類のものだといえる。
以下に紹介する二つの話はそれぞれ、全くかけ離れた地域に住む二人の人から聞いた、道で急に進めなくなった話なのであるが、この種のぬりかべ系の怪異についてある種の示唆を投げかけるものであるので、まとめて紹介してみたい。
一つ目の話
Aさんのお父さんの話。
ある夕方、ちょっとした用事で外へ出かけたお父さんが何時間も帰ってこなかったことがあった。Aさんとお母さんが心配していると、夜中近くになって外でバタバタと音がしたかと思うと扉を乱暴に開けてお父さんが帰ってきた。やれ一安心、と胸を撫でおろしたのだが、なんだか様子がおかしい。Aさんとお母さんに掴みかかるようにして
「大丈夫か!?何もないか?」
と散々確かめた後、ほっとしたように椅子に座り込んで、今度は真っ青な顔でガタガタ震えている。
何があったのか問いただしても話すのをしばらく渋っていたのだが、やがてお茶などを飲んで落ち着いた後ようやく話し出したことには、帰り道で恐ろしいものに会ったという。何かの見間違いか幻覚のようなものだと思うけど、と言い添えつつ、そのせいでなんでもない道の上に何時間も釘付けになっていたのだと。
Aさんの住む家は他の人家から少し離れた寂しいところにあって、林を通るような道で行き来していた。用事を終え、その道を歩いて帰っていたお父さんだったが、丁度中程のところで唐突に“それ”は現れたのだという。
「おまえたちみたいなものだった」
お父さんはそう表現した。歩きながらふっと顔を上げると、林の方から道の上へ、ふらふらと今しも出てきました、という感じでそれらは立っていた。自分の妻と子供、お母さんとAさんが。しかし、一目見て本人でないと分かった。
引き延ばされていたからだ。
お父さん曰く、いきなり目の前に出てきた妻子は上下に長かった。お父さんも表現に苦労していたそうだが、あきらかに天地に伸びたように歪んでいて、そのせいなのか二人とも頭のところが側の木のてっぺんのあたりにあって、枝の梢が顔に掛かっていたという。おまけに、目の前にいるのに奇妙に現実感がないというというか、厚みを感じないというか、ちょうど壁に描かれた絵を見ているような感じだったとも青い顔で続けた。
そいつらは、何をするでもなくお父さんをじっと見下ろしていた。現実感がない相手なのに、見られているということだけははっきりと分かったらしい。お父さんはそれで全く動けなくなってしまった。蛇に睨まれた蛙ではないが、本当なら逃げるなり何なりできそうなところを、頭の中が真っ白になってただ道の上で一歩も進めず、引けず、その異様な妻子の幻とずっと相対していた。
辺りもいよいよ暗くなったころ、はっと気が付くとそれは最初から無かったもののように消えていたそうだ。我に返るなり、妻子に何かあったのではないかという焦燥を抱えながら慌てて帰ってきたのだと。
お父さんはまだ強張っている顔のまま、そう語り終えた。Aさんとお母さんには、その後も特に何も変わったことはなかったという。
不可思議な話だが、この話の肝はここではない。話してくれたAさんも言っていたのだが、問題はこのお父さんの体験が短い期間であっという間に変質したことなのである。変質したとはどういうことか。
Aさんは語る。
「普段そういう話を聞くことなんてなかったですから、私もちょっと忘れられなくて。二日くらい経ったとき、そういえば一昨日のアレってさぁ、ってお父さんにまた聞いてみたんですよ」
そうしたらお父さんはこう答えた。
「あぁ、あれは怖かった、急に壁のようなものが目の前に現れて家に帰れなくなるなんてなぁ。あの壁と言うか幕というか、何だったんだろうなぁ。言っただろう、気持ち悪いのは目みたいなものが付いてたんだよ、壁に。それに見られてたせいで逃げようにも逃げられなかった。あんなものは見たことがなかったなぁ」
そんな風に振り返った。
話が変わっている。Aさんが、
「いやいや、母さんと私みたいなのが立ってたって言ったよね?」
と聞くと、怪訝な顔をする。
「お前と母さんが?え、何の話だかよく分かんねえな、いや、俺は壁みたいなもんに会って帰れなくなったんだよ」
まるで最初からそうだったかのように言う。変だと思い、お母さんも呼んで統一したことを話してもらったが、お父さんは困惑したような顔で知らないと言う。終いには、Aさんとお母さんがおかしいのだとまで言い出した。
そんなことはない、上下に引き延ばされた自分と母の姿だというのが印象に残っている。大体、それで心配で自分たちの肩を掴んですごい剣幕で確かめてきたのに。Aさんは釈然としなかった。
さらに時間が経つにつれ、お父さんの体験談はどんどん曖昧になっていった。半月ほど経ってから聞いた時には、見慣れた道が急に行き止まりになって立ち往生した、というような話に変わってしまっていた。あの時の剣幕はどこへやら、俺が酔ってたのかもしれないなぁ、なんていう笑い話のような感じだったらしい。
Aさんは言う。
「記憶が薄れたにしても、たかだか二日であんなに変わるものなんでしょうか」
お父さんは、ご高齢だが今でもご健在で矍鑠としていらっしゃるという。
二つ目の話
これは、前述のAさんの話を聞くよりも大分前に、登山を趣味にするBさんという知り合いから余寒さん(以下、「筆者」とする)が直接聞かされた話だ。Bさんは筆者よりも大分年上なのだが、新聞社のイベントで学生時代に知り合って以来、それなりに交流が続いている間柄だ。
それがある夜、興奮した様子で、今日山で変なものに会った、と電話してきた。
いつものように山へ行って、日暮れまで余裕を持ってさあ下山だ、という頃合い。何の前触れもなく妙なものが現れた。ふと顔を上げた切れ切れに日の差す木々の合間に、三人の人間の姿が現れた。手前と向こう側に、こちらを向いて立っている男女。その丁度真ん中に、地面に寝ている男。全員、形がおかしい。全体的に背格好が変というか、歪んでいる。寝ている姿も、やけに横に伸びているように思える。それでもはっきりと分かった。それはBさんのお兄さんとお母さん、そしてBさん自身の姿だった。
最初は幻覚だと思ったらしい。登山や山歩きには稀にそういうことがある。気づかないうちに体力や精神力を消費していたというパターンだ。
「なんだかね、そこにいるというよりその三人がいる風景を切り取ってきて、目の前の木の間にはめ込んだ、なんか透明の壁みたいなものがあって、それをスクリーンにして映したみたいな、そんな感じ。それでまたその兄貴とお袋と、あ、間に寝てるのは俺なんだけど、寝てる俺がすげえ気味が悪いの。なんかそのスクリーンに合わせて縦や横に伸びてるように見えるのもそうなんだけど、それ…あぁ伝わるかな、何もせずにそこにいるというか、貼り付けられてるだけなのに、動いてるって感じがあるんだよな。いや、いやいやいや…動いてるじゃないな、“蠢いてる”って言った方がいいな。例えばさ、絨毯だと思ったものを何気なくもう一回見たらびっしり虫が集まってたみたいな。あー違うかな、テレビ画面の砂嵐って言った方が近いかな。顔とか、身体とか、全体がうじゃうじゃうじゃうじゃしてる感じ」
Bさんは、電話口でそのように筆者に表現した。
「いや、とにかく俺、あーこりゃなんかだめだと思っちゃってさ。気づかなかったけどガタがきたのかなって、だからこんなもん見るのかなって思ってたら、その矢先にだよ?」
気味の悪い三人の姿、その目だけが生々しく開いてBさんを見返した。立っている兄と母、横たわっている自分。それら六つの目がBさんを見ていた。その瞬間、Bさんは、あ、これ、幻覚じゃない、と直感したのだという。よく分からないけど、確かにそこにいるヤバいものだ、と。
「逃げようと思ったよ。でも無理だった。全然動けないんだよ。後にも先にも歩けないの」
硬直したまま、Bさんはその異様な山の幻の前で地獄のような時間を過ごした。少しずつ日の陰っていく辺りの景色だけが変化を示す。
「このまま日が暮れて夜の闇に飲み込まれて永遠に山を下りられないんじゃ…そんな想像に意識が遠のきかけて、はっと気が付いたら消えてたんだよそれ。居なくなったって言った方がいいのかな」
日の暮れ始めた頃合いだった。冷えた汗で濡れた背を感じながら、Bさんは訳もわからず慌てて下山した。
筆者がBさんから電話で語られた体験談はこのようなものである。いきなりだったので筆者も困惑し、そのままBさんの愚痴や、いつものような人生論めいた話を聞きながらしばらく話し込んで、電話を切ってからメモを基に話を整理した。
そうして少し日が経ってから、話の最後をもっと詰めて確認しようと思い、再び電話を掛けると、
「え?そんな話だっけ?全然違うよ」
筆者なりに順序を整理した話をそのまま伝えたところ、戸惑ったような声でそう返された。
「いや、そんな大げさなものじゃなくてさ、もっと単純というか山道でさ、こう、壁みたいなのに突き当たって歩けなくなったと思うんだけど」
壁。Bさんはそう訂正した。
「あーでもその壁に何個か顔があったんだっけな?目が並んでたのはなんか覚えてるかな、うん、目がある壁ってなんか気持ち悪いもんな」
そんな曖昧なことを言う。
そして、その次に連絡を取ったときには、Bさんはその体験自体をほとんど忘れ去っていた。あんなに異様で不可思議な体験を。単なる記憶の劣化なのかもしれない。部分的に忘れっぽくなっているだけなのかもしれない。いい加減な怪異体験だという証明、それだけかもしれない。
しかし筆者はこう考えている。恐ろしい何かに出会ってしまった、その到底耐え難い記憶の反芻を防ぐために脳が自己防衛でそのようにするのだ、と。そして不自然に急速な改竄の果て、進めなくなったという体験、それだけが残るのだ、と。全国各地の進めなくなる「ぬりかべ」のような話のうちいくつかは、ひょっとしたら元々はこんな話だったのではないか、と。
さらにもう一つ。
体験談は、それを誰かに語るまでにも時間の経過がある。道を逃げ帰って誰かにそれを話す短い間にすらも何かが欠落して失われてはいないだろうか。つまり、今回の二つの体験談にあった親しい誰かや自分自身の歪んだ最初の報告すら、既に何かしらの改竄がされているのではないかと。
というのも、筆者はBさんが最初に連絡していたときに最後に言っていた例えをメモに取っていたのだが、それが今でも忘れられない。
それはどんな例えだったのか。
「そういえば山を下りた時に気づいたんだよ。しっくりくる言い方が見つかったというかさ。あの幻のことだよ。あの、俺とお袋と兄貴のさ。うじゃうじゃしてて、すげえ何かすげえ嘘くさいような気もしてさ。わざとらしいっていうか。何だろうなぁ。そういうふうに見せかけられてる絵、というかさ。あーそう、だから、あれだよ。スパイ映画とかさ、サスペンスドラマとかでさ、よくあるじゃん昔のやつで。壁に掛けられた絵の目のところだけくり抜いてさ、監視に使うってやつ。そうそう、それだよ、あれってさ、その仕掛けみたいに動けなくなってる俺をさ、何かが壁越しに目だけ出して覗いてたんじゃないかって」
おわり
※このお話は、怪談ツイキャス「禍話(まがばなし)」から、一部を編集して文章化したものです。
※出典 シン・禍話 第四夜 2021年4月3日放送
余寒(よさむ)さんの怪談手帖「ぬりかべ」
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