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『雪国を巡る旅』 〜越後湯沢文学旅その①〜


3月3日、4日と、冬の総まとめとして越後湯沢まで旅してきました。
何故越後湯沢なのか、それは小説『雪国』の舞台に行ってみたかったからです。

【旅のいきさつ】

雪国と言えば、日本人初のノーベル文学賞受賞者である川端康成の代表作として有名です。

川端康成(1899年〜1972年)(写真左)
大阪府の開業医の長男として生まれるも、家族との死別や婚約者との残酷な運命などを経て、伊豆の踊子、雪国などに代表される近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人となった。

私は活字を読み続ける集中力がなく、小説を読むのがどうも苦手です。
一方で映画はそれなりに観るのですが、ある時何となく吉永小百合・高橋英樹の『伊豆の踊子(1963年)』を観ました。それを大変気に入ってしまいまして、何度も何度も観ているうちに原作を読んでみようと思いました。
ちょうどコロナ禍であったこともあり、苦手だからと敬遠しがちだった読書を新しい趣味として始めるのもいいなと思ったのです。

伊豆の踊子(1927年)
孤児根性からくる憂鬱に耐えきれず、伊豆を旅する主人公。道中美しい踊子と出会い、旅芸人一座と下田まで道連れとなる。彼女らの親切さに解れていく心情、踊子との別れを描く。

道がつづら折りになって、 いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、 雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。

伊豆の踊子 冒頭より引用

この冒頭の一文に痺れてしまったのです。
作品の世界観や主人公の状況が一気に伝わり、私自身が天城七里の峠道に飛ばされ、眼前にその景色が見えるような気持ちにさせられました。

◆読書をするためにお出かけするというのもアリです。
◆青根温泉エリアはそんな中出会ったお気に入り。
◆ランチ、温泉、カフェで読書な休日は中々充実します。

伊豆の踊子を読み終わり、次は雪国を読んでみようと思いました。

雪国(1937年)
東京に住む島村は列車に乗り、国境の長いトンネルを抜け、芸者である駒子に会いに雪国へ行く。駒子の島村への愛、妻子ある身故にどうしようもならない島村、哀しくも美しい人間模様が雪国の四季と共に描かれる。

冒頭の一文は有名過ぎますから、読んだことのない私も流石に知っておりましたが、読んでみると世界観への引き込む力は凄まじいと改めて思いました。

◆JAZZ コーヒー園(山形市)
◆山形市の老舗ジャズ喫茶。
◆静かで落ち着いた店内での読書が最高です。

最初に読み終わった後はラスト含め何の事かわからない事も多かったです。読み直したり、いろんな方の考察を読んでみることで少しずつ理解を得てきたように思います。

雪国という作品は各章毎に発表されたものをまとめたものです。よって起承転結がある長編作品ではありません。
私のような素人にしてみれば、誰も考えつかないような展開等があれば流石名作だなぁ文学賞だなぁなど安直に思うようなものですが、この作品にそのようなものはありません。

この作品の魅力は描写力だと私は感じています。冒頭の一文で読者を世界観に引き込める力ももちろんですが、そのシーン毎の描写力がとにかく素晴らしく、美しいのです。

読書への苦手意識から、実は先行して朗読を聞いていたので話はわかっていました。ですがこれは本で読んで欲しいと私は強く思います。文章がとにかく美しいのです。こんなに日本語を美しいと思ったことはない程でした。同じ内容のはずなのに聞くと読むとではこんなにも違うのかと驚きました。

そのような美しい文章で描かれる情景に興味を持ってしまうのは自然なことであったと思います。そして調べてみると舞台である越後湯沢には先生が執筆された部屋の残るお宿などが残っているそうではないですか。

◆北は青森、南は静岡まで各地に行きました。

この数年、私は旅がしたいと思っていました。
私のする遠出は旅と称せるものが少なかったと思います。というのも私の遠出というのは趣味である旧車イベントへ参加ついでにご当地を味わうというものが多く、旅と呼べるものではありませんでした。

コロナで身動きの取れない世の中で、その中でも新しく見つけた世界や趣味などを活かし、旅行自体クオリティを高めてみようとずっと思い続けていました。その一つが今回の文学旅です。

前書きが長くなりましたが、以下いよいよ当日のレポートとなります。

09:30【出発】

◆鳥海月山両所宮(1063年創建)

いきなりですが事前に作成した行程表より30分遅れの出発です。しかしこれは想定内。余裕持って作成しましたから、途中で巻き返せるでしょう。途中、地元の神社にて道中の安全をお祈りします。長旅前にはするように心掛けています。

11:00【次なる旅へ】

◆令和4年の豪雨災害以来復旧していない米坂線。
◆線路は雪に埋もれ、小国の手前では車両までも雪に埋まっていました。

この日は重大なミッションがありました。それは私の推しグループであるアンジュルムの春ツアーチケット先行発売日だったのです。狙うは長野公演。抽選とはいえこういうものは気合が大事。ピッタリに申し込みます。

後日、見事当選しました。今回は偉大なリーダーの卒業ツアーとなるため、どうしても見に行きたかったのです。
4月8日〜10日は長野旅行も兼ねてライブ見に行ってきます。そちらも今後計画しましょう。

11:30【道の駅 関川】

◆国指定重要文化財 渡邉邸前にて。

2時間ほど走り、新潟県へ。
米沢街道の要所として栄えた歴史があり、いまなお旧街道沿いには古い建物を多く見かけます。このあたりは改めて探索したいところですね。道の駅には温泉もあるようです。

12:00【荒川胎内インターチェンジ】


胎内より高速道路に乗り、新潟を南下します。
高速道路は早く到着するのはいいのですが、その分変化がなく退屈です。時間に縛りがなければ下道を行くところですが、今回は5時までお宿に着かなければならないため、先を急ぎます。

13:10【越後川口インターチェンジ】

小千谷に入ると雪山と青空の美しい景色が広がってきました。
インターチェンジを降りるとちぢみの文字が目に入りました。小千谷縮はユネスコ無形文化遺産にも登録された歴史と伝統のある麻織物です。雪国の作中でも島村と縮みの事が書かれていますが、いよいよ舞台へ近づいているのだという気持ちが強くなってきました。

信濃川沿いに国道117号線を南下します。雪国ならではな縦長の住宅、路肩に積み上がった雪などは山形県で言えば最上地方のような印象を受けました。

雪国は長いトンネルの先にある雪に閉ざされた温泉街という、言ってしまえば異世界もののような作品ですが、私の場合は雪国側の人間ですから、4時間程車を運転しても異世界ではなく同世界でしたね。
雪を普段見ない地域の方はこのような景色にも楽しめると思います。

13:50【小嶋屋総本店】

少し遅いお昼となりましたが、楽しみにしていたこちらにお邪魔しました。へぎそば発祥の店として知られる小嶋屋総本店です。

へきそばは新潟県魚沼地方発祥の蕎麦です。つなぎにこの地方では糸の糊付けに使われて入手しやすかった布海苔を使っているため、ツルッとした喉越しが特徴。へぎとは蚕を育てる板箱のことで、蕎麦を一口ずつ手繰りで並べてあります。わさびが入手しにくかったことから、カラシをつけて味わうのも独特ですね。

山形での麺類は客人へのもてなしの意味合いがあります。蕎麦街道と呼ばれる大石田町次年子の蕎麦も、客人をもてなすために蕎麦を打っていたのがルーツです。
へぎそばも織物との密接な関係を知ると一層魅力的に感じます。ルーツや歴史のある食事というのはそれだけでも相当な魅力があるものです。

私はさいたま市で働いていた時期があったのですが、大宮にへぎそば屋さんがあり、新潟出身の同期と飲みの締めなどでいただいていました。いつか本場で食べたいと思っていたことがようやく叶いました。
非常に美味しかったです。これを食べに行くだけでも価値は充分にあります。また食べに行きたいですね。


昼食も済ませ、いよいよお宿へ向かいます。

十日町の市街地を抜けている際、アーケードの信号機に違和感を感じました。
自動車の信号機が縦になっているのは雪国あるあるですが、歩行者の信号機が横向きなのは初めて見ました。

これは新潟名物のようなものらしく、道中ほとんどのアーケードで見ることが出来ました。
雪深い新潟では雁木と呼ばれる軒先がアーケードのルーツとなっており、低い屋根が特徴となっております。よって、頭をぶつけないようにと横向きとなっているそうです。
雁木も雪国の作中に出て来ましたね。時代が変われども、小説を読んだことでルーツにも気づけたというのも、旅をまた一つ豊かにしてくれましたね。

県道76号線のトンネルを抜けると正面に越後三山が聳え立っていました。この美しさ、本当に感動しましたね。
山形も山に囲まれた県ですが、山形の山の雰囲気ともまた違いますね。

次回は『雪国の宿 高半』宿泊記となります。
お読みいただきありがとうございました。

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