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「いい」という空間

「比べるな」って言われてもね。

どうしたって、無意識に誰かや何かと比べてしまう時がある。

「あの見た目だったらな」
「あんな環境で過ごせたら」

なんて思いながら、それと圧倒的な差がある自分を思い知って凹んだり。

実際は、それぞれに「背景」があって、それぞれに「事情」があって、それぞれに「苦悩」がある。んな事は百も承知で、それでも比べずにはいられない。

つまり、比べて凹むのは

余裕がない時

なんだろう。思い返すと、私は大体そうだった。いや違うな。だいぶ盛ったな。最近のプリクラくらい盛ったわ。ごめん。調子に乗った言い方をしたけど、今だって偶にやってしまう。「比べなくていいんだよ」と口にしながら、誰より比べて凹んだりするし。それこそ、無人島に打ち上げられた一斗缶のようにベコベコに。

世の中には情報が溢れているから、

「他人と自分 比べない 方法」

とかで検索すれば、記事の10や20はあるだろう。私も似たような言葉を書いていた経験があるから、もしかしたらヒットするかもしれない。

ただ、自分には「比べるのをなくす」は無理ゲーだから、最近だと「比べながらも過ごしやすい心になるには」のほうで、なんとかならんかなと考えている。比べていい。比べるのOK。そこを止めないで上手に付き合う方法を模索しよう、と。自分の体にある「持病」と同じ。完治は難しいからせめて上手く付き合っていこうみたいな。

これはこれで難しいけど。

あくまで私の場合で言えば、華やかな世界になるべく身を置かないようにして過ごしている。「見ると凹みそうなものは避ける」とか「住んでいる所が違うなと思う人とは一定の距離をとる」とか「成功者の言葉を自分の基準にしない」とか。誰かからすると、

逃げだろそれ

と思われるかもしれない。

世界が狭いな

と思われるかもしれない。

でも、逃げてはいけないルールなんてないし、ぶっちゃけ逃げたら後々キツくなるというほど大袈裟な行動じゃない。広い世界で明るく暮らすのが合っている人もいれば、狭い世界で小さく暮らすのが合っている人もいて、自分は後者だった――ただそれだけ。

過ごしやすいと思える場所なら、それが「大海原」だろうが「水溜まり」だろうが関係ない。どこでも楽園になり得るから。私は金づちだから水溜まりのほうが好みなんだよな。

小さくていい。狭くていい。逃げでいい。情けなくていい。ネガになっていい。泣き虫でいい。上手く出来なくていい。器用に生きられなくていい。そんな、結構ゆるめの

「いい」という空間

を作っていくのが、自分にとって「比べながらも過ごしやすい心」になる方法だと、なんとなく確信している。

「比べていいんだよ比べて」

「比べちゃうよなやっぱなー」

そうやって、自分を許しながらぐだぐだ過ごす。うん。悪くないんじゃないかな。私だけかな。私だけか。それもまた「いい」かな。

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エトナシ サラ
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