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役立たずのおめでたい日
後悔するかもしれない。
この数年、そういう気持ちを心の片隅に置きながら過ごしている。
理由は後述するとして。もやもやを抱えながらも、なんとか、かんとか、どうにか今年もこの日を迎えられたのは喜ばしい。
今日は
私自身の誕生日
と
noteを始めて丸6年の記念日
そのふたつが重なった、大変おめでたい日。七転八倒悶絶躄地――時計は前向きなのに後ろ向きに歩きながら、よくもまあしぶとく生きてきた。感じたことをえっちら言葉にし続けてきた。
それを褒めたたえて祝うための日。
まずは、素直におめでとうございます私。
役立たずのありがとう
人生で何度言われたか分からない
「役立たず」
という呼び方。
この世に要らない存在だと、人様にお見せしてはいけない存在だと強く言い聞かされて育ったから、正直今更なんと説得されてもそれは覆らない。私は生粋の役立たず者だ。
ただ、お役に立てるものがあるなら立ちたいとは腹いっぱい思っていて。烏滸がましいけど思っていて。少ない脳みそで考えた結果が
書く
だった。それだけが理由ではないけど、書くことで誰かしらの心に「痛くない感触」で届けばいいなと。「こういう人もいるんだ」と知ってもらえればいいなと。
結果、長く続ける中で「ちゃんと届いています」と教えてくれる人もいて。役立たずなりにわずかでも役に立てているのは、幸せなものだ。誰かの人生の一助になれているのは、光栄なことだ。
まあ世界中のいろいろな出来事からすれば、私の祝いの日など塵同然。でも、私からすればいつかの月面着陸同然。「よく生きていられたな」の連続だったし。
今日くらいは、いや今週くらいは、好きなように浮かれさせてほしい。さらに、昨年も言った気がするけど、こうして迎えられたのは普段見てくれたり応援してくれたり声を届けたりしてくれている
あなたのおかげ
だと、ぜひ伝えさせてほしい。
こういうのは「前に何度も伝えているしいっか」ではないと思っているから。そこを横着して省略しない人でいたいから。しつこいかもしれないけど、
本当にありがとう。
ありがとうございます。
慎重な伸張
書くことについて熱弁した後でなんだけど、最近このnoteで新しい記事を公開する機会が減っているのはお気づきの通り。
旧Twitter(現X)で短めの文章は引き続き多く書いているし「意欲がなくなった」や「テーマが浮かばない」などでは当然ない。むしろ以前よりある。原因はそこではない。
理由は「穏やかでいたいから」だ。
ここ数年ほどで、ネットの様相は結構変わってきたような肌感があって。あくまで個人的な感覚だけど「気軽に書ける」という素晴らしい利点が「理不尽な揶揄」の危険に飲み込まれている気がする。デメリットがメリットをかき消して上回っている――が正確か。
丁寧に言葉を選んでも全く通じない場面が多い空間になっているなと感じるから、どんなに私自身が「いろいろな視点で物事を考えて表現を丁寧に丁寧に選んで手渡そう」としても、今は危ういとの判断。
Xでの140字とは違う長めの文章になると、センテンスも増えるぶん気を使う量も桁が変わる。少しでも表現に気を抜くと「違う視点から見ると角が立つ」になる。「別の立場の人が見ると悲しい」になる。
もともとそれを完璧に意識できるほど力がない私だから尚更、重箱の隅も中央もつっつかれやすいのを自覚している。
そういった場所だと感じているのに、私自身がnoteで手掛ける際どいテーマたちを攻めて執筆するのはよろしくないなと。幸い長年発信してきて理不尽でひどいことを言われた経験は一度もないけど、あってからでは困るなと。至らない未熟な自分を後悔するかもしれないなと。
書いた文章は自分の財産としてここへ残しているから、中途半端に妥協もしたくないし。メンバー制のような仕組みも今のところやっていないし。
数は少なくとも
続ける
が私自身の目的。
思うままに好きなものを書くには自身がしんどくならないのが重要で、心の穏やかさを成立させるなら「危険を承知で量産する」ではなく「タイミングを見て無理なく」がベスト。
noteを大切に思って力を入れているし、少しずつでも伸張していきたい。なればこそ慎重に。なればこそ焦らず。
自己暗示ではあるけど「今まで執筆してきた記事があるから大丈夫」と唱えている。「やってきたことは支えになるよ」と説いている。
私の言葉を読みたいと思ってくれている人には大変申し訳ない。ごめんなさい。相変わらず意欲の火はぼうぼうと燃えているから、Xや過去の記事を見ながら気長に待っていてくれると嬉しい。
まとめ
書くのを控えていますと言いつつ、一旦書き始めるとブレーキが壊れたように止まらなくなるのはいつものこと。やはり自分でも呆れるくらい
「好き」
なんだろうな。
ダブルでおめでたい日、私自身を盛大に祝ってもらいたい気持ちもある。と同時に、これまで支えてくれた全てに感謝したい気持ちもある。後者のほうが特に。
自分が自分の力だけで成したものなんて、ほぼほぼない。食べるのも、野菜やお肉やいろいろを育てたり加工したり作ったりしてくれる方々がいるからできること。眠るのも、お布団を作ってくれる方々がいるからできること。活動できるのも、応援してくれる方々がいるからできること。
何もかも支えがあってこそ。
そんなの当たり前ではない。当たり前だからいちいち書かなくていいではない。思い浮かんだからその時書く。伝えたいから省かず書く。
ひとえにおかげおかげの今日この日です。
重ねて本当にありがとうございます。
これからも、なんなら世界じゅうへ届くほどの熱意を持って丁寧に丁寧に書き続けます。外国語はできないけど、言語が違っても分かるようなイラストを描き続けます。
そしたら、いつか海外の誰かの目に留まって、どこかの大きな大きな宮殿に呼ばれたりして。家から一切出ない人間が、見たことすらない「海」というものを実際に見られるようになったりして。
やばい。
航海するかもしれない。(酔うから無理)
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