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見る、乗る、撮る。SL大樹満喫旅。その③

今回は「見る、乗る、撮る」の最後、「撮る」編でございます。

下今市駅に着いたのは13時44分。
14時以降のSL大樹は以下の3本です。
◆鬼怒川温泉駅行き 下り
 SL大樹7号 14:55〜15:32
◆下今市駅行き 上り
 SL大樹6号 15:37〜16:14
 SL大樹8号 16:43〜17:18

列車の発車まで少し時間がありますので、少し寄り道してみましょう。

14:10【日光街道】


イザベラ・バードという19世紀の旅行家をご存知でしょうか?イギリス人の彼女は明治時代初期に、東京から外国人が未踏であった北海道までを旅し、その記録を「日本奥地紀行」という本にまとめました。

◆現代日本との違いにも驚かされます。

彼女は我が故郷山形県の各地も歩き、置賜地方を東洋のアルカディアと評しています。そんな鉄道も通らず、江戸時代の交通事情の延長をいく時代の山形を知りたくて、少し前からこの本を読んでおります。

◆山形県金山町のイザベラ・バード記念碑。
◆OLYMPUS PEN D(1965年製)にて撮影。

その中で日光の描写があります。栃木宿を発った彼女は例幣使街道を通り今市宿、つまり私が現在いる地点を経て、日光街道を通り、日光へ向かったのです。日光では金谷邸(現在の金谷ホテル)へ宿泊し、その建物も現存するのですが、本日は日光街道を少し歩いてみることにします。

日光杉並木は日光街道、例幣使街道、会津西街道の3街道にまたがる杉並木で、その総延長なんと35.41km。この数字はギネス世界記録に認定されております。

徳川家康に仕えた松平正綱が恩義に報いる為、1625年から20年以上かけ、紀州から取り寄せた杉の苗木を植樹したのが始まりとのこと。息子正信と植えたその数なんと1万5千本。

何がいいと言うと、現在の日光街道の横をこんなにも厳かで神々しい古の街道が当時の姿をそのままに残しているという点ですね。イザベラ・バードの見た景色も、古の旅人や大名の見た景色も同じでしょう。その景色を現代を生きる我々も見れる。これは凄いことです。

◆日光杉並木オーナー制度は、平成8年から開始。
◆杉並木保護に賛同した方が1本1000万円で購入。
◆その購入金額が保護活動に活かされる制度とのこと。

一方で、自動車の排気ガス等で老いた並木の保存は厳しいものとなっており、通行できていた区間も通行が出来なくなるなどの措置が取られているようです。難しい事だとは思いますが、この美しい街道が末長く残る事を願います。

◆戊辰戦争時の砲弾跡を今に残す砲弾撃ち込み杉。

さて、いよいよ時間です。SL大樹を撮りに行きましょう。

15:10【鬼怒川橋梁撮影】


14時55分発のSL大樹7号を鬼怒川橋梁にて撮絵します。正面から煙を吐いて走ってくる蒸気機関車を撮ってみたかったんですよね。
車は高徳中岩河川公園の駐車場に停めれます。

公園の駐車場から歩いて5分しないでしょうか。直ぐ到着しました。しかし先程までたくさんいたファンの方がいません。気付きました。これは逆光じゃないか?と。

下を見ると川から狙っているファンの方々がたくさんいらっしゃいます。なるほど、そちらが正解でしたか。しかしどちらにしてもそんなに上手い写真が撮れる訳ではないですから、撮りたかった方を優先します。

※これはトリミングしました。

巻かれた煙が透過され、冬らしい写真になったかなぁと思います。

ここで撮りたかった理由がもう一つあります。歩道にしては広いこの橋、先程の写真を見てピンと来る方にはピンと来ると思いますが、旧道です。
国道121号線、旧中岩橋です。1935年に架けられたソリッドリブ・アーチ橋です。1968年に現在の中岩橋が架けられるまで使われました。名の通り、中間の中岩に橋台を設けている構造で、その姿は覗き込めば驚きです。

上部もアーチだったそうですが、戦時中の資材供与のため無くなったとのこと。まさに歴史の生き証人ですね。

15:55【砥川橋梁】

次にSL大樹6号を撮るために砥川橋梁に来ました。ここでもファンの方々は川から狙っていらっしゃいます。私はこの橋と一緒に斜め前から撮りたかったので、不正解とわかりつつもこちらから撮影します。

こちらの砥川橋梁も国の登録有形文化財に指定されている大変貴重なものです。

1946年に架けられた単桁橋及び単トラス桁橋ですが、トラス部は1897年に当時の日本鉄道磐城線阿武隈川橋梁として使われた、英国ハンディサイド社のトラス一連です。明治期のトラス橋、そしてイギリス製からアメリカ製へと移行期のものとして希少性が高いとのことです。

ここで撮影を一旦休憩。鬼怒川温泉街へ向かいます。

◆近くには2006年に休園したウェスタン村が。

16:20【鬼怒川温泉街】

◆渓谷沿いに大きな旅館が並ぶ姿は壮観です。

黒鉄橋(1910年)

◆元々は1885年頃にドイツにて製作された官営鉄道のポニーワーレントラスを改造したものとのこと。

鬼怒川に架けられた明治時代の鉄橋です。鬼怒川の水力発電開発に際し、重量物を対岸へと運ぶ為に作られ、当時鉄橋自体が珍しかったため、観光客の目玉になったのだそうです。近代土木遺産となっています。

◆黒鉄橋から見える岩風呂水明館の遺構。
◆上物は2000年代に解体されています。

16:50【倉ヶ崎SL花畑】

この旅最後のSL大樹見学となりました。地区住民の方々により整備されたこちらは、春からは花畑、冬はイルミネーションと、季節ごとにファンを楽しませてくれる場所のようです。駐車場も用意されているため、撮影にもバッチリです。

私の写真はブレブレでしたが、このようなあたたかい取組が多くて本当に嬉しい場所ですね。

◆クラちゃんが立った!!!

倉ヶ崎SL花畑の横は会津西街道の杉並木です。そうです。イザベラ・バードの歩いた場所を、今度は現代の馬車たる自動車で走り抜けます。古の旅人に思いを馳せながら、今回の旅は終わりへと向かいます。

いかがでしたでしょうか?
私自身、ここまで気持ちを動かされる旅になるとは思わず、記憶に残るいい思い出となりました。魅力が伝わるかはわかりませんが、マニアに限らずこの鬼怒川温泉までのSL旅はオススメしたいと思います。


noteについては初の投稿で、まだ使い方も不慣れな部分ありますが、まとめたいことがあれば今後も投稿していきたいと思いますので、今後とも宜しくお願い致します。

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