note版オンライン絵画講座 ④表現
今回も割とセンシティブかもしれない、表現の話。
あくまでも私は!という見解の話ですので、必ずしもずべてがそうだとは言い切りません。そのような解釈でお願いいたします。
表現を教えるというのはどういうこと?
今のところ、我が絵画教室では表現をするための技法を教えることが大半です。
絵画教室内では、表現の仕方やレパートリーを教えることくらいが関の山で、その人にあった表現方法まで突っ込んで教えることは難しい事の方が多いのです。
もちろん、ある程度の技量が備わってきた生徒にはそれなりに表現の結果を選択させるところまで促してあげなければいけないと思っています。
それでも、その方の目指す結果が完全にわかるわけではないので、結果の選択を促すと言う内容に止まることになります。
それは講師の役目だと思います。
何を描きたいのか?という視点を持つ。
何が描きたいのか?という問いに対し、どういう答え方をするかでその人の絵に対する感覚や習熟度がある程度わかると考えています。
上手に(模倣として)、それらしく、見えるようになど、曖昧なものもあれば、
赤さ、白さ、青さ、明るさ、暗さ、など、色に関するもの、
広がり、高さ、重さ、硬さ、柔らかさ、瑞々しさ、など、より質感や空間に即したもの、優しい、怖い、人間的、日常的、空想的、静けさ、危うさ、など取り巻く状況的なもの。もちろんその幾つかを統計的にまとめて表現したい方もいるとは思います。
ですが、実際にはそれらにそれ相応の表現方法があり、習得できなければ利用することもままならないのではないかと思います。
では、描けないなら表現できないか?というと、そうでもないこともあります。
概ね、表現するために必要な方法を習得するのが常套手段としても、
表現の手段を用いずにピンポイントで表現として成立しうる場合もあります。
その多くは子供が描く絵に見られる、主観的に感じたまま描かれた作品です。
方法論を無視して描かれてはいるが、言いたいことはなんとなくわかる作品というのが子供の絵などには多く存在しています。
理由を聞けば、なるほどなぁと思うかもしれませんが、たとえ理由を知らなくとも、
大好きなお母さんの体は大きくなり、たまにしか会わないお父さんの絵は自分より小さくなったり、行ったり来たり動き回る猫の足は4本以上で描かれたりするわけです。
それは感情や体験に合わせたその子の表現であり、そのようにしか表現することができないから、そうなるのだろうと考えています。
子供の絵を描く姿勢を見ると、表現とは方法論ではなく、直接感じ取ったものを表す、というのが根底にあると思わざるを得ません。
確実な表現方法として「純粋な目で描きとる」ことが最適解かと思いたいのですが、
成人して以降、この方法を取ることは超難関な課題であると、ピカソも証明しております。
では、何かを描きたいと思った成人以降の人が考えるべきポイントは何か?
当たり前ですが、表現の方法を習得していくことと、表現のパターンを知っていくことだと考えます。
数多あるあらゆるモノを堪能しよう
表現の種類を知っていくためには、わかるでもなくわからないでもなく、純粋に数多ある作品を見、感じ、吸収していくように努めた方が良いと思います。
できることならば好き嫌いなく色々と見た方が良いと思いますが、まずは好きなものだけでも構わないと思います。
それが、同じジャンルである必要もありません。曲解すれば映像でも音楽でも演劇でもいいですし、もっともっと広く考えれば人々の行動でも、それが作品として昇華されていようがいまいが日々に起こりうる事象までもその時その感覚で感じ取り、吸収していくように心がけていくことをお勧めします。
それらは表現として成立するモノであり、その表現に必要な技能や哲学をうるためには最重要なものと考えられます。
すると、自然と自己の傾向が認識できて来るものと思います。
そこをヒントに絵のモチーフや描きたいポイントが見えてくると思いますし、
結果的に表現したい何か?を明確に認識することにつながると考えます。
その上で気をつけたいのは、食わず嫌いや先入観での否定的な感情に囚われすぎないということです。特に、他人のいう判断に流されすぎないようお願いしたいと思います。
そして、もう一つ、要注意したいことは、
表現とは誰かのためにあるものではなく。。。
あくまでも、自分のためにあるものとしてお考えください。
それを見た人がどう思おうが関係ないのです。自分はこう思っている、こう考えたものである、と言った思考や感情の結果が表現であってほしいと考えています。
しっかりとした表現物として成立させるためには、まずは自身の作品を自身の手で作る必要があると思います。誰かのためや、誰かがこう言ってたからなど他者からの視点から始める事ではないと考えています。
こうすればよく見られる、売れる、と言った考え方もできればしない方が良いでしょう。そもそも、技量のない方に実現できる問題ではありませんし、他者を意識するためには自己の表現にそれに見合うだけの自信がないと理念や精神、作風などを強固に保つことはできないと考えます。
割とこの辺りはセンシティブで直接生徒や何かに話すのが難しい部分でもありますが、
できるだけ曲解させないようにしたいと考えています。
個人的な注意点は、そういった表現のパターンを漁って時間を忘れ、絵を描く時間をなくしていくことは注意してください。とてもよくあることです。
今回はここまでにします。
長文お読みいただきありがとうございました。
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