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無理しても頑張る人のほうがえらいわけじゃない

よく聞く話で「怪我をしているのに出場して優勝した」や「病気を抱えながら毎日やり続けている」といったものがある。

確かに、それは素直に「すごい事」だと思う。「素敵な話」だとも思う。苦境の中で、努力と根性を出して強い信念を持ってやっているんだろうし、生半可な覚悟じゃ出来ない事だろう。そこには感動があり、場合によっては尊敬すら覚える。

だた、一方で

「それを褒め称え過ぎるのはどうかな」

とも思っていて。なぜなら、そういう感動する話の主人公と自分を一括りにされる危険性があり、事実された経験があるから。

「あんたの病気なんで治らんの?あの人は同じ病気がたった○日で治ったのに」と何度言われたか。「それくらいの怪我で情けない。あの人はそれ以上に怪我したのに頑張っとるよ」と何度言われたか。

その瞬間の悲しさは、今でも褪せずに残っている。相手は悪気があって言ったわけじゃないかもしれないし、そういうつもりじゃなかったかもしれない。けれど、

私は確かに絶望した。

これだけは間違いない。ここ。ここが、この思考の厄介な所で。悪気なく比べるようになったりするのだ。悪意なく一括りにしてしまうようになったりするのだ。

そうなりやすいのだ。

私が生まれた場所と、あの人が生まれた場所は違う。私が育った環境と、あの人が育った環境は違う。言ってみれば、全く別の世界で過ごしてきたAとB。なのに「A=B」とイコールで繋げて語る事自体、おかしな話だ。

なのに、繋げる。
なのに、比べる。
なのに、勝敗を決める。

だから、辛くても頑張った人の話をただただ感動する話だと褒め過ぎるのは危険だと思っている。

勿論、私は「怪我をしたら絶対休むべき」と言っているわけじゃない。それでも頑張れる人は選択しても全然いいし、それはそれですごいと思う。と同時に、痛いから休むという選択をした人も全然いいと思う。自分で決断した部分を見れば、それもそれですごいと思うし。

つまり、どっちもすごいのだ。

「頑張ったほうがえらい」じゃない。そこに優劣はない。あるのはそれぞれのスペックからそれぞれが判断したという事実だけだ。

お願いだから「怪我して途中で諦める人は情けない」とか「苦しくても乗り越えた人がいるのに乗り越えられないなんて甘えた奴」とか、そういう風に繋げて評価しないでほしい。そういう目で相手を見ないでほしい。美談と比べないでほしい。

感情
状況
容量
性格

全部がそれぞれに違うんだから。

苦しいなら、休んでもいいんだよ。走るのが疲れたなら、立ち止まってもいいんだよ。たとえあの人が頑張り続けていようと、罪悪感を感じなくてもいいんだよ。堂々と休息を選択してもいいんだよ。引け目なんて覚えなくてもいいんだよ。

「そう言われても……」

かもしれない。そうだね。そうなんだよね。大丈夫と言われたからって「うん分かった!」といきなり切り替えられないものだし。だからこその

~で"も"いいんだよ

だからね。「そうしてもいいし、そうしなくてもいい」という意味。そうするのが難しい時は、しなくてもいいんだよ。ただ1つだけ、

「この人がこう言ってたな」

だけを覚えていてくれたなら私は嬉しい。こんな事を言っている人が1人か0人かというのは、意外と大きな差だから。

普段言っているくだらない冗談や、だらだら脱線した話は覚えておかなくていいから、その空きスペースに入れておいてな。

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エトナシ サラ
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