View of Silence.

雨の中、私は街中を愛車VOXYで走っていた。

BGMは久石譲のアルバム「PRETENDER」に収録されている「View of Silence」。
大学生の頃によく聴いていた曲だ。
インストゥルメンタルだが、私にとっては特別な曲だ。
最近ではフィギュアスケートの羽生結弦選手が使った曲として一時期注目されたが、正直、若い人がこの曲を知っていること自体に驚いた。

この曲を聴くと、私はとても気分が落ち着く。
それと、同時に、学生の頃の様々な想い出や気持ちが蘇って来る。

「初心忘るべからず。」

歌詞の無い曲だが、私にそう言っているように聴こえる。

信号待ちをしていると、近くの横断歩道を見覚えのある女性が傘をさして歩いているのが見えた。

「彼女だ・・・」

脳裏に大学時代の彼女との想い出が蘇る・・・。
聴き慣れたBGMと共に・・・。

あの頃は、物性物理学研究室での研究や実験がとても忙しかった。
しかし、大人になった今になって想い返すと、毎日が夏休みのように自由だったと思う。
とてもとても長い人生の夏休みだった。

彼女と付き合っていたのはその頃だ。
大学の近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら、二人で時間を忘れて何時間もお喋りを楽しんだ。
二人はとても若かった・・・。
今となっては、とても甘酸っぱい想い出だ・・・。

その彼女が、雨の中、すぐ近くを歩いていた。
彼女は私の車と反対方向を歩いていた。

信号が青になった。

私は彼女が歩いている方向に車をUターンさせた。
そして、彼女を少し追い越して、ハザードランプを点滅させて車を停めた。

ドアミラーを見ると、彼女が近づいて来ていた。
私は助手席側の窓を開けた。
少しずつだが、助手席に雨が入り込んで来た・・・。

彼女が車に近付いて来た。
私はBGMのボリュームを上げた。

気付いてくれるかな・・・?

想い出の曲だ。
忘れていなければ、気付いてくれるはずだ。

私は目を閉じてその時を待った。

と、その時、突然後部座席のスライドドアが開いた。

ゆっくりと後ろを振り返ると、後部座席に彼女が座っていた。

気付いてくれた!
私は彼女に話しかけようとした。

その時だった・・・。

妻「音楽うるさい!!雨なのに何で窓開けてるの!!助手席濡れてるやん!!」

そう、彼女とは妻のことである・・・。

私「いや、気付いてくれるかな~?と思って・・・」
妻「そんなもん、車のナンバー見たら判るやろ!!ってゆうか、ここで待ち合わせってLINE入れたから、気付かん訳が無いやろ!!」
私「いや、どうせお迎えをするなら、オシャレな演出をやね・・・」
妻「いらんいらん!!そんなもんいらん!!それにこの曲、つまんない!!」
私「!?」

刻の流れは、時として残酷である・・・。

しかし、ここで立ち止まっている余裕は無いのだ!
家で息子が待っている!
常に前進し続けなければ!
気を取り直して、妻とコミュニケーションだ!!

私「お客さん、どちらまで?」
妻「お家!」
私「ご自宅はどちらでしょうか?」
妻「ウザい!」
私「承知致しました・・・。」
妻「安全運転でお願いします!」
私「前向きに検討致します・・・。」
妻「今日も疲れたぁ・・・」

妻は仕事で疲れたのだろう。
すぐに静かになった。
お疲れ様・・・。

私は曲を変えなかった。
ささやかな抵抗だ。

外の景色は薄暗くなり、寂しくなってゆく・・・。
雨音はするが、車の中は沈黙が続く・・・。

私は自宅へと車を走らせた。

懐かしい曲が流れ続ける・・・。

View of Silence.

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